6.ひとつの疑念

 いまひとつ食欲が湧かず、昼食を取り損ねてしまった。夕方からバイトが入っていることを思い出し、私は早めに店に向かった。同じ敷地内にあるファミレスで腹ごしらえをすれば、時間ギリギリまで休憩して、そのまま出勤できる。

 全国チェーン店なので昔からメニューは知っているつもりだったが、入ってみると見慣れないメニューばかりになっていた。どのメニューも写真が冴えず、決め手がない。それに、記憶よりも少し高くなっていた。


 元から食欲不振だったこともあり、食べること自体が面倒になってくる。それでも、これから三時間以上の立ち仕事をするのに昼食抜きでは身がもたない。溜息をつきながら注文用パネルを叩いていると、開いた向かいの席に誰かがのっそりと入ってきた。


「いい? せっかくなので」高橋だった。

「あれ? もう上がりですか?」私は思わず腕時計を確認した。普段なら高橋はまだ勤務中のはずだった。

「や、シフトは入ってないよ」高橋はふわっとした笑みを浮かべた。「持田君はこの後?」

「はい。ご飯食べそびれて……」

「それはいかん。しっかり食べなさい」

「前よりメニュー減りましたね」私は結局、パスタのページの先頭のメニューを選んだ。特にそれが食べたいわけでもなかったが、考えるのが面倒になってしまった。

「まあまあ、ファミレスはどこも苦戦してるな。値上げしなきゃもう無理だけど、上げたら絶対客は減る」

「やっぱり、減るんですね」

「五十円で全然違うよ。特に主婦はよく見てる」高橋は別なパスタを選んだ。

「高橋さんも、今からご飯ですか?」

「そうじゃないんだけど、ここ、何か頼まないと煩いんだ」

「それならデザートとか……」

「甘いもの好きじゃないんだよな」

 よほど美味いなら別だが、と高橋は言って笑った。


 食事どきではないので店内は閑散としている。注文ボタンを押すと、ほとんど待ち構えていたかのようにパスタを二皿持った若い店員が来た。ポニーテールを高く括った、メガネの女性だ。


「あ、今日はロボットじゃないんですね」高橋は店員と顔見知りらしく、気さくに話し掛けた。

「ロボットはリストラです」店員は笑い返した。

「ええ? じゃ、もういないの」

「いえ、二人……二台だけ残されました。でも来年にはそれも切るとか」

「人員削減か。ロボットも大変だなあ」

「結局、足が遅いしミスも多いので……」

「そりゃダメだ、使えねえな」

「お子様には人気なんですけどね」

 店員はテーブルの端のカトラリーボックスを示すと去って行った。


くらさんは辞めちゃったんでしょうかね」ふと、私は言った。

「おや。辞めたのか」

「わかりませんが、次のシフト表に入ってないので」

「そう……なるほどね」高橋はミートパスタの端をフォークで巻いて高く持ち上げ、何か考え込むように首を少し傾げた。「誰か辞めるかもと思ってたが、四蔵さんか。そうか」

「何かあったんですか?」

「いや、持田君の知らないことで俺が知ってることなど無いよ。何かあったかどうか、君が一番知ってるのでは?」

「まあ、事件はありましたけど」


 見ず知らずのプロの窃盗団に急に殴り倒される可能性があるとなれば、パートを辞めるには十分な理由なのかもしれない。本人が気にしなくても、家族が止めることだってあり得るだろう。


「今回の事件には」高橋はまるでの事件もあるかのような言い方をした。「ひとつ、妙な点があると思わないか?」

「妙と言えば、何もかも妙ですけど」

「そう? 例えばどんな」

「犯人たちはなぜとうさんに大怪我を負わせるというリスクを取ったのかな、とか」

「そう。そこもなかなか変わってる点だ」

「殺意があったのに、殺しそびれた、くらいの怪我ですよね。けど、金目のものだけ取って逃げるのと被害者を出すのとではその後の捕まる確率が全然違うわけで……」

「そう。金だけが目的の窃盗団に、その手間とリスクを負う理由が無いな」高橋は頷いた。「もし、アクシデントがあって佐藤寺さんと鉢合わせたのだとしても、無言で威嚇するか、せいぜい突き飛ばして退かせるくらいにして、逃げることを優先するはずだ」

「防犯カメラに映っていたのは、警察も把握しているプロの窃盗団で間違いないんですよね」私は胸の奥にわだかまっていた違和感を口にしながら、改めて考えた。


 この情報を聞かされたとき、咄嗟に頭に浮かんだのは、これが本当にプロの犯行なのか、という疑念だった。どういう不測の事態が起きれば、店員を殺しかけるというアクシデントに繋がるのだろうか。


 彼らはおそらく事前にうちの店に目をつけ、身体の大きい店長が不在になる時間帯を狙ったはずだ。夜ではなく開店中を狙ったのは、夜間に付けている警備サービスを突破するよりも、昼間に客のふりをして侵入した方が楽だと判断したからだろう。二段重ねでぎっしりと掛かった服の列が目隠し替わりになって、レジの辺りからは店長室のドアが見えない。防犯カメラはあるが、店舗入口のもの以外はダミーだということも、犯人たちは把握していたはずだ。だから堂々と店に入り、店長室のドアをこじ開けた。


 あるいは、こじ開けるまでもなく、店長室のドアはちょうど開いており、そこに佐藤寺朋美がいたのかもしれない。レジの小銭が足りなくなったとか、伝票の確認が必要になったとか、店長室に立ち入る理由は色々ある。とかく佐藤寺朋美は何かの偶然で犯人たちと鉢合わせた。


 しかし、その程度の不運を犯人たちが予測しなかったはずはないし、計画の段階で「もし店員と鉢合わせたら殺す」などという段取りを立てていたはずはない。目的に対してリスクが見合わない。


「何か犯人たちにとって予想外の事態があって、そのせいで佐藤寺さんは負傷したんだと思いますけど、それがなんなのかわかりません」私は言った。


「窃盗団にとって予想外の事態は、佐藤寺さんが負傷したことそのものじゃないかな」高橋は意味深な眼でじっと私を見た。

「事故だったということですか? 一体どんな……」

「いや、もっと基本的なところから話そう。この事件の妙なところは、誰も犯人たちが店を出て行くところを見てないということなんだよ」

「えっ」私は虚をつかれてぽかんとしてしまった。

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