5.思わぬ客
騒がしい笑い声と足音とともに、三人の若者が自動ドアをくぐってきた。
ちょうど受付カウンターを拭いていた私は、機械的に「いらっしゃいませ」と言ってから、相手が大学の知り合いだと気づいた。
「ヨークン!」
「店員さん店員さん! おすすめはどれですか?」
「ああ、おすすめはこちらですけど……」私はカウンター前の鍵付きラックに入っている毛皮のコートを指した。
「いや買えるかい!」加納は小柄な身体を大きく振り回し、芸人のようにポーズを取った。「たっか! なんこれ? 中古? 中古でこんな高いの? ちょっと佐原、見ろよ、ゼロがいっぱいだ、一、十、百、千……」
「ガキかよ」佐原は加納の頭を後ろから叩いた。
「思ったより、広い」
「お前ら暇だなあ」私は苦笑して言った。
「暇じゃありませんよ?」佐原は大袈裟に目を見開いて言った。「俺たちの、貴重な時間を割いて、ヨークンの勇姿を見るためにだな……」
「ね、ね、ね」加納は佐原の金髪を鷲掴みにして、鍵付きラックの方に連れ戻した。
「おい、痛えよ、禿げる禿げる禿げる!」
「うっせー禿げろよ! チャラチャラ染めやがって」
「放せって、マジで」
「いやそんなことより見ろ。これいくらだと思う? いくらだと思った? ちゃんと見た?」
「うぜえな、おめえは一生こんなもの着ねえだろ」
「違う違う、お前はわかってないなあ。女に買うんだよ。それでさ、キャーカノウサン! ステキ! って」
「そんな女と付き合いたくねーよ」
「あの、お客様ー」私は口を挟んだ。「買わないんなら早く帰ってくれます?」
「うわ冷たい店員だ」
「あり得ない」
「本社に苦情を入れよう」
佐原と加納がごちゃごちゃ言っているところに、店の奥まで行った十河が戻ってきた。十河は例の白い野球帽を二つ持っており、佐原と加納の頭に無言で被せた。
「え、何これ」
「知らんけど安かったから」
「それもおすすめですよ」と私は言った。
帽子は確かに少しずつ売れてはいたが、なにしろ数が多いのでワゴンの他の商品が埋もれてしまい、持て余し気味だった。
「それもう、邪魔なんで十個くらい買ってってくれないかな」私は言った。
「はあ。横暴な店員だなあ」
「ヨークン、シフトは何時までなの」十河が聞いた。
「七時」
「結構長いんだ」
「そうかな。みんなもっと長いよ」
「とりあえずこれ」十河は他の二人が弄っていた野球帽を取り上げ、二つともカウンターに置いた。
「え、買うの? ほんとに」
「遊びに来て騒ぐだけじゃ悪いし。迷惑料」
「いや、そんなのいいって。こんなの買っても使わないだろう」
自分の働く店の商品をこんなふうに言うのも変な話だが、帽子の形をしているという意外に何の取り柄もない帽子だ。
「どうせ何か買うなら、裏の自販機で飲み物買ってけば」私は言った。「あれも一応、うちの収益になるから」
「あ、そうなの? 自販機あるんだ? じゃあ、おい、一人二十本ずつ買ってこうぜ」十河はまだ毛皮のコートの前で言い合っている佐原と加納を振り返った。
「一本でいいって。とにかくもう、変なことしないでいいから、はよ帰れ」私は三人を半ば無理矢理、自動ドアのほうへ追いやった。「自販機は店の裏側だから、ぐるっと回ってな。喫煙所があるから、すぐわかる」
そのとき、ブラウスの品出しを終えた
「あら。お友達ですか」四蔵はいつものふんわりした笑みを見せた。
「すみません。すぐ帰らせますから」
「自販機の飲み物、何がおすすめですか?」加納は四蔵にまで絡み出した。
「え、裏の自販機? 私は買ったことないけど……」四蔵は首を傾げた。「コーラとかあるんですかね」
「よっしゃ。コーラ五十本買うぞお」加納は変な形に拳を突き上げた。
「いいから、そういうの」
「自販機行くなら、中、通ってったら?」四蔵は売場の方を示した。「外から回ると、遠いでしょう」
「ああ、そういえば通れるようになったんでしたね」
「え」四蔵はぴたりと動きを止めた。
「え?」私は相手の驚きように驚いてしまい、思わずまじまじと四蔵を見つめた。
「あの裏口って……今まで通れなかったんですっけ?」
「ああ、店長が防犯対策にワゴンを置いて、ロック掛けてすぐには動かせないようにしてたみたいです。それで警察に怒られたそうで」
「ああ……」
四蔵の目に一瞬、深い混乱が見えた気がした。
しかし、それ以上何か聞く前に、加納たちが私を引っ張って歩き出した。
「何、どこから出れば近いんですか? 店員さん、案内してくださいよ」
「十河君が持ってきた、その野球帽があったところ」私はメンズ服の列の奥を指差した。
服の列に囲まれた細い通路を行きながら、なんとなく振り返ると、四蔵はカウンターの向こうに入って次の作業に掛かっていた。こちらに背中を向けて備品を探しており、顔は見えなかった。
金属製のドアを開けると、日が暮れて薄暗く沈んだ喫煙所を、二台の自販機がもの寂しく照らしていた。私はなんとなく、また高橋が居座っているのではと少し身構えていたが、喫煙所は無人だった。
「じゃ、買ったらさっさと帰れよ」私は三人に向かって言った。
「もう戻るの? ちょっとサボってけよ」佐原が金髪を揺らして笑う。
「今、あのパートさんと二人だけなんだ。店長はこの時間夕食で……」
「ああ、美人と二人きりの時間を邪魔されたくないと?」
「違うって」私は溜息をついた。「流石に一人じゃ回らないし、防犯的にもまずい」
「あー。殺人事件があったばかりだもんな」
「いや、死んでないよ。失礼な……」
「そうだぞ、縁起でもない」と、自販機に向き合っていた加納が歌うように声をあげた。
「あ、俺の分、コーヒーな」横から十河が言った。
「いや、奢らねえよ」
「まあ色々アレだな」佐原は私に向かってヒラヒラと手を振った。「大変そうだな。無理せず頑張れよ。また遊びに来ていい?」
「もう来るな。はよ帰れ」
私は苦笑と共にドアを閉めて店内に戻った。
レジの方向から話し声が聞こえたので、私は小走りで服の列の間を抜けた。小太りの男性が何やら不満げな口調で四蔵に詰め寄っており、四蔵は困ったように眉の端を下げながらちらりと私の方を見た。
「お客様。どうされましたか」私は意識して少し高めの声で、横から割り込んだ。
小太りの男は振り向いた。よくいる喧嘩腰のクレーマーかと思ったが、男は落ち着きなく動く小さな目を泣きそうに潤ませて、「高橋に会わせてくださいよ」と私にも詰め寄った。
「高橋さんですか?」
「ここで働いてますよね? 大事な用事なので、会わせてください」
「今日はおりませんが……」
「じゃあ、いつならいるんです」
「いえ、いませんよ」四蔵が口を挟んだ。「持田君の言ってるのは、男の高橋さんでしょう。お客様の探してる高橋さんじゃないです」
「え?」
「どっちなんです。どういうことなんです」小太りの男はいらいらした口調で叫んだ。「高橋ヒナタに、会わせてくださいよ」
「その人はいません」四蔵はきっぱりと言った。
「辞めたってことですか?」
「とにかくいないんです。それ以上はお話しできません」
「なぜ話せないんですか?」
「とにかく、いませんから」
際限のない押し問答をしているうちに、店長が帰ってきた。
「あ、いらっしゃいませえ!」店長は野太い声を大袈裟に張り上げて、男に向かって会釈した。
店長の巨体が近づいてくると、小太りの男は急激に勢いを無くし、「もう、いいです」と言い捨ててもう一つの自動ドアから逃げるように帰って行った。
「まーた来たのか、あいつ」店長はその背中を睨みながら小声で毒づいた。
「常連なんですか」私は聞いた。
「午前組の高橋さんの、元彼というか、元彼ですらないのかな、付き合ってたと思い込んで粘着してくるストーカー」
「な……」予想外の情報ばかりで、私は反応に困った。
「あの人のせいで、午前組はシフト表に載せないことになったんですよ」四蔵がなんだか申し訳なさそうに肩をすくめて言った。「前に
「まったく、くだらねえ奴ばっかりだよ」店長は舌打ちしながら伝票のチェックを始めた。
「……だから、シフト表に高橋(一)って書いてあったんですね。もう一人と区別するため」私はずっと頭の隅にあった違和感に思い至った。
「ああ、まあ、名字被り多いんだよな、この店」店長は頷いた。「午前組は持田君とは時間被らないから、シフト分からなくても問題無いだろ。今後もあいつが来たら『そんな人知りません』で通してくれ。実際ほんとに知らないわけだし」
「わかりました」知らないことについて知らないと言い張るだけなら、嘘をつく必要もないので気が楽だ。
しかし、同じ店で同じ仕事をしているはずのスタッフたちの、顔も名前も、その存在すらも知らないでいられるというのも不思議な話ではあった。
その日、四蔵は体調が良くない様子で、店長に促されて私よりも早めに上がっていった。
そして、それきり店に出てこなくなり、翌週にはシフト表から消されていた。
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