4.裏口

 幹線道路沿いの古着屋に強盗が入った事件について、ニュースサイトの「地域」カテゴリにごく短い記事が掲載された。事件のあらましを機械的に述べるだけの短文で、ユーザーコメント欄に「近所でびっくり」というコメントがひとつ付いたきり、他の記事に押し流されてしまう程度のものだ。それでも、ニュースに取り上げられたのは店長に言わせればらしい。付近の店でも定期的に窃盗の被害は出るが、注意喚起が回るだけで、わざわざニュースにまではならない。今回の事件が特別に注目されたのは、従業員に被害が出たからであり、「とうさんの犠牲のおかげで当店は一気に名を売った」と、店長はまったく悪びれずに言った。


 佐藤寺朋美は搬送時はかなり危険な状態だったようだが、発見と治療が早かったのが幸いして順調に回復し、翌日には意識も戻ったようだった。子供は実家の両親、子供にとっての祖父母が預かっているらしい。


 発見時、店舗にいたのが私とくらだけだったので、警察から何回かに分けて話を聞かれた。最初は店長室に立ち会って、実際の現場を見ながら佐藤寺を発見したときの様子、向きや姿勢、ドアや窓の様子を細かく聞かれた。突っ込まれて聞かれると意外と覚えていないもので、佐藤寺の身体が右向きだったか左向きだったか、私はどうしても思い出すことができなかった。確かにこの手で彼女の頭を持ち上げたはずなのに、その顔をどちら側から覗き込んだのだったか。力の抜けた人間の頭は石のように重い、と考えたことだけ覚えていた。


 その後、当日に一回、翌日にも二回、佐藤寺を発見するまでの流れを確認された。私が店舗に入ってから佐藤寺を発見するまでは十分も経過していないはずで、その間の足取り自体は間違いようもなかったが、割としつこく聞き直されたのはその直前に喫煙所で高橋と会っていた件だった。


「高橋、カズキさんですね」三度目に私に話を聞いたかなり年配の刑事が、酷く難しい顔をして念を押した。

「下の名前は存じ上げないのですが、たぶんそうです」私はシフト表の「高橋(一)」という欄を思い返して言った。

「変なことを聞くようですけど、その人は自分がこの店の従業員の高橋だと、そういうふうに言いましたか?」

「ええと……どういうことでしょう」思わぬことを聞かれて、私は混乱した。

「まったくの他人なのに、高橋カズキさんのふりをしていた可能性は」

「いえ、まさか」なぜそんな疑いを持たれるのかわからなかった。「しょっちゅうあそこで会いますから。間違えるはずないです。店長に聞いてもらえばすぐわかります」


 その店長は、事件のあった時刻の前後二時間ほど、消耗品を買い足しに出掛けていた。店舗の責任者ということであれこれ確認をされたようだが、事件に直接関わるような質問は特にされなかったらしい。

 ただ、非常口として消防に届け出ていた店舗の裏口を、メンズ小物のセールワゴンで塞いでいたことが発覚し、事件とは関係なく注意を受けた。そこから万引き犯が逃げるから嫌なんだ、と店長はブツブツ言いながら、とりあえず申し訳程度にワゴンと壁の隙間を開け、非常口を示す緑色の誘導灯を隠していた幟旗も撤去した。


 高橋とはなかなかシフトが合わず、喫煙所でまた顔を合わせたのは事件から一週間後だった。


「災難だったらしいね」高橋は私の顔を見ると破顔し、片手をあげた。

 空が重く曇って、小雨が降っていた。湿気のせいで蒸し暑く感じる。

「警察が高橋さんの存在を疑っていましたよ」

「え、そうなの? なんで俺?」

「さあ。そちらに刑事が行きませんでしたか?」

「来たけど、特に話ってほどの話も無かったかなあ。確かに事件のあった頃に喫煙所に居たけど。こっち、裏側だから別に出入りもできないし……」


 高橋がそう言った途端、目の前の鉄製のドアが勢い良く開いて、店長の巨体がよろけながら飛び出してきた。


「ぬわっ」高橋は変な声をあげて肩をすくめた。

「うわなんだ? 高橋じゃん」店長は呆れたような顔をし、「てんめえ、まだそこに居るんなら手伝えよ」

「いやいや、もう充分ですって。勘弁してくださいよ」

「じゃとっとと帰れ。用もないのに居座るんじゃない。持田君に何か吹き込んでたな、さては」

「それより、大変だったそうじゃないですか、佐藤寺さんが……店も大丈夫なんですか? こんな普通に営業してて」

「別にいいだろ、いい宣伝になったし。こっちは後ろめたいこと何もないんだし。犯人も防犯カメラに写ってたしな」

「なんだ、そうなんですか?」

「そう、三人映ってた。最近ここらへんに進出してきた窃盗団だってさ。捕まるかどうかはちょっとわからんとか。まーどこの国とは言わんが、中国人の」

「言ってるじゃないですか」


 窃盗団の話は以前からたまに耳にしていたが、営業中の店舗に押し入って店員に危害まで加えるケースは今までに無かった気がした。もしかしたら、実際は何度かあったのかもしれないが。普段から熱心にニュースをチェックしているわけではないし、「地域」カテゴリの短文ニュースなら見落としていてもおかしくはない。ここ一週間に来ていた客も、「なんか事件あったんだって?」と聞いてくる者がたまにいる程度で、あとの客はあまり気にしていないか、そもそも事件があったことを知らないように見えた。


「持田君は今から出勤だよね。こっちから入りなよ」店長は開けたままのドアをパタパタ動かした。

「そこ、また通れるようになったんですね」高橋が言った。

「だって警察に怒られたから。避難経路塞ぐなって」

「まあそりゃ、そうですね」

「けどここ塞いでたおかげで、犯人は行きも帰りも防カメに映ったんだぜ。正面の自動ドアを通るところがバッチリとな。捜査に貢献したんだからちょっと褒められてもいいくらいなのに」

「それとこれとは別でしょう。ていうか、防犯カメラ増やしましょうよ。奥のやつ相変わらずダミーなんですか?」

「だって、高いんだもの」

「ケチってる場合じゃないでしょう。店員殴られてるのに」


 小降りだった雨がだんだん強まってきていた。店長にドアを開けさせたままでいるのも気がひけて、私は早めに出勤することにしてそのドアから入った。


 メンズ小物のワゴンに、大量の野球帽が積み上がって山をなしていた。白地のシンプルなデザインで、知らないロゴが入っている。

「これ、どうしたんです」

「ああ。大量に売りに来た人がいて。断捨離なのか、なんなのか」

「ひとチーム分どころじゃない数ですけど」

「まあ、安けりゃ売れるだろう」店長の言うことは常に売上とコストのことばかりだった。

「そういえば、盗られたものは無かったんですか?」私はずっと確認し忘れていたことを聞いた。「犯人は佐藤寺さんを殴って逃げただけですか?」

「いや、金庫」店長は素っ気なく言った。

「え?」

「金庫を盗られた。丸ごと」

「えっ……じゃあ、中身も、全部ですよね」

「そうだな」店長はわざとっぽく澄ました口調で言った。

「ええと……それって大損害なんじゃ」

「まあ、保険が効くから、なんとかなる。付けてて良かった、通貨等特約」店長は何かのCMのように節をつけて言った。

「……怖いですね、窃盗団って」私は言った。

「まあ、奴らはプロだからなあ。嫌なプロだが。佐藤寺さんは無茶苦茶怖かったろうな。持田君も発見者になってびっくりしただろうけど……」店長は急に申し訳なさそうな目になり、じっと私を見下ろした。

「いえ、自分は別に……何もできず」

「佐藤寺さんが戻ってきたら、フォローしてあげてな。もうかなり回復して一般病棟に移ってたよ。しばらくは検査とリハビリだそうだが、昨日見舞いに行ったら元気そうにしてたよ」

「そうですか」

 元気そうだがリハビリが必要、というのがどんな状態なのか、私にはうまく想像できなかった。あんな目に遭って、佐藤寺朋美はまだこの店のスタッフとして復帰するつもりがあるのだろうか。本人にそのつもりがあっても、実際それは可能なのか。

「まあ、気負わないでな。持田君が入ってくれてうちはとても助かってるんだ。だからバックレるなよー」

 店長は冗談めかして私の肩を叩くと、店長室の方へ去っていった。

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