いつでも夢を

「まだ3月下旬だよな。暑すぎない?」

「うん、これじゃあお花見までに桜も散っちゃうかもね」

夫婦だろうか。

若い男女が話していると、そばにいる小学一年生くらいの女の子が憮然とした表情で言った。「えー!お花見お花見!やだやだ」

「仕方ないでしょ!その時はおっきい公園に遊びに行くぞ」

「やだ!お花見!」

「仕方ないの!行くよ!」

「良かったら、代わりに緑地公園に行こうか?お花見がてら」

「そうね。せっかくだもんね。それでいい?」

「うん!公園行く!」

先に歩き出した母親らしき女性に強い口調でたしなめられた女の子は、優しく微笑む父親らしき男性と、厳しい表情をすぐに崩して笑顔になった母親の後を、同じく笑顔で追いかけて歩いて行った。

春か・・・

幸寿は親子の姿を見ながら、春特有のむっとするような暖かい空気と花の香りを吸い込んだ。あの時間。

自分の人生で最も大切だった時間。

それは冬の出来事だった。

そして冬は過ぎた。

あの日。

鈴音の心臓に自らの手で短刀を刺した幸寿は、鈴音が動かなくなった後、呆然としながらも鈴音に言われたとおり後ろにある引き出しを開けた。

すると鈴音の言葉通り中には長さ20センチ深さ10センチほどの箱があった。

開けてみると、中にはイヤリングが入っていた。

あのサービスエリアで鈴音にプレゼントした物だった。

そして他には液体の入った小瓶と、折りたたまれた手紙が入っていた。

震える手で手紙を開いた。

読んでいく内に幸寿は手が震えてくるのを感じた。


幸寿様


この手紙を読む頃にはすずはあなたの手にかかっているはずでしょう。

でも、それは私がずっと願って来たことなので、どうか気に病むことないよう。

死では無く、解放なのですから。

あなたを初めて見たときから、この忌まわしい生に終わりをもたらして頂くのはあなたを置いてないと勝手に決めていました。

本当にすいません。

でも、あなたと出会って本当に幸せだった。

幸寿様のおかげで私は少女になれたし、愛する人と結ばれる事も出来た。愛する人をカフェで自分のコーヒーでおもてなしする。

そんなささやかな夢も叶えて頂いた。

そんなあなたにお礼をすることが出来ず、なんとわびれば良いか分かりません。

お許しください。


そして、図々しいにもほどがありますが、この手紙を読んだ後でいくつか行って頂ければ。

一つ目は、箱の中の薬を飲んでください。

これは解毒剤です。

吸血鬼のウイルスの。

あなたの中に入って居るであろうウイルスを消すことが出来ます。

これであなたは人のままです。

二つ目は、隣の部屋に私の部屋がありますが、その中に鉄製の箱があります。

中には液体で満たされているはずですが、その中に私を沈めてください。

そうすれば死体は溶けて消え去ります。

幸寿様の衣類も血で汚れているはずなので、それも一緒に。

着替えは隣に置いてあるので、それに着替えてください。

これでこの件は表に出ることはありません。


最後のお願いです。

中に入っているイヤリング。

もしかしたら見るのもお嫌かもしれませんが、持っていて頂ければ。

私にとって一番大切な宝物。

幸寿様に持っていて頂ければ。


短い間。一冬の間でしたがすずは本当に幸せでした。

私たちの間に起こったことは、夜明け前の残夜のように儚い、朝になったら忘れられてしまうような朧気なものだったかもしれません。でも、私にとっては光に溢れた時間でした。

あのとき一緒に見たパレードの光のように。


幸寿様

どうかお幸せに。

愛する人と巡り会い。共に生きて最後の時を迎えられる家族を持ってください。

すずの叶わなかった願いを代わりに叶えてください。

ありがとう。

心から愛していました。


金崎鈴音


手紙を読んだ幸寿はそれを懐にしまうと、鈴音を抱きしめた。


幸寿は目の前の桜の木をぼんやりと眺めた。

枝にはすでに蕾が出来ている。

あの親子の言うとおり、桜は早く開花するだろう。

桜が咲く頃には・・・

そんな事を考えていると、幸寿は自らの手がそっと握られているのを感じた。

いつの間に。

「まだ外に出ちゃ駄目だよ」

優しく微笑みながら、幸寿は隣の人影に向かって言った。

人影はふふっと笑った。

「ごめんなさい。でも一緒に見たかったから」

「僕も一緒に見たいよ。でもせっかくだから、桜が咲いた頃に一緒に見よう。その頃には君の傷も治っている。だろ?鈴音」

鈴音は幸寿の手を握ったまま、幸寿に寄りかかった。


あの日・・・

幸寿は鈴音を抱いたまま、何も考えられずにその場にいた。

鈴音を、愛する人を自らの手で殺した。

そしてその遺体を自らの手で葬らないと行けない。

そんな事に耐えられるとは思えなかった。

やがて一つの考えに至った幸寿は、物言わぬ鈴音の体を布団に横たえた。

そして、鈴音を殺めた短刀をじっと見つめた。

そして、みずからの首に押し当てると、そのまま引いた。

その途端、信じられないほどの勢いで血が噴き出した。

これでいい。

解放された彼女がどこに行くのかは分からない。

でも、自分も共に行くことが出来るのでは。

そう思うと、驚くほど急速に冷えていく自らの体も首元の痛みも気にならなかった。

だが、幸寿の意思に反して血は流れるが、一向に意識が遠のかない。

これは・・・一体。

その時。

「そう簡単に死ぬことはできません」

聞き終えのある声が頭上から聞こえた。

驚いて見上げると、五郎丸が見下ろしていた。

酷く哀れみに満ちた目をしていた。

「物語のように、人は自らの手で致死量の血液を出せるほど切ることは出来ません。残念ながらあなたの傷は致命傷にならない」

呆然と自らの喉に手を当てると、まだ血は出ていたが最初よりは収まり始めていた。

「幸寿さん、そんなに鈴音さんの事を」

「僕には鈴音を一人にすることは出来ない。鈴音と共に生きる事が出来ないなら共に死にたかった」

だが、それも叶いそうにない。

「鈴音さんから離れられる最後のチャンスなのですよ?」

「そんな人生に意味なんて無い」

その言葉に五郎丸は深くため息をついた。

「その言葉に偽りはないですか?」

どういう意味だ?

その言葉の意味を図り兼ねながらも幸寿は頷いた。

「そのまま横になってください」

言われるままに横になった幸寿を置いて、五郎丸は隣の部屋から何かを持ってきた。

それは日本の点滴スタンドだった。

点滴らしき器具が付いている。

「鈴音さんはあなたに一つ嘘をついていた。それは、これまでの私の体を使った実験。それは私自身が自らの手で行っていたのです」

え・・・

「それはどういう・・・」

「言葉通りの意味です。鈴音さんは当時、狂気に落ちていた。そのため冷静な理解力や判断力を失っていた。私は鈴音さんへの罪滅ぼしのため、あの人の望みである吸血鬼の体の分析を自ら行っていた。その成果を鈴音さんに伝えていたのですが、吸血鬼や心の底で私への復讐心を持っていた鈴音さんは、自らの手で行っていたと思い込んでいた」

鈴音は何もしていなかったのだ。

幸寿は心の奥がじわりと暖かくなっているのを感じた。

「なので、私は吸血鬼の体の構造や外科的処置も知り尽くしている。鈴音さんは・・・助かります」

「それは・・・本当に?」

「あなたが素人なのが幸いしました。そのため短刀の差し方が甘かった。訓練を受けていない人間が人の心臓を刺すというのは簡単ではありません。ただ、このままでは短刀の毒によっていずれは鈴音さんは死ぬ」

「鈴音を・・・助けてほしい」

「いいのですか?鈴音さんを助けると言うことはどういう意味か分かっていますか?鈴音さんを助けたがあなたは居なくなる、と言うことは許されない。あの人をこの世界につなぎ止めるのであれば、もう独りぼっちにさせては行けない。それではあまりに可哀想だ。だから・・・その時は」

「鈴音と朽ち果てるその時まで共にいる。木偶になってもかまわない」

「本当にその覚悟はあるのですか?最後の確認です」

「頼む。悔いは無い」

五郎丸は笑顔で頷いた。

「分かりました。では今から鈴音さんの心臓手術を行います。そして、その後あなたに鈴音さんの血液を輸血します。それによってあなたは吸血鬼か木偶になる。それで良いのですか?」

幸寿は無言で頷いた。

自分でも驚くほど迷いが無かった。

自分はずっとこうなることを望んでいたのかもしれない。

「では、今からあなたに麻酔を打ちます。目覚めたときには新しい世界があります」

そう言うと五郎丸は初めて見る優しい微笑みを浮かべた。

「もう二度とお会いすることは無いでしょう。私の存在は鈴音さんにはもう必要ない。有り難うございます。鈴音さんを頼みます」

そう言うと五郎丸は幸寿の腕に注射を打ち込んだ。

目の前が酷く回っている。

回りながら暗闇に引きずり込まれているような。

だが、その暗闇はほのかに光が差しているように思えた。


鈴音の肩を優しく抱きながら、幸寿は再び木々の空気を吸い込んだ。

気のせいか感覚全般が敏感に思える。

「幸寿様こそ無理しないでください。まだ・・・その体に慣れてないはずなので」

「大丈夫。君に比べれば」

「私はもうほとんど良いです。でもあなたに何かあったら・・・」

「有り難う」

幸寿はそう言うとまた顔を上げて周囲を見回した。

「そろそろ行こうか」

この町にはもう居られない。

自分の事を知っている『人間』のいるこの町には。

「ごめん。僕に付き合わせて。せっかくのカフェが」

「いいんです。カフェはまた出来ます。・・・今度はあなたと一緒に」

幸寿は頷いた。

自分たちには時間はいくらでもあるのだ。

焦ることなど無い。

二人はお互いを支え合うように寄り添いながら車に向かった。

【終り】

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残夜 京野 薫 @kkyono

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