赤い着物

幸寿は何かの中に沈んでいた。

それは目や首をいくつも持っており、アメーバかと思うような体だった。

そんな生き物がいくつも集まり沼のようになっている場所に胸まで沈んでいた。

苦しい。

その首は見覚えがない物ばかりだったはずだが、新しくその何かが出てくるたび段々見覚えがある物が増えてくる。

自らの妻や娘。両親。学生時代の友人や教師。

次に出てきたのは五郎丸と見覚えの無い顔。

だが、幸寿はなんとなくそれが康輔だと感じた。

確かに自分に似ている・・・

そして新たに出てきた何かに着いていた首は・・・

「鈴音!!」

 幸寿は目を開くとそのまま視線をぼんやり彷徨わせた。

目に飛び込んだのは木製の天井だった。

そして、布団の中に横たわっていた。

夢・・・

幸寿はホッとしたが、すぐに我に返り動揺した。

ここはどこだ?

確か、自分のアパートに帰って来ていたはず。そこで鈴音の声を聞いて・・・

と、言うことは鈴音の家。

幸寿はゆっくりと起き上がろうとしたが、その時刺すような頭痛を感じ再び布団に倒れ込んだ。

「痛い・・・」

そうつぶやいたとき、部屋の右側から声が聞こえた。

「まだ薬が残っているのです。無理なさらないで」

声の方を見ると、和服姿の鈴音がいた。

真っ赤な柄の美しい色合いの物だ。

この柄・・・どこかで。

鈴音は幸寿の視線に気づくと、優しく微笑んだ。

「嬉しい。気づいてくださったのですね。これはあの日、兄様に見て頂くために用意していたお着物です。ボロボロになっちゃったけど、頑張って直したんです」

そう言うと鈴音はゆっくりと近づいてきた。

「いつか、人生を共に歩める方に会えたとき。その方にお見せしようと決めてたんです。あの日、叶わなかったけど次の時は必ず、と」

赤い着物を着て花の模様をしたガラス玉をあしらったかんざしをつけていて、薄化粧をした鈴音。

それは今まで見たどの姿よりも綺麗で、引き込まれるようだった。

だが、同時に言い様のない恐ろしさも感じていた。

幸寿は自分が何か・・・自分がどうすることも出来ないような大きな物に取り込まれるような。

鈴音は幸寿の横に正座すると、そのまま顔をのぞき込んだ。

「幸寿様。可哀想に。せっかく私たち一緒に新しい幸せを。生活を作ろうとしていたのに、水を差されてしまって」

幸寿は全身が総毛経つのを感じた。

鈴音はやはり聞いていたのだ。あのカフェでの五郎丸とのやりとりを。

「あの男。私が何かを手に入れようとすると奪って・・・」

鈴音は無表情でつぶやくと突然右手に持っていた何かを壁に向かって勢いよく投げつけた。

それは跳ね返ると幸寿のまえに転がった。

幸寿は視線の端でそれを捉えた。

そして少しの間を置いてそれが何か理解すると共に、声にならない悲鳴を上げた。

それは手だった。

皺の入った初老の男性の物。

幸寿はすぐにそれが誰のものか理解した。

「君は・・・」

「私に隠れてこそこそ何かしているようだったので。私を欺くことが出来ない事なんて分かっているのに、それでも幸寿様に伝えようと・・・まるで私が化け物みたいに」

そう言うと懐から取り出した短刀で五郎丸のものであろう手を何度も突き刺した。

その表情は、幸寿の知っている鈴音とは思えなかった。

幸寿はそんな表情の鈴音を見ていることが出来ず、必死に声を出した。

「やめろ・・・」

鈴音は呆然と幸寿の方を見た。

「なぜ?なぜ私を止めるの?こいつは私から幸寿様まで奪おうとしたのですよ?私には・・・」

そう言うと鈴音は幸寿を見ながら言った。

「幸寿様。私と同族になってください。私と共に生きて死んでください」

「だが・・・木偶になるかも」

「それでもすずはあなたを大事にします。意識なんて・・・私たちのつながりはそんな物必要ありません。それに・・・」

鈴音は目に妖しい光を浮かべながら薄笑いを浮かべた。

「もう幸寿様はすずの体液をこれまで充分に受けております。もう少しで完全に私の物になるのですよ。ここまで来たら引き返せません。もうちょっとだけ我慢して頂ければ」

やはり。

幸寿は愕然となりながら鈴音の言葉を聞いていた。

五郎丸の言ったとおりだった。

鈴音は木偶になる可能性の方が遙かに高いことを自覚している。

いや、いっそその方が自分から確実に離れないと思ってるようだ。

一時期の幸寿ならそれもいいかもしれないと思えた。

だが、五郎丸への行為。そして今までに見たことの無い鈴音・・・こちらがもしかしたら本来の姿なのかもしれないが、それを見た事で、幸寿の目に映る鈴音の姿に変化が生じていた。「ごめん・・・僕は、死人のように生きることは・・・出来ない」

鈴音は目を見開いたまま幸寿を見ていたが、やがてぽつりと言った。

「あなたまで」

そう言うと鈴音は幸寿に向かって短刀を振り上げた。

幸寿は半ばパニックになりながらも、頭の隅で体が動くようになっていることを感じた。

幸寿は鈴音に向かって飛びかかると、鈴音はバランスを崩して後ろに倒れ込んだ。

幸寿は、力の限りを振り絞って立ち上がると部屋を出た、一階に降りれば出口は近い。

だが、部屋を出ようとしたとき背後から鈴音の声が聞こえた。

それはまるで叫び声のようだった。

「私には、あなたしか居ないのに!化け物じゃ無い、って言ってくれたのに!」

その悲痛な響きに思わず足を止めた時、鈴音が覆い被さってきた。

振り返った時、鈴音が自分に向かって短刀を今にも振り下ろそうとしていた。

駄目だ・・・

自分はこのまま・・・死ぬ。

その時、幸寿は胸のあたりに堅い物を感じた。

これは。

半ば無意識に幸寿は懐の短刀を取り出すと、鈴音の心臓に向かって突き出した。

だが、間に合わない。

鈴音の動きの方が遙かに早かった。

死ぬ・・・

だが、幸寿の頭には心地よい諦観もあった。

鈴音の手によって死ぬのならそれも仕方ないかもしれない。

だが、次の瞬間幸寿は自分の目を疑った。

「なぜ・・・」

幸寿の短刀が鈴音の心臓に刺さっていたのだ。

自分の動きよりも鈴音の方が明らかに早かった。」

だが、鈴音の短刀が自らの喉に迫っていると感じた時、鈴音の腕の動きが急に遅くなったのを感じたのだ。

まるで幸寿の短刀を待っているかのように。

短刀から視線をあげた幸寿はギョッとした。

鈴音は・・・泣いていた。

子供のように涙を溢れさせていたのだ。

「言ったでしょう。私にはあなたを殺せない」

「君は・・・僕に」

鈴音は短刀をわざと止めた。

いや、今思えば幸寿の体当たりもわざと受けたのかもしれない。

以前、鈴音の回想を聞いていた幸寿は、鈴音が本気であれば自分の動きなど封じられるし、とっくに命を奪うことも出来ているはずだとようやく気づいた。

鈴音は自分にわざと刺されようと・・・

「幸寿様にも見捨てられたら私は本当に独りぼっちになっちゃう。五郎丸ももう居ない。動けないようにして二度とあんな馬鹿なことをさせないように・・・それだけだったのに、自分で腕を切ってどこかに。私を見捨てて」

彼は生きていたのか。

鈴音は彼を殺していなかった。

「もう独りぼっちはいや」

幸寿は鈴音の胸からあふれ出てくる血を呆然と見ていた。

それはドラマや映画で見ていたよりも暴力的に鮮やかで、現実感を奪っていた。

「幸寿様に殺めて頂くならすずは・・・幸せです。ずっと夢でした。愛する人にすべてを終わらせてもらうことが」

「駄目だ。こんなのは」

幸寿は声を震わせながら言った。

首から上が酷く冷たい。頭の芯が痺れているようだ。

「巻き込んですいませんでした。でも、幸寿様にしかお任せできなかった。あの日から・・・ずっと殺めて頂く事を願っていたのです。だから、ご自分を責めないで。すずが望んでた事」

「じゃあ僕はどうなる・・・君を自分の手で・・・どうやって生きていったら」

だが、鈴音はそれには答えなかった。

ふと鈴音の顔を見て幸寿はギョッとした。

酷く土気色になっている。

すでに血も流れていない。

「もう少しだけこうしておそばに居させてください。もうちょっとだけ・・・そして、全て終わったら、あそこの一番上の引き出しの中に小箱が・・・それを開けてください」

「駄目だ!鈴音!」

「こんなに幸せだなんて・・・嬉しい」

そう言うと鈴音は、消え入りそうな声で何かを歌い出した。

それはあの歌。テーマパークに向かうときのサービスエリアで、歌った歌だった。


いつでも夢を。

いつでも夢を。

星より密かに。

雨より優しく。


幸寿も泣きながら歌った。

やがて歌が聞こえなくなると、幸寿は鈴音に口づけをした。

だが、それは酷く冷たく無機質に感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る