最終話 例え小さな存在でも

 光に包まれた水彩が見たのは、幼い頃の自分だった。森の中で道に迷い、一人で泣きながら歩いていたあの日、彼女は運命的な出会いを果たす。

 たった一匹の蛇が寄り添ってくれた。普段ならば怖いと遠ざけたはずの蛇を、あの時の自分は何故受け入れたのか。今ならばわかる。


「……あなたは、要様だったんですね」


 木陰で眠る自分の傍らにうずくまる蛇の頭を撫で、水彩は呟く。気付けば、彼女が撫でているものは今の姿の要だった。

 目を閉じ、微動だにしない要。もうあの美しい深紅の瞳を見ることは叶わないのだと思うと、水彩は胸が苦しくなるほどに辛かった。


「何で……何でわたしを都に呼んでしまったんですか? 呼ばれなければ、会うことも、こんな気持ちになることもなかったのに」


 吐露したのは、本心ではない。しかしそうとでも言わなければ、この恨みがましい気持ちを言い表す術はなかった。

 呼ばれなければ、会わなければ。思えど、それは本当の気持ちでは決してない。


「……嘘です。貴方に会えて、わたしはとても幸せです。幸せですから、置いていかないで」


 溢れた涙が零れ落ち、要の血の気のない頬へと伝う。ボロボロととめどないそれを流れるがままに任せていた時、水彩の耳に何かが響いた。


「――みず、さ」

「要様……?」


 僅かに開かれた深紅の瞳が水彩を見上げ、揺らめく。囚えられた水彩は、二の句が継げずに要に抱きついた。


「簡単には死なないよ。俺はこれでも龍神なんだから」

「要様、わたし……」


 上半身を起こし、要は水彩を抱き止める。確かに暖かい生きている証を感じて、水彩の言葉は嗚咽おえつに変わった。

 徐々に光は薄くなり、周囲が明らかとなっていく。水彩は泣いていて気付かなかったが、風花と火沢、土宿が顔を見合わせ笑っていた。


「今度こそ駄目かと思ったぞ、要」

「風花」

「要様、凄いんですよ。結界がこれまでになく強くなって、豊原国全体を覆ってるみたいです」

「火沢」

「ぼくらの傷もほとんど癒えて……これは、要様の力ですか?」

「土宿。……いや、俺じゃないよ」

「では……」


 土宿たちの視線が、要にしがみつく水彩へと向けられる。要は明確には答えず、小さく微笑んだ。


「『御子』が目覚め、現世の守りは更に強まった。今はそれだけを明らかにしておこうか」


 ぽんぽんと水彩の背を撫でながら、要は穏やかに言った。疲れを顔に映しながらも、彼の表情は落ち着いている。


「……まあ、お前たちが生きていてほっとしたよ」

「きみもね、風花」


 昔馴染の気のおけない会話を聞きながら、火沢と土宿も笑い合う。


(要様も、火沢も、風花殿も、土宿殿も……生きてる。よかっ……た)


 四人が傍にいる。それだけで、水彩は心の底から安堵した。安堵すると同時に、とてつもなく強い眠気に襲われる。

 そのまま、水彩は眠りへと落ちた。




 赤羅たちとの戦いから、ひと月が経とうとしている。

 あの戦いの後、豊原国はより強固な結界に覆われた。澱みの影はほぼ排除され、人も他の生き物も黄泉の影に怯えずに暮らしている。

 結界を創ったのは『御子』である水彩だと要は言う。彼女の力が真の意味で目覚めたことにより、黄泉国に対抗し得る守りの力を得たのだと。


「水彩が眠くなったのは、突然目覚めた力を限界まで使った影響だ。今は、少しずつ力の使い方に慣れていけばいい」

「はい」


 いずれ、望まずとも黄泉国とは再びぶつかる。それまでに出来ることは全てやっておこう、と要は言った。

 水彩は、頷く。彼女の膝の上には、小さいが白く美しい蛇が乗っている。


「ところで水彩。そろそろ下りても……」

「わたしが乗せたいだけなので、お気になさらず」

「……そうか」


 蛇の正体は要だ。あの戦いにおいて大怪我を負って生死を彷徨った彼は、蛇の姿になることで力の回復を図っている。全ての力が戻れば、おのずともとの姿に戻ることが出来るだろう。

 水彩は照れて口数の減った要の頭を撫でながら、仮の清涼殿の庭先に目を向けた。あの日木っ端微塵に壊れた内裏だったが、少しずつ建て直しが進んでいる。要たちは史年らの指示で、都北側に作られた別邸に身を寄せていた。庭先では、守り人の三人が手合わせをしている。


「風花殿っ、傷が開きますよ!?」

「そのオレに容赦なく叩きつけてくるのは何処の誰だ!」

「さあ、誰でしょう?」

「ふふっ。二人共、気を散らしたら駄目ですよー」


 傷が深かった風花たちだが、水彩の力を受けてほぼ全快している。大事を取って少し休んでいたが、体がなまるからとすぐに鍛錬を開始した。

 都は少しずつ、もとの様相を取り戻すだろう。しかし、と水彩は顔を曇らせた。


(黄泉国は、こちらを諦めたわけじゃない。あの未来も……まだ変えられたという確信はない)


 黄泉に攻め込まれ、大切な人たちを失う未来。その夢は今でも時々水彩をむしばみ、気を落とさせる。

 それでも、と願う。望んだ未来とたどり着く未来が同じものであるように、と。


(要様、貴方の笑顔をもう一度見たいから。わたしも、精一杯やってみます)


 例え今は小さな蕾のような想いでも、いつかこの世界すらも変えてみせる。水彩は思い新たに、澄み切った空を見上げた。

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未来を視る娘は龍神の幸せを希う 長月そら葉 @so25r-a

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