『人生はままならぬ―人生の選択のできなさとかを考える―』
小田舵木
『人生はままならぬ―人生の選択のできなさとかを考える―』
人生はまだまだ続く。この言葉にどれだけ絶望させられてきたか。
良いよなあ。物語の主人公は。エンドマークが出ればその後の人生は考慮されない。
僕の人生はまだまだ続いている。それを思うと憂鬱どころの話じゃない。
人生はよく物語に
僕の人生にはドラマがなく。ただただ平坦な日常描写が続いていく。
映画で言うとダレ場が延々と続いていく感じ。
僕はこのダレ場が大嫌いだ。締まりのないシーンの連なり。それが僕の人生で。
僕は締まりのないシーンで締まりのない人生を送っている。
撮影監督も
人生を淡々と生きよ。我が両親はそう言うが。
僕は死ぬほどの飽き性であり。淡々と物事をこなすのには向いてない。
生まれてくる性格を間違ったなあ、とよく思う。
皆さんはどうやって人生を生きていますか?
僕はそう問いたくなる。問うたら何か良い答えが出てくるような気がして。
それとも。我が両親のような答えをくれるのだろうか?
僕の人生は僕のモノだ。人生は自分のモノだとよく言う。
だが。僕は人生をコントロール出来た試しがない。当たり前の事だって?そりゃそうだけどさ。
物語の主人公みたいに一大決心をしたことがないのだ。僕は。
常に流されるように生きてきた。これを聞いた君は。僕が人生をサボっているから、と言うだろう。確かにそうさ。僕は人生に対して真摯じゃなかった。
だけど。どうすれば良かったのか?
僕は僕の外の物事に押し流されるように決断をしてきた。
んで。今の状況がある。情けない限りである。
◆
僕は生まれた時から人の都合に合わせて生きてきた。
子どもの頃は両親の転勤に付き合い。会社に入ってからは自分の転勤で動き。
会社に入っての転勤は―断ることも出来ただろうが。その時点で断ることの出来ない状況に追い込まれていた。僕がその話を断れば。出世もできないし、会社での居場所をなくす他なかった。
転勤をした後の僕も選びようのない人生を送った。
置かれた環境に適応せよ。人はそう言うが。置かれた環境が悪すぎると選びようが無いじゃないか?
僕は転勤先で。ヒラの社員なのに色々と仕事を押し付けられ。段々とストレスを溜めて。ある日。それが爆発した。大事件を起こしたのだ。
大事件の事は詳しく書かない。だが。僕はそれを起因にその会社を辞めた。
会社を辞めた後は実家に帰るほかなく。
そこで転職を図るのだが。ロクな求人はなく。ハローワークの中にある適当な求人に応募する他なかった。
その会社は。見事なハズレだった。劣悪な環境。劣悪な同僚。そしてガバナンスガバガバの社内。今日日、年末のボーナスで自社の製品を買うことを強要する会社があるのだろうか?某●●●政じゃねえんだから。
僕はその劣悪な会社2年頑張ったが。溜まるストレスが僕の脳を破壊し。
僕はうつになってしまった。最初の2ヶ月は休職を許されたが、2ヶ月が過ぎると、実質的な退職勧奨をされ。僕はその会社も去るしかなかった。
…ここまで僕は他責的に書いてきた。
だが。こんな状況に
僕が自分で人生をキチンと選ばなかったから。このような状況に陥ったのだ。
でもさあ。同時に思うのだ。僕には選びようがなかったと。
ただ。流されるように決断し。生きる他なかったのだと。
◆
僕は人生に対する誠意が足りてないのではないか?
よく考える。特にうつになってから。
僕はちゃらんぽらんな人間で。決断すべき状況で考えるのをサボりがちだ。
押し流されるような選択肢でも。もっとまともな人間は、よく考えてから行動しているような気がするし。押し流された先でも我慢強く生きている気がする。
…そう。僕には人生に対する誠意が足りていない。
人生にガチになれないのだ。どうしても斜に構えてしまう。
「どうせ。こうするしかないんでしょ?」僕は常に選択肢に対して、こう考えてきた。こういう風にクールに対する事が格好いいと考えていたからかもしれない。
だが。それは間違いだった。人生に対して斜に構える者には―天罰が下るモノなのだ。
その天罰は
人生を舐めたクソ野郎。それが僕だ。
どうせ長生きしないからと、人生に対して舐めた事ばかりしてきた。
いつか自殺するか、煙草の吸い過ぎで肺気腫になるか、アルコールの摂取しすぎで肝臓をいわすか。このどれかで早死する事ばかり考えてきた。
だが。もう30を超え。デブろうがのうのうと生きている。話が違うじゃないか。
僕は人生に対して舐めた真似をし続けて生きている。
こんな僕に生きる価値はあるだろうか?
…恐らくない。早々と死んだ方が世界のプラスになる。僕がいない分、色々なモノが浮くからね。
◆
うつになったから、上記のような考えが浮かぶのか否か。
それを判断する
そしてその壊れた脳で物事を判断する他ない。
うつ。人生を舐めた僕に与えられた業。
僕はコイツを『バカ』になることでやり過ごそうと考えているが。
『バカ』になるのも中々難しい。僕は『バカ』と言う語で知能が低い様を指したい訳ではない。自分の欠点を把握しながら、それを無視して明るく振舞う様を『バカ』と形容したのだ。
その為には。徹底した自己観察が要る。僕は自分を解体しつくさねばならない。
そうしない限り。『バカ』として振舞う事は出来ない。中途半端に小賢しいと『バカ』の仮面は剥げてしまうものなのだ。
僕がエッセイを書き殴るのは。僕自身の思考のシステムを言語化したいからだ。
別に自分を解体することは脳内で完結させる事もできる。
だが。僕は知能的にはお粗末なので、書いて物事を整理しないと把握ができないのだ。
…何本かエッセイを書き殴っているが。僕の思考システムは未だに整理されていない。
書く度に何かしらの発見がある。読者様からしてみれば似たようなエッセイの積み重なりでしかないだろうが。
僕は僕と31年の付き合いになる。
だが。僕はまだまだ僕の事を知らない。敢えて把握しないようにしているだけなのか?
自分の脳で自分を考える…
僕には把握してない醜い部分がまだまだ一杯あるように思える。
そいつを
◆
絶望は我が友。よく思う。
僕は人生に対して絶望している。望みなど絶えている。うつでデブの無職が何を望めば良いのか。
未来という可能性を食いつぶす僕。生物学的に中年を迎えた僕。なのに無職で無為に過ごしている僕。
要らない過去ばかりが増えていく。
ああ。過去に戻れたら。僕は世間の人間同様よく考えてしまう。
だが。その切実さは彼らより上だと思う。僕は自殺したら過去に戻れるなら
だが。過去に戻ってやり直したとて。僕は人生に満足出来ないのではないか?
僕は思う。どうせ僕なのだ。未来に対する知識を授けられようと、ロクな人生を歩みはしないのはないかと。
僕は僕に絶望している。とことん失望している。
期待などしてないのだ。僕が僕をどう扱おうが、どこにも行けはしないと考えているのだ。
その割には自分を甘やかす傾向がある。だから嫌になる。
◆
僕は物語書きだ。嘘の世界を拵えて、その中のドラマを描写する事を趣味にしている。
だが。僕は僕自身で生み出したモノさえコントロール出来ない。
僕はプロットを作らない物書きで。キャラが動くように物語を書いている。
だから書く度に不思議な気分になる。書いてる本人が置き去りにされているような気分なのだ。
僕は僕の創った世界の中ですら選ぶ事がままならない。
コントロール出来なさは自分自身にも及んでいる。
ああ。僕は何ならコントロール出来るのか?
ここにも絶望はある。僕はままならない魂を抱えていきている―なんて可愛そぶる自分が嫌いだ。
こうやってうだうだ
いい加減人生に真摯に向き合ったらどうなのか?そう問いたい。
だが。僕は僕自身の人生となると更に困惑する。
どうしたら。僕は人生に立ち向かえるのだろうか?
肩の力を抜けよ。テイク・イット・イージー。僕の中のお気楽野郎は言うが。
そう簡単に割り切れるモノでもない。
◆
人生は選択の連続である。格言はかく言うが。
僕は選択をサボり続けてしまった。与えられる選択肢に真摯に対応してこなかった。
そして今があり。今も選択を迫られている。
どうやって社会復帰するかである。
一応は働きに出たいのだが。いきなりフルタイムに自己を投入してうまく行くだろうか?と考える。だが。31のおっさんがパートに出るのもどうだろう?
僕は
選択肢は無限にあり。選べる可能性はごまんとある。度重なる失敗のせいで知恵もついた。
だから今度こそは真摯に人生の選択肢を選びたいのだが。
今まで決断してこなかった僕は、どう選べば良いのか困惑している。
うつの主治医には「売手市場だから、小田さんにも選択肢はごまんとある」と励まされているが。
問題は何を選べば良いか分かってない僕にある。
僕には未来のヴィジョンがない。働きに出て―どうしたいのか?
両親は言う。「生活をするために働け」と。確かにその通り。
だが。生活とはその先を見据えるからこそ成立するものなのだと思うんだよなあ。
僕は将来を見据えられない。見えるのはうつと暮らしているヴィジョンだけ。
こういう時。普通の人は何を思い描いて人生設計をするのだろうか?老後?結婚?
ちなみに僕は生涯不婚を誓っている。今のところは。これは他のエッセイでも書いたが、僕の血筋を絶やしたいからである。この世界に必要のない遺伝情報は淘汰されて然るべしだと考えているから。
老後…未来じゃん。未来を考える為に未来を考える…キリがなくないか?
僕は頭がパンクしそうだ。未来を考え出すと。
だってあらゆる可能性があるから。だけどぶっ壊れた僕は悲観の方にばかり想像力がたくましい。
結果として絶望する他ない。
◆
人は合理的に判断しているのではない。置かれた環境に脳が適応して適当な反応を示しているだけだ―こんな主張を何処かの脳科学者の本で読んだ記憶がある。
僕はこの意見に賛成する。僕はその典型例だから。
そう考えると。僕が人生に真摯に立ち向かえないのはある種当たり前の事実だとも思える。
だが。問題は。僕のような流され選択クソ野郎以外の人間がそれでうまく人生を送っていることにあるように思える。
みんな。どうやって、人生の選択できなさに立ち向かっているのか?
哀れな僕にご教授願いたい。
…みんな我慢しているだけなのだろうか?それとも?人生の選択できなさの中でもうまく思考して、それを考えないようにしているのか?
僕は中途半端に小賢しい。言われるのだ。「小田は賢い」と。
だが、僕はそう思っていない。賢ければ。こんな答えの出にくい問にいつまでも迷わされたりしないだろう、と。
人生は選択出来ないものである。それが運命ってヤツの本質だ。
…こんな
僕は僕の人生の正解を選択したいのだ。そんな欲求がある。哀れな事に。
人生の正解なんて。ある訳ないじゃん。そう思うが。
少なくとも納得できる人生を送りたい。そう。僕は現状、人生に納得がいってない。
人は欲深いモノである。…いや主語を大きくし過ぎた。
僕は欲深い。
人生を納得出来るようなモノにしたい。
…んじゃあ。人生に真摯に立ち向かえば?そう思うのだが。
人生は選択できるモノじゃない。そこに僕は不満を感じている。コントロール出来ない事に腹を立てている…こう書くと自分がずいぶん幼く思える。世の酸いも甘いも噛み分けた大人はこんな駄々はこねない。
うん。書いてて分かった。僕は31の癖に中学生以下の精神で生きてる甘たれクソ野郎なのだ。
ああ。この事実は重いぞ。こんなモノ書いて公開してる僕はアホそのものだ。
ここまで読んでくださった奇特な読者の方。申し訳ない。こんな駄文に付き合わせて申し訳ない…
◆
されど人生は続く。僕がどれだけ思い悩もうが続く。
人生は選択できない。ヒトは与えられた環境に適応するしかない…
だけど僕は考え込んでしまう。何故。選択できないのかと。
それは考えるだけ無駄な事である。そんな事を考えて足を止める前に、人生に立ち向かうべきである。
ああ。人生はままならぬ。
僕という幼い精神の持ち主はこの事実に絶望する。
だが。そうは言えども人生を歩んでいかないといけないのも事実で。
どうにか
さて。どうするか。
こういう風に考えると―好きな作家の箴言が頭に浮かぶ。
『So it goes.』『そういうものだ』カート・ヴォネガット。僕が尊敬し、敬ってきた作家の言葉。
人生はそういうモノだから諦めよ。
その事については考えるな。キリがないぜ?
僕の精神の中のお気楽野郎は言う。
…僕は『バカ』になると決めたんだっけ。
ならここでも『バカ』を実践すべきではないか?
人生は選択できない、与えられた選択肢で最善をつくすしかない。
だが。それがどうした?
与えられた人生の中で楽しみを見つけ、味わっていくほうが賢くないか?
そういうものだよ、僕。
だから黙って人生を送るんだ。
◆
『人生はままならぬ―人生の選択のできなさとかを考える―』 小田舵木 @odakajiki
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