足りない
くれは
桃のタルト
その準備として最初にやったことは、親から大きな布をもらって、ボドゲ棚のボドゲが見えないように覆うことだった。
部屋に入った瑠々ちゃんは、布で覆われた姿を見て何度か瞬きをした。
「ひょっとして、ボードゲーム?」
「そう。受験終わるまで封印しようと思って」
俺の言葉に、瑠々ちゃんは「そっか」と小さく呟いて、またボドゲ棚の方を見た。
本当は、ボドゲの中に入り込んでしまう体質の瑠々ちゃんに、落ち着いて過ごしてもらいたかったからなんだけど。そんな話をしたら、もしかしたら瑠々ちゃんは体質のことをいろいろと気にしてしまうかもだから。
独りよがりな満足だとわかってはいたけど。
うん、これで良い。
ポットで作った麦茶。広げたノートや参考書。プリント。散らばる文房具。
ボドゲの
こうやって一緒に勉強するのは初めてじゃないけど、俺の部屋でというのは初めてで、瑠々ちゃんも少し緊張している様子だった。
俺も俺で、いつも自分ひとりの空間に彼女がいるという状況でいっぱいいっぱいだったりして、正直勉強はちっともはかどらない。
そのくせお互いに何を言ったら良いかもわからなくて、俺たちは黙々と手元の問題を解くふりをしていた。
問題に悩んでいるふりをして、小さく溜息。びくり、と瑠々ちゃんの肩が震える。そっとその様子を見たら、必死に手元を見ているけれど、シャーペンの先は意味もなくノートの隅っこを叩いていた。
自分でも意識してなかったのだけれど、そのままぼんやりと瑠々ちゃんを見ていたらしい。ふと、瑠々ちゃんの視線が持ち上がって、俺を見る。
瑠々ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せて、ちょっと怒ったような顔で「勉強、しなくちゃ」と言った。
「うん、でも、ちょっと集中できなくて。休憩しない?」
「まだ始まったばかりだけど」
集中できないのは瑠々ちゃんも一緒で、だからか、反論の声は弱々しい。
「桃のタルト、作ってあるよ」
瑠々ちゃんはうつむいたままじっと考え込んで、それからそっと上目遣いを俺に向けてきた。その表情。慌てて、にやけそうになる口元を手で覆う。
「じゃあ、食べる」
「うん、用意してくる」
そうして、捗ってなかった勉強を中断して、休憩することになったのだ。
グレーズで艶々と輝く瑞々しい桃の一切れ。桃よりも瑞々しい唇で、瑠々ちゃんは桃を食べる。幸せそうな表情。
俺は存分に瑠々ちゃんのその一部始終を眺めていられる。
温かな紅茶の香りに包まれて、きっと幸せっていうのはこういうことだなんて、そこまで言うのは大袈裟だろうか。
「お菓子作るの、勉強の邪魔になってない?」
「ううん、ちょうど良い気分転換になってる」
「なら良いんだけど」
そうやって見せる申し訳なさそうな表情だって、もう一口、桃のタルトを口に入れればまるで魔法にかかったように、すぐにとろけて、美味しそうになる。
そう。ちょうど良い気分転換。
お菓子作りだけじゃなくて、そのお菓子をこうやって美味しそうに頬張ってくれる瑠々ちゃんの存在込みで、気分転換だ。
この感情は、とても言葉で言い表せない。可愛いとか愛おしいとか好きだとか、どれも当てはまるようで、どれも足りないようで、ただただ幸せで。
でも、もう少し幸せになりたいようなもどかしさもあって。
きっと、そんなもどかしさのせいだ。
食べ終えて、紅茶を飲んで「美味しかった」とぼんやりする瑠々ちゃんの表情に、俺は手を伸ばしてしまっていた。
指先が、瑠々ちゃんの横髪を持ち上げる。耳にかける。
瑠々ちゃんが大きな目を瞬かせて、俺を見る。その白い頬に触れる。
「えっと、あの……
「名前、呼んで欲しい」
白い頬がさっと赤く染まる。ためらいがちに、唇が開かれる。
「
伺うような上目遣い。俺は上半身を傾けて、瑠々ちゃんに一層近づく。戸惑うような視線を向けられる。
「あの……えっと……」
「良い、ですか?」
びくり、と瑠々ちゃんの肩が跳ねる。きっと意図は伝わってる。
赤い顔で、目を伏せて、小さな声で、瑠々ちゃんは応えてくれた。
「その……嫌じゃ、ないです」
幸せなんて言葉じゃ、足りないと思った。
そのあとのことを語るのは、野暮ってものだと思う。
足りない くれは @kurehaa
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