純情ビッチ吸血鬼はいいトシして貞操観念がしっかりしている

山田あとり


 夜。


「ねえ、ちょうだい」


 駅前ロータリーの端。公園のベンチ。マンション近くの路上。

 こいつは会うたびに所かまわずねだる。


 上着の胸元に手を差し入れて肩までなぞる。待ちきれないかにシャツの首元をゆるめる。

 上目遣いに迫られて俺は腰砕けだ。抵抗できない。好きな女にこんなことされたらね。

 それをいいことにこいつは軽く背伸びし、唇を寄せようとする。建前として俺は言った。


「人の目を考えろよ」

「みんなしてることでしょ」


 それはそうだがTPOというものがある。道端では、普通しない。俺たちは子どもじゃなく、どう見ても色々わきまえるべき年齢のはず。

 俺は両手を軽く上げ、責任をこいつに転嫁した。

 この破廉恥な行為の主体はこいつだ。それを拒むほどの道徳心が俺には備わっていないというだけ。向こうが俺にベタベタしてくる機会をはねつけるなんて、もったいなくてできない。

 こいつは俺の部屋に来ない。俺からは何もさせない。付き合いは何ヵ月もあるがキスひとつしたことがない。


 じゃあこいつが唇を寄せているのは何かというと。


 プツリ。

 首すじに八重歯があたり、刺さった。


「クッ」


 ――ッソ、気持ちいい。

 ジュ、と血をすすられているのがわかる。だけど背中がゾクゾクしてマジでイキそう。必死でこらえる。ここで勝手に果てるなんて俺の誇りにかけてしたくない。

 せめてもの抵抗に、脚でこいつの膝を割った。

 抱き寄せてに押しつけてやる。血を吸ってる間はこいつも急には動けない。


「――ッ!」


 赤い唇を離し俺をにらみ上げる頬が少し赤かった。


「食事中に何するの」


 文句を言うが、首すじに垂れかけた血に慌てる。それを舌でチロと舐め取ると、つけられた傷は魔法のように消えた。


「食事でしか俺に寄ってこないだろ。今ならおまえを捕まえられる」

「やめてよ、こんな」


 端から見ればビッチなことをしているくせに、そう言いながら耳まで赤い。下腹に当たるものが固いのがわかってるんだろう。俺は腕に力をこめた。


「嫌だね。おまえ知ってる? おまえのに付き合うたびに俺はこうなってんの。なあ、俺は何? おまえの餌? 家畜キモチよくして楽しい?」

「家畜なんかじゃ」


 珍しく気弱に言われて俺は勢いづいた。


「じゃあ彼氏か」


 恋人じゃないと言われたら、今日限りにしようと俺は思った。こんな吸血鬼に振り回されていても仕方ない。

 血をすすられつつ、下半身の充血は常に不発。毎回女性向け鉄分補給ドリンクを差し入れられても、心も体もモヤモヤするばかりだ。


「――私たち、大人だし」

「は?」


 腕を突っ張って俺と距離を取ろうとするのを許さず問い詰める。


「大人ならなんだよ」

「子どもじゃないから、キスでもしたらそこで終われないでしょ? それ以上進むなら段階を踏まなきゃ」


 ぷんすこ、な風情で主張してくる。


「段階?」

「だからほら。交際の申し込みから順調なお付き合いを一年ほど経ての求婚と結婚準備期間と華燭の宴、とか」

「はいぃ!?」


 当たり前のように並べたてられて俺は目玉をひんむいた。華燭の宴、て確かあれだ、結婚式だよな。


「結婚するまでキスもしないってこと?」

「だってだって、キスしたらその先も、そのまた先も、てなるじゃない!」

「いやそりゃ、なるけど」


 いけないか。普通だろ。


「駄目よ! だからちゅ、もしないの!」


 必死に言いつのり俺から逃げようとする。なんだか逃がしちゃいけないような気がして抱きすくめた。でも股間はとっくに萎えた。そりゃ萎えるわ、男は繊細なんだ。


「あのさ、いつの時代の話?」

「何よその言い方、私が吸血鬼だからって馬鹿にして!」

「それ関係ないだろ」


 ――あ?

 いや、関係あるか。


「待って、おまえもしかしてウン百歳とか」

「――バカッ! バカバカバカ!」


 あ、これ当たりだ。

 少しゆるめた腕の中でポカスカ胸を叩かれたが全然痛くなかった。やばい、かわいい。こんなの何歳でもかまわないぞ。

 いいトシして突っ張らかる吸血鬼がおもしろくなって、俺はささやいた。


「キスなんかよりよっぽどエロいこと、俺にしてるじゃん?」

「あ……あれは食事だから」

「でも俺のこと、吸って、舐めて、ぜんぶ飲んでくれてるよな」


 やめてぇ……とへたりこみそうなのを支える。ていうか、そういうコトも知ってるんだな、おい?


 まあそうか。何年生きてきたのかわからないけど、そうやってえり好みして自分を守ってきたんだな。添い遂げるぐらいに愛してくれる人を探して。

 あんなにやらしく俺の首すじをねだるから、ちょっと誤解してたかもしれん。こいつ実はすごく純情なのか。


「じゃあ俺と結婚するか」

「え? いや、うそ。だってまだ半年もお付き合いしてなくて」

「そこは感覚をアプデしてくれないかな」


 苦笑した俺は核心に迫った。


「だってさ、段階踏んだら結婚してもいいかってぐらいに俺のこと好きなんだろ」


 虚を突かれて抵抗をやめた腕の中の吸血鬼。

 そのあごに、俺は手をかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

純情ビッチ吸血鬼はいいトシして貞操観念がしっかりしている 山田あとり @yamadatori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ