第六話 父さん、再婚するんだよ

 どういうことなのか一刻も早く問い詰めたかったが、父親から「とりあえず、詳しい話は夕食の時にでも」と先手を打たれてしまった。


 そのため、書斎代わりに使っている自室で勝己が悠長に部屋着へと着替えている間、拓馬はじれったい衝動を抑えながら夕飯作りの続きを行う羽目になった。もちろん、ベランダで干しっぱなしになっていた洗濯物は忘れないうちに回収済みだ。


 先ほどの勝己の衝撃発言からおよそ三〇分後、成瀬家の食卓には拓馬謹製の夕食が並んでいる。


 メニューはすでに作り終えていたみそ汁に炊きたての白米、ホウレン草のごまあえ、薬味たっぷりの冷ややっこ。あとはスーパーの特売でゲットしたアジの開きを焼いたものだ。


 みそ汁以外、それほど手間のかかったものはない。こだわるところにはとことんこだわるが、手が抜けるところは大胆に手抜きする。それが拓馬の常だった。


 律義にいただきますをして、食事を開始。


 さっそく焼き魚に箸をつけた勝己が、「なかなか脂が乗っててうまいじゃないか」などとのんきな感想を口にする。見れば、熱そうに口をはふはふさせていた。


 これから大事な話をしようっていうのに、よくもまぁそうも平然といられるものだ。


「なんだ、食わないのか?」


「とてもそんな気分にはなれん。いい加減きちんと説明してもらうぞ。さっきのはいったいどういうことだ?」


「どうもこうもそのままの意味だけどな。父さん、再婚するんだよ」


「……正気か?」


「相手はとんでもない美人さんだ。たぶん、おまえも気に入るぞ」


 上機嫌に笑う勝己。が、拓馬としてはまったく笑えない。何もかもがたちの悪い冗談にしか聞こえなかった。


 父親が再婚する。昔、あれほどひどい目に遭っておいて……? どうしてそういう結論に至ったのかまるで理解できない。いや、考えうる可能性が一つだけあるか。


「悪いことは言わない。きっとだまされてるんだ。変な夢見てないで正気に戻れ」


「おいおい、ひどいな……。別に結婚詐欺に遭ったりしてないぞ」


「被害者は最初、必ずそう言うんだ。そもそもの話、美人がおやじなんかを相手にするわけないだろ」


「おまえ、父親を普段どんな目で見てるんだ」


 やれやれと勝己が苦笑いを浮かべる。けれど、拓馬としてはそんなので納得するには無理があった。


「母さんと姉ちゃんのこと、忘れたとは言わせないぞ。またあんな生活に戻りたいのか?」


「……おまえが不安に思うのはわかる。けど、今度は大丈夫だ。きっとな……」


「何の根拠があって……」


 男二人というのもあって、成瀬家にそれほどにぎやかな食事風景というものは普段から存在しない。が、今はそれにも増して気まずい食卓だった。とりあえずつけておいたテレビから、よく知りもしない芸人の下品な笑い声が聞こえてくる。それが余計に寒々しい。


 もともと成瀬家は父親に母親、拓馬に姉の四人家族だった。家族の形が変わったのは一〇年前。外で別に男を作った母親が姉を連れて出ていってしまったから。


 拓馬が女嫌いになったのはそれがきっかけだ。といっても、その前から姉には散々な目に遭わされてきたから、とっくに姉嫌いではあったのだが……。


 父親も自分と同じような思いを抱えていると思っていた。だが、勝己の考えはいささか異なるようだ。


「おまえ、来年は受験だろ? 父さんとしても、今みたいにずっと家のこと任せきりっていうのはどうなんだろうと思うわけだ」


「……いまさらだな。別に負担になんて思ってないぞ? 家事は嫌いじゃないからな」


「だとしてもだよ。母親ができれば、おまえの負担も少しばかりは減るだろ。あ、もちろん俺だってこれから多少は協力するつもりだぞ?」


「そんなセリフ、せいぜい米が炊けるようになってから言ってくれ」


 今でこそ家事万能な拓馬だが、当然ながら最初からそうだったわけではない。そもそもの話、当時七歳でしかなかった少年に、そんな大役を期待するほうがどうかしている。


 離婚してすぐの頃は、仕事で忙しいなりに勝己が家のことをがんばってくれていた。ただ、その出来はあまりにひどかったと言わざるをえない。目玉焼きを作ればフライパンが火を噴き、洗濯機を回せば洗剤の入れすぎで泡を吹く。


 その様子を見かねた拓馬が少しずつ家事を覚えていき、こうして専業主婦顔負けの男子高校生が誕生したというわけなのだ。


 とはいえ、何度か繰り返しているとおり、今では掃除も料理も洗濯も、とくに苦ではない。父親に養ってもらっている以上、そのくらいは手伝って当たり前だと思っている。


 だが、当の父親のほうは納得いってないらしい。


「おまえがどうしても嫌だって言うなら、この話はなしにするつもりだ。けどな、俺なりにおまえのためになるって真剣に考えてる」


「む……」


 箸を置いて、じっと見つめてくる勝己。その表情は真剣そのもので、拓馬のことを考えての決断という言葉に偽りはないようだった。

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