姉恋ぐらし
丹生壬月
一章
第一話 人生ってやつは、だいたいいつもうまくいかない
堅苦しい授業から解放された昼休みの教室は、なんとも弛緩した空気に包まれている。生徒たちはというと、ある者は仲のいい友人同士で席をくっつけて弁当の中身を交換し合い、ある者は財布をズボンのポケットにねじ込んで廊下へと飛び出していく。
そんな中、窓際の一番後ろという、ある意味もっとも恵まれた席に座っている
無言で弁当のふたを開き、やはり無言で弁当に箸をつける。とくに誰かと会話することもなく黙々と弁当の中身を口にする姿は、周囲が賑やかなのもあっていささか物寂しい。が、基本的に食事は一人で静かに取りたい派の拓馬にしてみれば、これはいたって普通のことであるし、むしろ望むところだった。
とはいえ、どうにも人生というのはままならないものであるらしい。
「うわぁ~! 拓馬のお弁当、今日もおいしそうだね~!」
前の席に座る同級生――
「なんだ、言っておくけどやらんぞ? 自分の弁当があるだろ?」
「残念でした~。そんなのニ時間目の休み時間にはとっくになくなっちゃったもんね」
「威張って言うことじゃない」
「仕方ないじゃん。陸上部はおなかがすくんだよ。ほら、朝練あったし!」
ふふん、どうよ? と言わんばかりにささやかな胸を張る小町。
だが、拓馬は知っている。
「陸上部っていっても、おまえはマネージャーだろうが……」
「陸上部のマネージャーがおなかすかせてたらいけないの!? マネージャー差別だ! オーボーだ!」
「おい、人聞きの悪いことを言うな」
拓馬は元から深い眉間のしわをさらに深くした。
ちなみにこの少女こそが、食事は一人で静かに取りたい派の拓馬をいつも邪魔する張本人である。
話の途中でさえ、その瞳は拓馬の弁当にくぎ付けであり、口の端からよだれを垂らさんばかりだ。
「……で、今日は何が欲しいんだ?」
「わーい、拓馬はやっぱり優しいなぁ。大好きっ!」
「うるさい。いいからさっさと欲しいものを言え」
「えへ、それじゃ~ね。肉巻きっ! そのジューシーで柔らかそうで、なおかつヘルシーっぽい肉巻きが食べたい!」
遠慮などみじんもなく、小町がメインのおかずをせがんでくる。一般的にはずうずうしいといえる彼女の振る舞いだが、拓馬は顔色一つ変えはしない。なぜなら、小町に弁当のおかずを分け与えるのはもはや毎度のことだからである。日課と呼んでもいい。
拓馬と小町は中学の頃からの付き合いだ。そして、いったいどういう偶然なのかはわからないが、拓馬は中学一年から高校二年になった現在に至るまで、ずっとこのかわいらしい食欲魔神と同じクラスなのだった。だから、もうかれこれ四年以上もの長きにわたって、男子学生にとっては貴重な栄養源である弁当のおかずを搾取され続けている。
一瞬、箸を逆に持ち替えて肉巻きをつかもうかと考えた拓馬だったが、すぐにバカらしくなった。そのまま箸を肉巻きに突き刺して、ぶっきらぼうに小町の口の前へと差し出す。
「ほらよ、食え」
「わ~い、あ~ん!」
もし尻尾でも付いていようものなら全力で振っていそうな表情を浮かべた小町は、あどけない口を目いっぱいに広げて、そこそこ大きな肉巻きを一口で頬張ってしまう。アスパラガス三本を二重のベーコンで丁寧に巻いて仕上げた拓馬の自信作なのだが、食欲魔神にかかってしまえば即座に胃袋の中だった。
「んん~! シャキシャキしたアスパラの歯応えに、あふれ出るベーコンのうまみ! これはたまんない! すんごくうんま~い!」
「そうか、それはよかったな」
「拓馬はやっぱり料理上手だね!」
「そりゃどうも。けど、おだててももうやらんぞ。おれが食うものがなくなる」
「そ、そんな殺生なっ! だって肉巻きだよ!? メインのおかずだよ? お米が食べたいよ! だってあたし、日本人だもん!」
「知るか!」
「ねえ~、おねが~い! 一口だけ! 一口だけでいいの! ほんのちょこっとで我慢するからぁ~」
「ふん、そんなに欲しいのか?」
「うん、欲しいのぉ~! あたし、もう我慢できないのぉ~!」
「……このいやしんぼめ」
拓馬は気持ち多めに米をすくうと、それをふたたび小町の口元に差し出した。
なんとも幸せそうな顔をした小町が、拓馬の箸を無造作にくわえる。
「あ~む、はむはむ……んん~! やっぱり日本人はお米だよね。肉巻きとの相性もバッチリ!」
「おまえはいつもうまそうに食うな」
「だって、本当に拓馬のお弁当っておいしいから。お弁当だけじゃなく、一日三食ずっと拓馬の料理だけ食べていたい」
「食費がかさみそうだからお断りだ」
「ひどいっ! もうちょっと検討してくれてもいいじゃんかー!」
などと、はた目からはいちゃついているようにしか見えないやりとりを拓馬と小町がしていると、不意に頭上から声をかけられた。
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