第三話 やつに食べ物を与えてはいけない

「よぉ、残念。振られちまったな」


 学食へ向かった女子二人を見送った後、拓馬が小さくため息を漏らしていると、隣の席から唐突にそんな言葉が投げられた。


「おい、どうしてそういう話になる。今のやりとりは見てたはずだよな?」


「だってよぉ、おまえと大出おおいでって付き合ってんじゃねーの?」


「……冗談は名前だけにしてくれ」


「おい! 誰の名前が冗談だ、こらっ!」


「おまえの他に誰がいる。〝きくちだいごろう〟くん」


「俺の名前は〝きくいけたいごろう〟だっ! 二度と間違えるなっ!」


「ま、どっちだろうと、さして興味はないんだがな」


 置いていた箸を手に取り、拓馬は食事を再開。休み時間のうちに、まだ途中までしか手を付けていない宿題を片付けてしまいたい。だから本来であれば、あまりのんびり弁当を食べているわけにもいかないのだ。まぁ、先ほどから邪魔されてばかりなのだが……。


 そんな拓馬の様子から雑に扱われたと思ったのだろう。隣の席の同級生――菊池大吾郎きくいけたいごろうが不満そうな顔をする。


 それにしてもこの男、本当に冗談みたいな名前である。〝きくち〟ではなく〝きくいけ〟。〝だいごろう〟ではなく〝たいごろう〟。絶妙に紛らわしい。きっと両親の悪ふざけか何かで名前を付けられたのだろうと、拓馬はひそかに確信している。


「なあ、本当に大出とはなんでもないのかよ?」


「しつこいぞ、〝たいごろう〟。小町とはただの腐れ縁だ」


「だから俺の名前は〝だいごろう〟……はっ、しまった!」


「自分でも間違えるもんなんだな。まぁ、無理もないと思うが……」


「い、今のはたまたまっ! うっかり間違えただけだっての! だいたいおまえのせいだぞ、こらっ!」


「……わめくな。こっちにまで唾が飛ぶ。万が一にも弁当に入ったらどう責任を取ってくれるんだ」


 貴重な昼食を背でかばいつつ、拓馬は適当なおかずを口に運ぶ。味は悪くない。今朝、急いで作ったにしてはまあまあの出来栄えだ。


 それにしても……誰と誰が付き合っているなどと、それほどまでに気になるものだろうか。拓馬にはまるで理解できない話だった。


「……だとしたら、もったいねぇな」


「もったいないオバケなら間に合ってるぞ」


「誰がンな話するかよ。大出のことだっての」


「あいつの何がもったいないんだ? いや、確かにあいつはいろいろと残念なやつではあるが、何もそんなふうにはっきりと言ってやることもあるまい? おまえに仏の心はないのか?」


「そんな話でもねーよ! ったく、おまえ屁理屈へりくつばっかだな……」


「失礼な。じゃあ、いったい何の話だ?」


「だから大出だって。ほら、あいつかわいいじゃん? ちっこいくせにいろいろと一生懸命でなんか応援してやりたくなるっつーか。見ててほほ笑ましいし、こっちまで元気もらえるっつーか」


 恋する乙女――うっすらと頬を染めている大吾郎にはきっとそんな言葉がよく似合う。もっとも、男がそのような顔をしていても気色悪いだけだ。


 前もって買っておいたペットボトルの紅茶のキャップを開けながら、拓馬は吐き捨てるように言った。


「ほお、ずいぶんと過大評価だな」


「なんだよ、文句あんのか!? おまえは知らねーかもだけど、大出ってマジ男子に人気あるんだぞ!」


 拓馬にバッサリ切り捨てられたことが悔しかったのか、大吾郎はバンバンと机をたたいて猛抗議。いったい何事かとクラスメイトの視線がこちらに向く。注目を集めていることが不快で、拓馬はさらに眉をひそめた。


「あいつの面構えがいいのは認める。けどな、やつを見てくれだけで判断するのは危険だ。おまえの方こそ知らんだろうからはっきり言ってやるが、小町は単なる腹ペコモンスターだぞ。それ以上でもそれ以下でもない」


「腹ペコ……? なんだそりゃ……」


 小柄な体躯からは想像もつかないような大食漢。かわいらしい見た目に釣られて愚かにも餌付けなどしようものなら、地の果てまで追いかけて遠慮容赦なく食料をたかり尽くす。それが彼女――大出小町おおいでこまちである。


 もしも中学一年だったあの日、腹をすかせていた小町におかずを恵もうなどと考えた自分自身に出会えるならば、拓馬は間違いなくこう忠告するだろう。


「――やつに食べ物を与えてはいけない!」


「……はい? おまえ、急にどうしたよ」


「すまん。少し取り乱した」


 とりあえずせき払いでごまかそうとしてみたが、どうやら無理があったらしい。明らかに挙動が怪しい拓馬に、大吾郎がどこか気遣うような視線を向けてくる。


「まぁその、なんだ……おまえと大出がなんでもないってことはよーく分かったよ」


「なら結構だ」


 無事に話も終わったところで、拓馬はふたたび弁当に取りかかろうとした。だが、その判断はいささか早計だったようだ。瞳をきらきら輝かせた大吾郎が、やや前のめりに尋ねてきた。


「じゃあよ、おまえってやっぱ白砂と付き合ってんだろ!? ずっと怪しいと思ってたんだよ! いや~、なるほどなぁ」


「おい、どうしてそんな結論に至ったのか、じっくり説明してもらおうか!?」

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