月曜日のブレンダ
朝吹
月曜日のブレンダ
帰国子女の俺にとって英語の授業ほど難解なものはない。
英文は読める、だが和訳を書くのに苦労する。日本語での俺の作文能力はぎりぎりだ。
イラつきすぎて、ここにマシンガンがあったらぶっ放してるかも知れない。昔そんな事件があったんだ。十三歳まで住んでいた米国で。
犯人はいまの俺と同じ十六歳の女の子。使用されたのはライフルだ。家の向かいの小学校に向かって乱射して、校長ほか一名を撃ち殺し、理由について問われたら、「月曜日が嫌い。これは景気づけ」と答えた。その子の名はブレンダ。いいね、いかれてる。
いかれてるのは日本の英語教育だ。【複合関係副詞】とは何だ。わざとややこしくしているとしか想えない。
誰かがライフルをもって学校に乗り込んで来て、吹っ飛ばしてくれないかな、英語の授業を。
月曜日をライフル銃でぶっ放したブレンダ。俺はあんたの大ファンだ。
I don't like Mondays. This livens up the day.
あのまま向こうで育っていたら俺は米軍に入隊するつもりでいた。ごついブーツを履いて銃器を持って、眼前に迫る敵歩兵をなぎ倒してみせるのさ。
ダダ、ダダダダダ。
ブレンダちゃんがやれたことが俺に出来ないわけがない。
「よお、帰るのか」
「考査の勉強。英語がやばい」
「英語圏で育った意味ねえな」
笑い声に見送られながら四階の教室から下階に降りる。俺が英語を勉強したらそんなに可笑しいか。
ダ、ダ、ダ。
足音をわざと強く立てて階段を降りる。小うるさい教員たちのいる職員室は別棟だ。
戦場に行って、マシンガンを撃ちたい。昔の戦争映画では全員が煙草を口端に咥えている。禁煙の行き渡った昨今では、もう煙草は配給されないかもな。その代わりに合法ドラッグが配布されるといい。特攻隊に配っていた菓子のようなやつ。それで誰かがラリってしまう。そしたら帰国子女の俺はそいつに向かって云ってやる。
「ドラッグなら俺は小学生の頃から嗜んでいたから平気だぜ」
下らない夢想に耽りながら、俺が踊り場を曲がったその時だ。
ダ、ダダダ。
足を滑らせた女の子が、背後から階段を転がり落ちてきた。
「大丈夫か」
一応、声をかけた。声をかけたがそのまま俺は階段を降りた。痛そうに腰をさすりながら立ち上がったその子は、「それだけ?」と俺を咎める声を上の踊り場から放ってきた。
ブレンダ。
同学年の女子の中で俺が唯一、敬愛する犯罪者と同じ綽名をつけている女だ。
正式名ブレンダ・アン・スペンサー。終身刑をくらい、事件を起こした1979年から現在もまだ服役中。月曜日で終わったあの子の人生。
階段から落ちたブレンダは、立ち直ると俺の後を追い駈けて、校舎を走り出てきた。あんなに走れるなら大丈夫だろ。
なんであの女にブレンダという綽名を付けたかと云うと、月曜日のあの子がいつも教室で死にそうな顔をしていたからだ。とくに朝。
女子にありがちな貧血だが、憂うつを滾らせたすごい顔つきをしていた。殺気すら漂うほどに。気に入った。
そして俺たちは付き合っている。俺から告白した。
「そんな関係になった気がしないんだけど、今でも」
「なんで」
追いついてきたブレンダと、並んで歩いた。
「彼女が階段から落ちたのに、素通りして下校するような彼氏がこの世にいる?」
「だって俺、お前のこと心配してないもん。これは褒め言葉」
俺のブレンダはそんなことで、「痛ぁ」なんていう弱音を上げない。そのふてぶてしく、むくれた顔が好きだ。顔中に薄く散ってるそばかすも銃を撃った後のパウダー・タトゥーイングみたいで可愛い。
夕暮れの河川敷。周囲には誰もいない。俺はブレンダにキスをした。背中に手を回すと、制服のブラウス越しにブラのホック部分が掌にあたる。
「なぜわたしを彼女にしたいと想ったの?」
俺は答えた。月曜日が嫌いな女の子が好きだから。
ところで何だこの、キスっていうやつは。そんなにいいか? AVなんか見てるとミキサーかよっていうくらいべろんべろんと、お前は犬か? 正気か? と疑いたくなるくらい舌使いの酷いのがある。
ディープキスは、俺はあんまり。胸のあたりを探る上でのただのおまけって感じがするんだ。やるけど。
もう一度キスをした。
身体を離したブレンダは、唾液を閉じ込めるように唇をきゅっと合わせて、魔法の効果を確かめる魔女のような神妙な顔をした。
「こんなの、海外にいた君にとっては挨拶みたいなものだよね」
「そんなことはない」
他の女の子とは今みたいなキスをしたくない。だからキスには確かに意味がある。岸辺の草がそよそよと波打ち、夕陽を映した河が西部劇の荒野みたいになっている。その色が濃くなった。身体を巡る俺の血液は先刻よりも熱い。
「俺もどきどきしたよ」
そう云った。ライフルで胸を撃ち抜かれたみたいに。
「わたしも」
斜陽の中に立つ女ガンマン。制服姿のブレンダはパウダー・タトゥーイングの散らばる片方の頬を引き上げると、にっと笑った。
[了]
月曜日のブレンダ 朝吹 @asabuki
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