闇鍋

幸まる

あぶくたった

私が小学生当時、毎年お盆に訪れる祖父の家は、山の上にあった。

環状道路の側のマンションで暮らしていた私には、この屋敷は不思議だらけで、別世界のようなものだった。


それは、たまたま従姉妹の一人と、裏の林で探検ごっこをして遊んだ時のこと。

林の奥に続く踏みしめられた小道を見つけて、あの平屋に辿り着いた。



 あーぶくたった 煮えたったー


誰かが歌っていた。


 煮えたかどうだか 食べてみよ

 ……まだ煮えない


側の納屋で、大鍋を前に一人の老婆が座って歌っていた。

肉を下茹でしている時の、臭みのある匂いが辺りに漂っている。


「おやあ、子供が来るとは、珍しい」


挨拶をすると、老婆は薄く笑った。


「残念だねぇ。まだ煮終わってないのさ。だから、鍋が空く頃に、ね」


そう言って、老婆は私達の手に飴を握らせた。

薄灰のまばらな前髪の間に、小さなこぶがあるのが見えた。


母から『知らない人から物を貰っては駄目』とキツく言われていた私は、飴を食べずにポケットに隠して帰った。




その日の夜は、風がとても強かった。

近くに立つ木の枝が時折窓に当たる音を聞きながら、私達は眠りについた。



 トントントン… なんの音?


 風の音

 ああ よかった…


 トントントン…



翌朝、従姉妹は姿を消していた。

布団の上には、飴の包み紙が落ちていた。



∷ ∷ ∷ ∷ ∷



「あーぶくたったーにえたったー」


豆を煮ている横で、鍋を覗き込んで娘が歌った。


二十年以上も前に聞いたあの老婆の歌を、今更こんな所で耳にするとは思ってもみなかった私は、ぞわりと寒気を感じて娘を見下ろす。

「……その歌、どこで教えてもらったの?」

「学校の授業で、昔遊びしたんだ。敬老会の人が来て教えてくれたよ」

楽しかったと屈託なく笑う娘に、そう、と曖昧に微笑む。


「じゃあ、公園に行ってくるね」

「暗くなる前に帰るのよ。知らない人から物をもらわないでね、絶対よ!」

台所から廊下へ走り出て、玄関で靴を履く娘に向かって言う。

「分かってる! 何年生だと思ってるの?」

笑って出て行く娘を見送った時、鍋が吹き溢れそうになって、慌てて火を止めた。

纏わり付く湯気に、顔を歪める。



あの年、従姉妹は見つからなかった。



警察も自治体も協力して長いこと捜索されたが、何の手掛かりも見つからず、神隠しだと噂された。


その後、祖父が亡くなり、あの一帯は売られて均された。

林の奥に平屋はなかった。

ただ、壊れたやしろ跡と、朽ちた鍋が埋もれていたという話だ。



《終》

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闇鍋 幸まる @karamitu

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