タイムロスがあった聖女はこの役目を下りたい

菜花

聖女未満だった少女

 ある異世界の島国では変わった風習があった。

 五十年周期で現れる聖女によって島を守る結界を修復させるという他の国にはない風習が。

 大昔、その島に移り住んだ王家の先祖が、あまりに海からも空からも魔獣が来るので疲れ果てて神に祈った。すると神がその声に応えて結界を張った。風や人の往来を遮ることはないのに、魔物や魔獣だけは入ってこれないという高度な結界だった。

 喜んだ先祖達であったが神から一つだけ注意を受ける。

 いわく、形ある物はいつかは壊れる。五十年もすれば自分の聖力で作られたこの結界も限界を迎えるだろう。その頃に自分と相性がいい人間――清らかな少女を自分の後継者として生まれさせよう。その少女を聖女として結界の修復をさせるといい。

 神はそう忠告して先祖の前から姿を消した。

 そして神が張った結界を持つ国として島国は栄えに栄え、最初は先祖と従者数人だった島が万単位の国民を抱えるまでになった。


 そうして五十年後、市井に強い魔力を持つ少女がいるとの噂を聞いた王家は、これこそ神との約束の子として少女を迎え入れた。

 神は人間にも修復しやすいように、と島の四方に結界の要石を置いていた。それに聖女が聖力を注入することで結界は修復される。神が一晩で作った結界は聖女にとってはひと月で修復となる難作業だった。所詮は神と人間なのだなと歴代の聖女はいつも思うのだという。

 結界修復を終えた初代聖女は王家に召し抱えられた。聖女の力は治癒能力や植物の生育促進などにも効果があり、王家としてはそんな貴重な人間を一般人に戻すなんてことは出来なかった。

 民衆の人気が絶大なこともあり、時の王太子も聖女に恋心を抱いていたことが発覚。聖女は王妃となった。

 特別な力を持った人間を一族に取り込むのは権力を持つ人間としても虚栄心やら優越感やらが満たされた。

 そしてそれがいつしか慣例となって聖女は王太子と婚姻するもの、という暗黙の了解が出来た。

 するとどうなるか。

 王家を中心に聖力と親和性の高い人間が生まれやすくなる。そうなると聖女が王家周りから出ることが多くなる。

 予想していた訳では無かったが、この結果には王家も大満足だった。聖女を生み出す家系=王家となってますます箔が付くというもの。

 そんな貴族から聖女が出ることが数代続いたあと、スラムに近い孤児院から「魔力が強い子供がいて困っている」 と苦情が届いた。


 そう、その少女こそ今代の聖女であった。



 貴族令嬢から聖女が出るようになって二百年。神殿が連れてきたその少女はなんともみすぼらしい子供だった。

 髪は荒れ放題、肌は粉を拭いていて、手足も棒切れのようにガリガリ。頬がこけているせいで目だけがぎょろぎょろと浮いているように見えて、時の王妃は見ていられないと扇で顔を隠すような有り様だった。

「さあ挨拶を。名前を言ってごらん」

 神官にそう促されて少女がおずおずと答えた。

「メリッサ、です……」


 このメリッサはあくどい院長の経営する孤児院で育てられた。食事抜きは当たり前。子供のうちから働かせたうえにその給料も搾取していた。メリッサが耐えかねて夜中に泣くと必ず異音が鳴ったり地震が起こったり、周りの物が壊れるなども被害が相次いだ。周囲も何度も経験すれば流石にメリッサが原因だと分かる。だが院長はそれがメリッサが聖女であるからとは思わなかった。何せ聖女はもう四代も貴族から出ている。場末の孤児院から聖女なんてちゃんちゃらおかしい。メリッサはこの孤児院一番の働き者だったから追い出すつもりはないが、それはそれとて愚痴くらいは言いたくなる。上司にあたる人間に「うちには変な子供がいる。感情が高ぶると周りの物が壊れたりするんだが、先祖に魔獣でもいるんじゃないか」 と事実をベースに見下し感情を混ぜて伝えると、上司は何代も前の聖女なら平民階級もいたという事実を思い出し、それを更に上の人間に相談した。無視することも出来たが、万が一その子供が聖女だったりしたらこの時に放置したとして責任を取らされかねない。責任ある人に伝えれば自分はやれるだけのことはしたと言い訳ができる。その上の人間も同じことを考えて更に上の人間に相談し……。

 噂を聞きつけた神官がメリッサのもとへ駆けつけ「これは……当代随一の聖力量だ! 貴方様こそ聖女!」 となった。



 神殿関係者の認可を得て、メリッサは一夜にして誰もが敬う聖女になった。

 孤児院では教えて貰えないような歴史や文化の話をしてもらい、その中で聖女は王太子と結婚するもの、という風習を知った。聖女と判明した瞬間から、王太子が婚約者になるのだ。普通の少女だったメリッサがその事実に浮かれないはずがない。

 一通り礼儀作法を学び、美しいドレスを着て王太子――ガレリオ殿下に会う日が来た。

「メリッサと申します」

 そうカーテシーをしながら言うメリッサだったが、いざガレリオと目線を合わせると、気づいてしまった。

 感情の無い瞳。こちらに一切興味がないという空気がありありと伝わってきたのだ。

「……今代の聖女だね。よろしく。結界修復は王家の威信をかけた役目だから疎かにしないように」

「は、はい」

 静かに去っていくガレリオを見送りながら、メリッサは盛り上がっていた気持ちが急速にしぼんでいくのを感じた。

 扱いの悪い孤児院から出て聖女と呼ばれ王宮に来た。けれどどうしてだろう。ここでも扱いが良くない気配を感じるのは……。



 ガレリオは評判の王太子だった。見目も良く頭も周り、それでいて飢饉にあえぐ民を見て税率を下げるよう王に進言したりと優しさもある。民衆からの人気も絶大だ。

 そんなガレリオの代で迎えられる聖女は幸せだと誰もが言った。だがそれは、聖女が貴族階級だからという思い込みを前提としているからだ。そしてメリッサが現れる前、聖女と見做されていた公爵令嬢がいたことも……。


 公爵令嬢エルシリアはガレリオの初恋の相手だった。というのも、生まれつき聖力が高く、今代で聖女が現れると分かっていた神殿は貴族周りの少女の聖力をあらかじめ調べていた。これは別に神殿が先走った訳ではない。先代聖女も同じ検査をして神託より早く聖女と判明した過去がある。そうして公爵令嬢エルシリアが他の令嬢より頭一つ抜けて高いと発覚した。そうなると流れる噂。

「今代はエルシリア様が聖女らしい」

「なるほど、エルシリア様なら聖女に不足無し」

「ガレリオ様とはよくお似合いだ」


 聖女という存在は幻想的で神秘的だと誰もが思っていた。何せ神から直々に選ばれるのだから。そして不思議な力を行使して国を守る。憧れない男がいようか。


 ガレリオは会う前からエルシリアに思慕を寄せ、実際に会うとエルシリアが美しい令嬢だったこともあり夢中になった。

 将来はエルシリアが聖女になって自分と結婚するんだと信じていた。


 そして当のエルシリアだが、この令嬢もまた自分が聖女だと疑っていなかった。先代の件があるのだから尚更だ。ただでさえ公爵令嬢として敬われる自分が更に聖女になって王妃になる。早くその未来にならないかと思いながら厳しい教育を耐えてきた。

 が、神殿で下された神託は全く違っていた。

『聖女は王都にいない。子供が大勢いる場所でつつましすぎる生活をしている。名前に姓はなく、かぼそい身体とそれに見合わない聖力量を持っている』

 明らかに聖女はエルシリアではないと分かる神託。エルシリアは自分が聖女の可能性が高いと言ったのも神殿側なのにと恨んだ。


 ここ数代貴族から出ていた聖女が市井にいるらしいとなってバタバタしているところに飛び込んだ情報――魔力の強い子供がいるという話。調べに行くとその少女こそが聖女だった。それまでエルシリアが一番聖力が高いと思っていたが、メリッサと比べると天地ほどの差があった。コップに並々と入った水と海そのもののような差。本物の聖女は他とは違うとはっきり分かるものなのだと神殿の人間は思った。


 エルシリアも傷ついたが、ガレリオも茫然とした。美しく賢いエルシリアが聖女に違いないと思っていたのに、いざ目の前に現れた本物の聖女は普通以下の容姿で見れたものではない。失望感を隠すことも出来なかった。

 それでもガレリオは王太子の役目を果たそうとは思った。聖女を支え結界修復を見守り、最後には婚姻する。これは決定事項だ。嫌なことでも国のためならしなくてはいけない、それが王族なのだから。

 だがそこで問題が起きた。

 メリッサの聖力開花が起きないのだ。



 聖女となった者は王宮について真っ先にすることがある。

 王宮には神の花と呼ばれる植物がある。五十年に一度咲くというこの花はもちろん聖女顕現に合わせたもの。聖女となった少女はこの花に聖力を注いで咲かせることで自らが聖女であると示すのだ。これを聖力開花の儀という。

 その慣例に則り、メリッサも神の花に聖力を注ごうとして――花はうんともすんとも言わなかった。

 歴史上一度も無いことであり、貴族総出で見守られたその儀式はあっという間にざわついた。

「……有り得ないわ」

「……本当に……本物……」

「そもそも……貴族でもないのですよね」


 最後に庶民が聖女になったのは二百五十年前。もう貴族の間では聖女=貴族の方式が出来ていた。そこへ平民の醜い少女が聖女だと現れたのだから、特権を奪われた気がして面白くない。貴族はここぞとばかりに陰口を叩いた。聞こえるように言っているそれは当然メリッサの耳にも入ってくる。


「やはりエルシリア様が本物の聖女なのではなくて?」

「……平民のせいでお可哀想でしたものね。あの子供が身の程も知らずここに来たから……」

「ガレリオ様と両思いでしたのに、いきなり現れて生意気なのよ」


 ここでメリッサは初めてガレリオのあの態度の理由と、本物の聖女と呼ばれるような女性がいたことを知った。

 聖女なら誰もが出来るはずのことが出来ない現状と、出来ないと分かった途端手の平を返して嫌いだす周囲。メリッサの呼吸がおかしくなりつつあった。


 そんな悪い気が立ち込めた場を神官達が治めた。

「静粛に! ……どうやら聖女の体調が悪いようです。日を改めて再度行いましょう」


 神官の一人に支えられてメリッサは退出した。その際にチラリと王族の席にいる婚約者ことガレリオを見た。ガレリオはメリッサを見てもいない。ただ心配そうに一人の美しい令嬢を見ていた。あの一際美しい令嬢がエルシリアなのだろうと察した。


 聖力開花の儀は一週間置きに行われた。そう、何度も行われたのだ。つまりメリッサは何度も聖力開花の儀に失敗したことになる。

 メリッサとて頑張っている。ただ聖力に全く縁のない生活を送っていたから難しい。それどころか聖力を魔力だと言って表に出すなと言ってきた院長もいたあの生活の中で、無意識に出さないようにしているのでは、と神官が考察していた。

 しかしいつまで経っても花は咲かない。

 一回目の開花の儀のあとに王から注意された貴族達は、メリッサが失敗しても陰口を言うようなことは無くなったが、白けた目を向けたり通り過ぎる時にこれ見よがしに笑ったりと陰湿さは増していった。

「やはり偽者なのでは?」

「一度エルシリア様にもさせたらいいのよ。そうすればはっきりするもの」

 という声はメリッサの心を容赦なく抉った。


 心労から王宮でまったく笑わなくなったメリッサを前に王は「少しでも楽しんでほしい」 と舞踏会を催した。王妃も王太子もメリッサに興味がない中で、優秀だった兄が流行り病で亡くなり、出がらし王子と呼ばれた次男の自分が王になったという経緯があるからか、王が一番メリッサを気にかけていた。

 メリッサは贈られたドレスに袖を通した時に場違いだと思った。コルセットいらずの痩せすぎた身体はそれはそれでドレスが似合わない。ガレリオに会った日に着たドレスは威厳を示すように、と地味なドレスだったからいいが、今日のはフリルにリボンにレース……美人が着れば素敵なんだろうけれど、と思ってしまう。


 王太子がファーストダンスに誘ってきた時は流石に胸がときめいた。だがペアダンスなんて踊ったことのないメリッサはガレリオの足を踏んでしまい、また意地悪な令嬢達の失笑を買った。一応聖女という立場であるにもかかわらず、王太子以外誰もメリッサをダンスには誘わなかった。なので最初のダンス以降、ずっと壁の花となっていた。

 そして王太子だが、舞踏会の終わり間際にあのエルシリアと華麗にラストダンスを踊っていて、ちゃんとしたダンスってああいうのなんだなあとメリッサがぼんやりしていると、「嫌だ、ラストダンスの相手は貴方が本命って言うのと同義だというのに、知りもしないで見惚れているのね」 とまた意地悪な令嬢が嘲笑してくる。こうまで見下されてるのは誰もメリッサが聖女だと信じていないからだ。

 メリッサは限界だった。共もつけずに会場を退出する。

 その数時間後に「エルシリアに聖力開花の儀をさせるつもりだ」 という神官からの連絡があり、これで自分が偽者だと確定するんだろうなとメリッサはぼんやり思った。


 そして満を持してエルシリアが聖力開花の儀を行ったが……そもそも聖力量が圧倒的に足りてないのに咲くはずもない。神官達にはそう分かっていたが、貴族と王妃の圧力に負けてさせるしかなかったのだ。神官の中には本物でなかったら無用な恥を晒すだけだというのに馬鹿なのだろうかと言う者もいた。

 衆人環視の中でその恥を晒したエルシリアは顔を真っ赤にしながら退出した。エルシリアこそ聖女に違いないと言っていた貴族達はただただ気まずそうにお互い目を逸らし合っていた。

 王太子ガレリオもエルシリアこそ聖女だと信じていたので、それを思い違いだとまざまざと見せられ、そそくさと退出していった。


 神殿からの連絡でエルシリアは結局聖女ではなかったと知ったメリッサは安堵した。ここを追い出されたら自分は生きていく場所がない。孤児院に戻ったって聖女の偽者という烙印付きでは前以上に酷い扱いになることは間違いない。そのつもりはなかったにせよ、聖女を騙っていた人間を雇いたい人間もいないだろうし、とここ数日軽く気鬱になっていた。

 聖力開花の儀に成功していないのは自分も同じだが、とりあえず追い出されるのは先延ばしになったのだと思うと安堵の溜息が出た。

 その時、メリッサは下腹部に違和感を覚えた。確認すると下着に血がついている。慌てて医者にかかると月経が来たのだと説明される。メリッサは栄養失調気味だったので、15になっても月経が来ていなかったのだ。それがこの三カ月で栄養が改善されたことで無事に迎えられた。

「もしかしたら今なら聖力開花の儀も成功するかもしれません。今までは聖力に肉体が追いついていなかったのなら説明がつきます」

 その言葉を受けて行った聖力開花の儀は、ものの見事に成功した。鉢植えの神の花があっという間に蕾をつけて花を咲かせたかと思うと、鉢をつき壊し大理石の床を突き破り地面に根を生やし大樹となった。聖力の違いをいうものを全ての貴族が見せつけられた。エルシリアどころか歴代聖女の中でも断トツで聖力が高いと確信できる御業だった。

「さ、さすがは聖女様」

「本物はやはり違いますね」

 前回までは打って変わって貴族達はメリッサに媚びをうった。もちろんそれを素直に嬉しいと思うようなメリッサはもういない。それどころか今度は今までチヤホヤしていたエルシリアを遠回しに馬鹿にするのかと呆れていた。

 一連の奇跡を目にしたガレリオは、その奇跡を起こした聖女メリッサに見惚れていたが、メリッサは気づかなかった振りをして退出した。



 こうして結界修復の旅が始まった。三カ月遅れで。

 しかし結果的には病人のようだったメリッサが人並みにまで体力がついたので良かったのかもしれない、というか神がそうなるように見守っていたのかもしれない。

 メリッサは無心で要石に魔力を注いで結界を修復していった。その合間に婚約者たるガレリオが話しかけてくる。

「お疲れさま。体調はどうだい?」

「……変わりありません。王太子様は?」

「何もしてない僕まで心配してくれるの? 本当にメリッサは優しいんだね」

「唯一無二の婚約者ですから」


 傍から見れば仲の良い恋人のような会話。いや、少なくとも王太子にとってはそのつもりなのだろう。

 だがメリッサからすれば保身のためでしかなかった。

 期待に沿えない行動をすると周囲がどう豹変するか。それをこの三カ月間近で見せられ続けてきた。

 そのせいで要石に聖力を注ぐ時も一瞬「また何もなかったら」 と恐怖を覚えてしまう。幸い聖力に目覚めて以降そういうことは無かったけれど。

 でももしまた聖女らしくない行動を取ったら、また彼らは手の平を返すのだろう。また新たな聖女を担ぎ出すのだろう。そうなったら平民の自分は行き場がないのだ。

 じゃあ目の前の相手に媚びるしかないじゃないか。例えわだかまりのある相手であっても。



 エルシリアが聖女ではなかった。そう突き付けられた聖力開花の儀ではエルシリア以上に王太子が恥をかいた。何せエルシリアを評価する貴族は王太子であるガレリオが彼女に好意を持っているからという理由がほとんどなのだから。そのエルシリアはよせばいいのに自ら墓穴を掘って自分から己が聖女ではなく聖女気取りだと証明した。その人気も権威を失墜したのは言うまでもない。そんな失態を晒す女を好きな王太子ってどうなの? そもそもエルシリアが聖女だと確信しているからメリッサにも冷めた態度だったんじゃないの? エルシリアが本物じゃなかったけど今までの行動どうするの? こっちは貴方を信じたから貴方に迎合した態度を取ってただけなんですけど? と貴族の不満はガレリオに向かう。当のガレリオはそっちが勝手に信じていただけと責任をまともに取ろうともしなかった。

 やっぱりメリッサが本物なのだろうか? でも聖力開花の儀が……と誰もが思い悩んでいるところに、メリッサの聖力開花の儀が大成功を収めた。


 ガレリオはエルシリアが聖女と信じていた時は、彼女が聖力開花の儀で花を咲かせるシーンを何度も思い描いてきた。だが想像は所詮想像に過ぎなかった。本物はなんと壮大で圧倒的なのだろう。全ての疑いを吹き飛ばすようなその急成長は、同時に全ての貴族が魅せられた。

 と同時に今の今まで偽者ではないかと軽視していたことが後ろめたくなった。そこへ王が聖女に「そなたに理不尽な態度を取った貴族も多かろう。処分はそなたの好きなようにするといい」 と言うものだから誰もが震えあがった。

「いいえ……。神の力を示せない人間を聖女と思うことが出来ないのは当たり前です。示す前から聖女だと思えとは言いません。そんなことがまかり通るならこの儀式の意味がなくなる。だから不問にしましょう。この件で後代の聖女にまで悪影響があってはなりません」

 筋の通った言い分と、実質的な無罪放免にするという言質。貴族は皆手の平を返してメリッサを称えた。その中にはガレリオもいた。

 ガレリオは特に感動しており、なんて優しい、なんて強い。聖女でないと分かった後はへそを曲げて公爵家に引きこもっているエルシリアとは雲泥の差だ。あと初対面の時は棒人間がドレスを着ているくらいの印象だったのに、この三カ月ですっかり綺麗になったのも今は好印象だと浮かれきっていた。


 メリッサとしてはただただ聖女らしくないと言われるのが怖かったゆえの詭弁だった。そうするほうが支持を得られるだろうという打算もあった。その結果、こうして絶賛されるのだからそれは正しかったのだろう……。

 だが、一人くらい今までの対応を謝罪してくれてもいいじゃないか。不問にはするけど出来事が無くなった訳じゃないのに、という不満はメリッサの中にいつまでも残った。



 月日は流れ、結界修復は無事終わった。あとは王都に戻って聖女帰還パレードを行い、ガレリオを結婚式をあげて王妃になるのみ。

 宿に泊まり、星を見上げながらその事実を何度も何度も咀嚼する。噛みきれない肉のようだった。

 コンコン、と扉が叩かれる。こんな夜中に聖女のもとを訪れることが出来るような人間なんて一人だけだ。

 案の定ガレリオがそこにいて、少し話さないかと言ってきた。

 まもなく結婚という段階は普通の男女なら最高に盛り上がる時。嫌ですなんて言って水を差すような真似は出来なかった。


 その宿は歴代聖女と王太子が泊まるくらい権威の高いところで、接客も一流なら外見も豪華。気楽に夜風に当たれるようにと立派なバルコニーまでついていた。二人はそこで話し出す。


「その、王都に帰ってすぐ婚姻という形になるけど」

「はい」

「もし体調が悪いとかあればいつでも言ってくれ。聖女の身体には代えられないから。君は特に……最初の頃は身体が弱かったし」

「お気遣い、ありがとうございます。王太子様の優しさが嬉しいです」


 ガレリオはメリッサのその言葉にふっと笑い、そのあと申し訳なさそうな顔をした。

「最初といえば、君はすぐには聖女と認められなかった件だけど……」

 メリッサは思った。

 ここで謝罪してくれるなら全てを水に流そうと。貴族達もガレリオも態度は酷かったけど、聖女の証明が出来なかった自分にも原因があるといえばある。


「神も酷いよな。すぐそれと分かるようにしてくれればいいのに。聖女は貴族にしか生まれないとか平民にしか生まれないとかあれば誰も間違わなかったんだよ」


 よりにもよって神様を責めるのか、とメリッサは呆れた。神官は最初から分かっていたのにそれは証明にならないと? 散々疑った件は自分は悪くないと? 聖女であると自分で証明もできなくて、本来味方なはずの婚約者である王太子すら他の女性が本命で。あの時どれほど苦しくて惨めだったか。

「けど結果的には良かったのかな。あれがあったから君がどれほど心優しい子なのか分かったのだから。僕はその優しさと強さに惹かれたのだから」

 打算まみれの行動がそう見えたのですね、とメリッサは思ったが口にはしなかった。

「僕はもう間違わない。君に永遠を誓おう」

「……はい」

 メリッサは媚びを売るつもりならここで「私もガレリオ様に永遠を誓います」 くらいは言わないと、と分かっていたが、先程から喉の奥が焼けるようで簡単な返事をするのが精いっぱいだった。

「ああ、随分長く話してしまったね。もう休まないと。それじゃあ……おやすみ」

「……おやすみなさい」


 メリッサはそう言って部屋に戻ると、声を殺して泣いた。

 あんたらの誠意ってそんなものなの? 不問にするとはいったけど無かったことにするなんて言ってない! 何で私が一方的に傷つけられたのを許さないといけないの。いやその理由は分かってる。向こうは大多数だし上流階級だし、私はこの立場を失ったら元の生活以下になるかもしれないからだよね、そう分かってるけど!

 メリッサはひたすら泣いた。それしかストレス発散の方法を知らなかった。


 メリッサが泣きつかれて寝入った頃、哀れに思ったのか、夢に神が現れた。


『聖女……私の愛し子……』

 世にも美しい男が悲し気にメリッサを見ている。そのこの世の者とは思えない美しさからすぐに神だと分かった。

「わ、私、聖女の役目を真面目にやりました」

 神にまで嫌われては堪らないと咄嗟に言い訳がましいことを言ってしまう。

『分かっている。貴方ほど聖女の役目に熱心だった子はいない。私も誇らしいよ。それなのに……貴方は幸せではないんだね』

 そう言われてメリッサの中で何かが弾けた。抑え込んでいた感情が溢れだす。

「幸せなんて……こんな薄氷の上を歩くような環境が幸せだなんて……。聖女らしくないって散々言われて! バカにされて! なのに証明したら手の平返し! 随分軽いな、どうせまた何かあればそうするんでしょ! こっちはそれが怖いから不問にしただけなのに誰一人謝ろうとしないし! みすぼらしかった私が悪いのか、一方的に悪いのか! あんなやつらのためにこれからも生きてかなきゃいけないなんて……やだ――!!」

 ボロボロ泣きながらそう叫ぶメリッサを神は憐れんだ。同時に勝手に聖女に規則性を求めて誤認した人間達に腹立たしさも覚えていた。メリッサはこの環境に不満だし、王都の人間達の中はあっさり許したメリッサをちょろい聖女だと思ってこれからもこきつかうつもりでいる奴らが少なくない。これらをどうにかするには……。


『貴方を別の土地にやることが出来る』

 メリッサは泣き止んだ。それは一筋の光のような希望に思えた。

「本当に!? でもそうなったら王都の人達は……それに戸籍も」

『私が何とかしよう。貴方はもう少し我儘を言っていい』

 神からその言葉を聞いたメリッサは涙を止めて主張した。こんな機会二度とない。今訴えないといけない。私の本音を。

「神様……私、出来るのなら違う土地に行きたい。そこで気楽に生きたい。聖女の名前は……私には重すぎます」



 翌朝、ガレリオは侍女から聖女がいない、部屋には書置きしかないと聞かされて大いに動揺した。慌てて部屋に行くと、書置きにはただ一言『さよなら』 としか書かれていなかった。


 前代未聞の聖女失踪は醜聞を恐れた王家によって隠された。何せ失踪したくなるような件には心当たりがありすぎる。

 貴族達は元々責任転嫁が上手い。「いなくなっちゃったの? 私達のせい? 今更そんな当て付けがましいことされても……」 と聖女が悪いということになった。

 そんな中あのエルシリアが「なら私が聖女ってことで問題ないじゃない。これで堂々とガレリオ様と婚姻できるわ!」 と喜々として社交界に戻ってきたが、「花の一つも咲かせられないで何が聖女なんだか」 と笑われてまた実家に引っ込んだ。

 そして当のガレリオは……。


 ガレリオはあの最初の聖女誤認の件で、メリッサの聖力開花の儀成功の直後、母である王妃には慰められたものの、父である王には睨まれて説教された。

「偽者だと確定してから冷たい態度を取るならまだしも、何も分かってないうちから粗略にするとは何事だ。その頭は飾りか。色ボケしているのか。この国が存在する限り聖女のことは記録されて永遠に語り継がれるのだぞ。当然関係者の失態もだ。その意味が分からんのか」

 だって誰もかれもエルシリアが本物の聖女みたいなこと言ってたのに、とぶーたれていると、王は呆れて溜息をつきながら最後の忠告をした。

「ガレリオ、ひとまず信じなかったことは謝罪しなさい」

 実の息子側に百パーセント非がある。そう思っているから出る言葉。実の父親がよりにもよって。その事実にカッとなった。

「本人だってつらい出来事だろうに蒸し返すようなことをわざわざするんですか? そもそも王家が簡単に非を認めてどうするんです? 王家の権威を失墜させる気ですか? そのことで後代の聖女が調子に乗ったら? 大体本人が許したことをわざわざ言うなんて自意識過剰というものです」


 それを聞いた王の表情が無になった。


「そうか……もういい」


 言い負かしたのだと思ったガレリオは意気揚々と謁見の間を出る。

 ガレリオだって自分が悪いとは思ってるのだ。だからこれからは沢山優しくして誠意を見せる。王族だから簡単に謝罪は出来ないけど、聖女だって最終的には王族になるんだから理解してくれる。


 そしてメリッサと結界修復の旅に出ることになった。

 聖力の高さは認めるけれど、所詮平民出身。大した期待はしていなかった。

 けれどきちんとした食事をとるようになってから見る見るうちに綺麗になり、本の一冊も読んだことがないという彼女は、教師に本を与えられてからというもの乾いた大地がいくらでも水を吸い込むように知識をつけた。

 何より後ろめたさがあったガレリオの心を解きほぐすように彼女は優しく接してくれた。

 そんな中でエルシリアからの手紙が伝書鳩でちょくちょく送られてきたのだが、どこを読んでも言い訳だらけで「だから何?」 としか思えなかった。更に最近では「聖女さえもっとこっちに気を遣ってくれれば」 「最初のブスな姿覚えてる? あれが本当の姿なのよ、忘れちゃダメ」 と逆恨みすらしている。百年の恋も冷めそうだが、それでも初恋の女性ゆえに捨てきれない。読みながらもだもだしているところを、通りかかった聖女に目撃された。

「エルシリア様の家の印章ですね。彼女からの手紙ですか?」

 メリッサの前でエルシリアの手紙を読むのが恥ずかしく、また聖女の悪口まで書いてある手紙を知られたくなく、咄嗟に手紙をぐしゃりと潰してしまった。

「そ、そうだけど……時候の手紙だよ。深い意味はない」

「……そうですか」

 女同士の関係には疎いガレリオだが、それでもメリッサにとってはエルシリアは地雷だろうなということくらいは想像がつく。これ以上聖女に悪印象持たれたくないし、エルシリアには一度はっきり迷惑だと言うべきか。

「私のことは気にしないでください。彼女も他の貴族に持ち上げられてああなって……きっと寂しいでしょうから」

 当のエルシリアは手紙でメリッサをボロクソに書いているというのにこの寛大さ。やはり本物の聖女は違う、とガレリオは思った。

 もちろん当時のメリッサからしてみれば無駄に敵を作りたくないだけだった。手紙のやり取りするくらいの情はあるんだろうから、目くじら立ててたらこっちが嫌われてしまう。

 ガレリオはそんな意図も知らず、初恋の相手を悪く思う自分を恥じ、悪く言ってくる人間にすら気を遣う聖女に感動していた。

 ふと、自分の中の理性が「でも最初の対応はまずかったのでは?」 と言う時があるが、無理矢理蓋をした。許されたからこうして話せるんじゃないか。過去を振り返るなんて時間の無駄だ。


 日に日にメリッサは美しくなる。と思うのは恋をした欲目もあるかもしれない。

 ある日、横を歩くメリッサの手をさりげなく握る。彼女は一瞬戸惑ったあと、ぎゅっと握り返してくれて、目が合うと微笑んでくれた。

 全て許されたんだなあとガレリオは思った。

 罪悪感もあってか、メリッサの優しさはガレリオに多幸感をもたらした。早く結婚したいと思うほど。


 だから聖女が消えたと聞いて現実逃避しか出来なかった。

「嘘だ……嘘だ」 とぼやいて立ち尽くすガレリオを侍従が叱咤して王都に戻らせた。


 ガレリオが王宮に戻り王に対面すると、早馬で聖女失踪を聞いていた王は「こうなると思っていた」 と言うのでガレリオは「知ってて放置してたんですか!」 と怒鳴ってしまう。


「何だその言い草は。まさか父王に尻拭いをさせる気だったのか? お前のことだから聖女に理想を押し付けて生身の人間の部分を見ようともしなかったのだろう。そして最初の三カ月で貴族社会の現実を必要以上に叩きこまれた聖女は無理してお前の理想に付き合った。その結果がこれだ」

「それでは……まるで聖女が僕を好きじゃないみたいじゃないですか」

「儂だったら冷遇してきて謝罪もしない相手とは普通の付き合いもしたくないがな。仕方なく付き合うしかないとなったら、また冷遇されるかもしれないと考えるし媚びの一つや二つ売るだろう」

 淡々と現実を教える王に、お花畑の中にいたガレリオは現実に引きずり出されていく。

「あの状況で恨み言の一つも言わずに許すなんて健全ではない。一方的な我慢の上に成り立つ関係が良いものとは決して言えない。お前と聖女の関係は最初から危うかった。情けないが、それが分かっていても結界修復だけはしてもらう必要があったからな……。事件性がないならもう聖女のことは忘れろ。安らかに眠らせてやれ」

 


 その頃、メリッサは異国の地にいた。その際にこの土地の神様とも知り合いになった。神は一柱ではないのかと驚く。

 国ごとに神はいて、メリッサの故郷の神と比較的仲の良いこの国の神に融通を利かせて、子の居なかった夫婦の養子となった。

 聖女だった時と違って豪華な食事や衣服や寝床、というものはなかったけど、常に誰かの視線を恐れて自分の振る舞いに気をつけて、一言だって自分の本音が言えない生活とはおさらば出来てむしろせいせいしていた。

『貴方、苦労したのね。せめてここではゆっくりしてちょうだい』

 ここの神様も優しかった。お陰でメリッサはのびのびと過ごせる。

 でももう故郷の神様とは会えないのかなと思うと少し寂しくもある。でも仕方ない。この世界では神は土地に縛られるものらしいから。



 聖女が姿を消して一年、ガレリオはいまだ聖女を諦めきれずにいた。

 王は次の婚約者を見つけろとせっつくが、聖女に逃げられた王太子なんて縁起でもないと釣書すら来ない。これは引く手あまただったガレリオには屈辱だった。そしてそれが本来の評価なのだと思い知った。どんなにこれまでの功績があっても、聖女への対応一つで吹き飛ぶ。父王が注意した意味を今頃になって理解した。

 あのエルシリアなら余っているが、と進言する者がいたが、彼女は自分以下だと思っていた貴族達に何度も笑われたのがトラウマで、いまだに実家に引きこもっている。その気持ちは理解できるが、それにしたってそれは自分が聖女にけしかけていたことでもあっただろうに。その立場なら聖女を嘲笑する貴族達を止められたのに結局何もしなかったのは誰もが知っている。性格に問題がありすぎて彼女が王妃になったら国が滅ぶ。以前は優秀な王妃候補とも言われていたが、それは聖女の有力候補だったことから周囲による多大な演出だった。それに本人は厳しい教育をしていると度々自慢していたが、教育係いわく「他の人間なら十聞いて五覚えるところを、彼女は十聞いてやっと一を覚える程度。厳しくしなきゃ間に合わない」 とのこと。頭は良くないのに地位のお陰で良く見せてもらってるんだな、と思わず見下してしまったガレリオだが、まんま自分にも当てはまることだと思うと胃がキリキリした。

 結局、伴侶一人見つけられない王太子には不安があるとして、ガレリオは廃嫡された。あとは第二王子が引き継いだ。


 ある朝、王子ですらなくなったガレリオは島を出ることにした。海はセイレーンやクラーケンなど魔物が出るので、近場で漁はしても遠くに行こうとは誰も思わない。それでもガレリオは頼りない船に乗って一人きりで海に出た。

 聖女にした最初の対応のこともあって、聖女は自死したのだと誰もが思っている。

 だがガレリオは思う。誰もその現場を見ていないし、証拠もない。聖女はこの広い世界のどこかで生きているかもしれない。ガレリオは船を漕ぐ櫂を持って勢いよく漕ぎ始めた。

 傍から見れば自殺行為でしかないその旅。だが彼の背中を、彼の故郷の神はじっと見ていた。

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タイムロスがあった聖女はこの役目を下りたい 菜花 @rikuto

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