第4話 カワハギ埠頭

 数日後、わたしは打ち捨てられたような埠頭に立っていた。

 ここも父に教えてもらった釣りの穴場だ。

 数軒しか家がない廃村寸前の寂れた漁村から、海に突き出した一本堤。

 海底まで適度に深く、砂底と岩礁が混じる絶好の釣り場であることを知る人は少ない。

 だが、知る人ぞ知ると言うべきか、突端で釣り好き伯爵のルカ・フェデリコさんがウキ釣りをしていた。


「やあ、また会ったね」

「おはようございます」

「一緒に釣ろうじゃないか。この埠頭の先端では、クロダイがよく釣れる」

「遠慮します」


 今日の本命はクロダイではない。

 ここではもっと美味しい魚が釣れるのを、わたしは知っている。

 伯爵は不服そうにちょっと唇を尖らせて、わたしを見つめていた。

 それを無視して、淡々と自分の釣りの準備をした。

 この埠頭ではカワハギがよく釣れるのだ。

 わたしは秘かに、ここをカワハギ埠頭と呼んでいる。

 

 竿は先日使ったのと同じ5.4メートルの竹竿。

 毛髪の釣り糸に針を結び、その下にオモリをセットした。

 日本ではこれを胴付き仕掛けと呼ぶが、父は単に途中針と言っていた。

 餌はアサリ。

 昨日砂浜でたくさん採取し、今朝早く起きて、貝殻をむいた。

 アサリのむき身は、カワハギ釣りの定番の餌。

 ウキは使わない。オモリを海底につけて、底釣りを開始した。 


 埠頭の1か所にとどまらず、探り釣りをするわたしを、ルカさんがちらちらと見ている。

 わたしの釣りが気になるようだ。

 

 カワハギの別名は餌取り名人。

 小さな口でアサリだけを上手に吸い込み、針を避ける。

 なかなか針掛かりしない釣り人の好敵手。

 うまく掛けると、グン、グン、グンと小気味好い引きを楽しませてくれる。

 

 最初の1尾を針掛かりさせ、引きを十分に味わって、釣りあげた。楽しい。

 菱形で平たい小魚。皮には鱗がなく、ざらざらしている。

 ナイフで活き締めをして、海水を入れたバケツに放り込んだ。


 伯爵が自分の釣りを中断して、わたしのところへ来た。

「こんな魚が狙いなのか?」

「はい」

「気味の悪い雑魚じゃないか」

 ルカさんはカワハギの美味しさを知らないようだ。

 もっともそれは彼の無知ではなく、この世界では、カワハギは釣りの対象魚として認知されていないだけのことだ。

 ここは釣り大国日本ではない。

 わたしはにやりと笑って、底釣りを再開した。

 ルカさんは釈然としない顔で埠頭の先端に戻り、ウキ釣りをつづけた。

 

 正午頃には、カワハギを7尾手に入れていた。

 昼食はもちろんアウトドアで! 


 カワハギは皮をはぎやすい魚で、べりべりと簡単にむける。

 それから内臓を慎重に抜いて、薄いピンク色をした肝を取り分けた。肝臓以外は海に捨て、魚に食わせる。

 まな板の上に載せ、ナイフで三枚におろした。

 カワハギの身と肝を海水で洗う。

 魚の下処理をしていると、伯爵がまた近づいてきた。


「料理だな」

「はい……」

「なにをつくるんだ?」

 興味津々でたずねてくる。

「カワハギの水炊きです」

「そんなものが旨いのか?」

「まあまあ……」

 わたしは曖昧に答えた。

 ルカさんはわたしを睨んでいる。

「旨いんだな?」

 美味しい。特に肝は絶品だ。わたしが元いた世界では、海のフォアグラと呼ばれていた。

「手伝ってくれたら、食べさせてあげますよ」

「手伝う」

「その辺で枯れ枝を集めて、火を起こしてください」

 この地方で一番えらい辺境伯は、いそいそと漁村へ行き、枯れ枝や朽ちた木材を集めてきて、着火した。どことなくウキウキとして、楽しそうだ。


 カワハギと白菜の鍋をつくった。

 残念ながらこの世界にはポン酢がないので、塩とレモン汁だけのシンプルなつけだれで味わう。

 爽やかな風が吹く埠頭で、新鮮な熱々の白身を食べた。癖のないきれいな味。

「旨いな。しかし、鯛めしと比べると平凡だ」

 さすがは伯爵だ。贅沢なことを言う。

 ふふん、と鼻で笑って、わたしは肝を口に入れた。

 とろりとした食感と濃厚なコク。これがあれば、フォアグラなんていらない。

 

「それは?」

「カワハギの肝臓です」

 この世界には魚の内臓を食べる習慣はない。漁師の父ですら食べない。伯爵は引いていた。

 わたしはかまわずに食べつづけた。

 この味を知らないのは不幸だ。


「旨いのか?」

「まあまあ……」

「旨いんだな?」

「食べてみますか?」

 こくんとうなずいたので、肝を茹でてあげた。

 ルカさんの器によそう。

 おそるおそる食べた後、彼は感嘆した。

「うめー」


「カワハギは肝が美味しいんですよ」

「テティス、きみは不思議な人だ。わたしは最高の料理人を雇っているが、これほど旨いものはめったに出てこない」

「海にはもっと美味しいものがありますよ」

 たとえばウニとかカニとかイカとか……。

 醤油がほしいなあ。 

 

 ふたりでカワハギ鍋を食べ、たっぷりとあった魚と白菜は全部お腹の中に消えてしまった。

 ルカさんは釣り好きで、食いしん坊。

 もしかすると、この人とは長いつきあいになるかもしれない。


「午後は私もカワハギを釣る。釣り方を教えてほしい」

 一緒に釣ると、釣り糸の秘密がバレてしまいそう。

 まあいいか、とわたしは思った。

 眼前に広がのは豊饒の海。いくら釣っても魚が尽きることはない。 

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釣り糸銀髪美少女と辺境伯の海辺暮らし みらいつりびと @miraituribito

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