第3話 鯛めし

 わたしは5.4メートルの竹竿を持ち、各種の釣り具と料理道具、食材を入れたリュックサックを背負い、秘密の磯に来た。

 足元から水深が5メートル以上ある魚種豊かな磯。洞窟を抜けないとこの釣り場に来ることはできない。父に教えてもらったとっておきの穴場だ。

 貸し切り状態で釣りを楽しむことができる。

 ところが、この日は先客がいた。


 185センチくらいの長身の男性が、わたしの竹竿よりさらに長い竿を海に突き出していた。

 こちらに横顔を向けた。若くてイケメンだった。年齢はたぶん二十代前半。金髪碧眼で、鼻の形は彫刻かってくらい高く美しい。

 わたしが転生した地域は、若くてイケメンで無類の釣り好きの辺境伯が治めている。

 名前は確かルカ・フェデリコ……。


「お嬢さん、一緒に釣りをするか? 隣で竿を出すことを許可する。私はルカ・フェデリコ。伯爵だ」

 伯爵と一緒に釣りをするのは窮屈だ。

「遠慮します」

 わたしは荒々しい磯を転ばないように気をつけて歩き、伯爵が小人に見えるくらい離れた場所で釣りの準備をした。


 釣り竿の先端に私の髪の毛の釣り糸を結ぶ。銀色で透明感のある糸。細くても十分な強度があり、しなやかさも兼ね備えたこの世界に存在する最高の釣り糸だ。

 糸の途中に木のウキをつけ、その下にオモリを結び、一番下に鉄の針を結ぶ。

 これで仕掛けは完成だ。

 この世界には釣具屋さんなんてない。私は釣り具を自作したり、お父さんからもらったりしている。


 釣り餌も自分で収集しなければならない。

 今日は畑を掘って取ったミミズを持ってきている。

 釣り針にミミズを刺して、竿をしならせて下手投げで仕掛けを海に投入した。

 

 ウキを見つめ、ときどき海と空を眺める。夏の暑さが過ぎ去った天気のよい秋。至福の時間だ。

 ピコンとウキが動いて、海中へ消し込む。

 竿を立てて魚を針掛かりさせることを、合わせ、という。

 わたしは合わせる。ぐぐん、と竿に重みが乗る。魚が掛かっている。


 釣りあげたのは、アイナメだった。食べて美味しい磯の魚だ。今日の狙いの魚ではないが、キープする。

 えらのあたりと尾びれの付け根をナイフで切って、血抜きをする。ついでに腹も切り裂いて、内臓を海に捨てた。


 釣りはいいなあ。楽しくて、食べ物を得ることもできる。

 わたしは竿を持ち、ウキをじっと見つめつづける。

 磯の魚が次々に釣れた。

 アイナメ、メバル、カサゴ、メジナ。大漁だ。


 伯爵はわたしほど大漁ではない。

 ときどき釣果があるようだが、わたしほど頻繁には釣っていない。

 彼はわたしの方をちらちらと見ている。

 どうしてわたしがこんなにたくさん釣るのかと訝しがっているのだろう。

 秘密は釣り糸にある。

 細くて、魚から見えにくくて、しかも丈夫な釣り糸。

 これが大漁の秘密。

 伯爵が高級な絹糸を使っていようとも、わたしには勝てない。


 やがて、お目当ての魚が釣れた。クロダイだ。これが釣りたかった。

 体長45センチほどで、まずまずのサイズ。

 わたしは釣りをやめて、食事の準備にとりかかる。

 昼食はアウトドアで!


 わたしはリュックサックから料理道具と食材を取り出す。

 鯛めしをつくるつもり。


 まな板の上にクロダイを載せる。まだ生きている。

 えらを切り、腹を割く。クロダイが痙攣する。

 素手でえらと内蔵を抜いて、海に捨てる。小魚が集まってきて、それをつついているのが見える。

 死んだクロダイの皮にナイフを沿わせて、鱗を取り除く。それから三枚におろす。


 ロープをつけた鹿の皮袋で海水ををすくい、クロダイの身を洗う。

 身をひと口サイズに切る。

 魚の下処理はこれで終わり。


 ふと傍らを見ると、ルカ・フェデリコ伯爵が立っていた。

「料理か?」

「はい……」

「なにをつくっているんだ?」

「鯛めしです」

「聞いたことのない料理の名前だ」

 当然だ。この世界にはない料理。わたしの前世の記憶の中にしかない。


 磯の上に林がある。

 そこに登って、枯れ枝を集める。

 わたしがそうするのを見て、伯爵も同じことをした。

 磯に戻ってきて、火を起こした。


 金網にクロダイの切り身を載せ、火で焙った。

 適度に焼き色をつけて、金網を磯の岩の上に置いた。


 土鍋に家でといでおいたお米と焼いた魚の切り身と適量の真水を入れて、塩をふりかけた。蓋をして火にかける。

 土鍋と米と水は重かったが、鯛めしを食べるのが今日の目的だ。やむを得ない。がんばって運んできた。

 米は二合ある。


 炊きあがるのを待つ間、他の魚を捌いて、潮汁をつくった。

 味付けは塩とこの世界の酒。白ワインに似た酒だ。

 潮汁が完成したときには、鯛めしが炊けていた。


 ルカ・フェデリコさんは突っ立ったまま、わたしが料理するのを眺めていた。

 伯爵に「食べますか?」とたずねた。

「いただこう」と彼は答えた。ですよねー、とわたしは思った。そういう流れだった。


 鯛めしと潮汁を食器によそい、スプーンとともに、ルカさんに「どうぞ」と告げて渡した。

 わたしは土鍋に手を伸ばし、食べ始めた。


「うめー」と思わず口からこぼれる声を止められない。

 伯爵はつやつやに炊かれたごはんと、その上に載っているクロダイの切り身をしばらく見つめていた。

 怖々とスプーンですくって、口の中に鯛めしを入れた。

 食べた!

 猫に餌付けしている気分。

「美味しい……」としみじみとつぶやくルカさん。料理を褒めてもらえるとうれしい。伯爵の好感度がわたしの中で上昇した。

 少し塩味のついたお米と魚をもぐもぐ。

「うめー」 


「潮汁もどうぞ」

「このスープは潮汁というのか」

「はい」

 わたしと彼は汁と具をすくって、食べた。

 新鮮な魚のスープ。まったく臭みのない鮮烈な磯の味が舌を蕩けさせる。

「うめー」

「うめー」

 ふたりの言葉が重なって、笑いあった。


「きみの名を教えてくれないか」

「テティス・クラミッハです」

「海の女神と川の女神の名だ……」

 恥ずかしい名前だ。

 わたしはうつむいた。


「テティス、また一緒に釣りをしたい。できれば料理も……」

 一緒に釣りをしたつもりはないし、料理したのもわたしひとりだ。ともにしたのは、食べたことだけ。

 それでもわたしはうなずいた。

 海は凪いでいた。

 わたしは釣り具と料理道具をかたずけ、洞窟を抜けて、家に帰った。 

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