第2話 最高の釣り糸


 わたしの特殊能力は、できるだけ秘密にすることにした。

 細く切れにくい糸は、この世界でものすごく需要があるはずだ。

 バレると毛髪が奪い合いになり、わたしは丸坊主にされてしまうかもしれない。


「お父さん、この糸、欲しい?」

 長く伸ばしたわたしの銀色毛髪を1本、父に見せた。

「ん? なんだその糸は?」

 父は手に取り、引っ張ったり、石にこすりつけたりした。

「ものすごい強度だな。細いのに、石でこすっても切れない。これはとてつもない糸だぞ。どこで手に入れた?」

「んー、秘密」

 父はハサミを使い、糸を切った。そして結び合わせた。

「断ち切りたいところで切ることもできる。強度があるのに、適度に柔らかく、結びやすい。細くて銀色で、魚からは見えにくそうだ。最高の釣り糸になるし、これで漁網をつくったら、大漁まちがいなしだ」

「やっぱり?」

「教えろ、テティス。どこで買ったんだ?」


 わたしの名はテティス・クラミッハという。

 テティスはこの地方の海の女神の名で、クラミッハは川の女神の名だ。

 ふたつの女神の名を持つわたし。

 父は大真面目でこの名をつけたらしいが、ちょっと恥ずかしいキラキラネームだ。

 ちなみに父の名はティアマト・クラミッハ。

 ティアマトも海の神の名だ。


「買ったんじゃないわ。拾ったの」

「拾った? こんなに貴重そうな物をか」

 父はわたしの髪をじっと見た。

「この糸、テティスの髪の毛と似てるな。いや、似てるなんてもんじゃない、そのものだ。まさか……」

 さらに頭髪をじろじろと見られた。

「おまえの髪の毛なのか?」

「ちがうよ。わたしの髪はそんなに長くない」

 わたしはとぼけた。父が手に持っている糸の長さは3メートルほどだ。わたしの髪は肩までの長さ。

「確かにそうだが、うーん、なんだか釈然としないな」

 父は糸と髪を見比べつづけた。


「ねえお父さん、この糸をもっとたくさん欲しくない?」

「そりゃあ欲しいが、まだ持っているのか?」

「実は拾ったんじゃなくて、お父さんにも言えない秘密の伝手があるの。手に入れることはできるわ」 

「テティス、まさかとは思うが、売春とかしてないだろうな?」

 わたしの顔がかっと熱くなった。

「してないわよ! 娘に対して、なんてことを言うの!」

 父はたじたじとなった。

「いや、まあ、そうだろうとは思ったが、この糸はどう考えても、普通の子どもが買えるようなもんじゃない。漁師のおれでさえ初めて見た。まちがいなく極めて貴重な物だ」

 きっと高値で売れるんだろうな。でも、わたしはいまのところ、これを売り物にする気はない。

「とにかく入手経路は詮索しないで! それで、欲しいの、欲しくないの?」

「欲しい。この糸で魚を釣りたいし、魚網をつくりたい」

「じゃあ明日、100メートルあげる。そのかわり、わたしに釣りを教えてほしいの」

「テティスもこの糸で釣りをするつもりなのか?」

「うん。自分の力で魚を釣り、新鮮な料理をつくりたいの」


 わたしには日本で生きていた前世の記憶がある。

 寿司とか刺身を食べたいが、この異世界には生魚を食べる習慣がない。

 イカやタコも食べたいが、こっちではゲテモノで食べる人はいない。

 生魚や頭足類をわたしが食べているところを見たら、両親は卒倒するだろう。

 自分で釣って、秘密裡に食べるのが穏当なやり方というものだ。

 

「わかった。釣りを教えてやる」と父は言った。

「それと、この糸のことは、できるだけ秘密にしておいてほしいの。手に入れるにしても限りがあるし、伝手からも秘密にしておくように言われているから」

「うーん、わかったよ。おれだけ漁獲が増えて、不審がられるかもしれないが、なるべく知られないようにする」

 漁場で使うわけだから、完全に秘密にするのはむずかしいかもしれない。

 でも、とにかくいまは秘密にしておく。

 この糸のことが知れ渡ったらどうするかは、おいおい考えることにしよう。


 わたしは抜いた頭髪を伸ばすことができる。1本の髪の毛を、100メートルくらいにまで伸ばせる。

 それ以上長くすることはできない。

 わたしは自分の部屋で髪を1本抜いた。ちょっと痛い。

 抜かないと伸ばすことはできない。わたしの特殊能力のささやかな縛りだ。

 毛を最長に伸ばし、木製のスプールに巻きつけた。

 翌日、父に渡した。

 父は信じられない物を見るような目付きで、それを眺めていた。


 わたしが住んでいる地方は、フェデリコ辺境伯爵領と呼ばれている。

 複雑に入り組んだ長い海岸線を有し、背後には山地が迫っている。

 前世の知識で言うと、リアス式海岸というやつだ。

 辺境伯領の中心地はステファノ市。

 わたしは両親とともにそこで暮らしている。ひとり娘。3人家族だ。


 16歳の春、わたしは父から釣りを教わった。

 ステファノ市は海に面していて、辺境伯領で最大の港がある。砂浜や磯や河口がある。さらに父は、手漕ぎボートを持っている。釣り場には不自由しない。

 わたしは父に連れられてさまざまな釣り場へ行き、釣りの腕を磨いた。


 わたしは前世で釣り公園を計画した。多少の釣りの知識はある。

 転生した世界では、長い糸を巻きつけておくリールはまだ発明されていないようだ。

 釣り糸は竿と同じ長さで結ぶのが基本。

 竿の材質は竹。

 カーボンやプラスチックの竿はない。

 ナイロン製の釣り糸もない。亜麻糸、綿糸、絹糸、馬の尻尾などが使われている。普通の人間の髪の毛は、強度的に釣り糸には適さない。 

 釣り針は鉄製で、ウキは木製、オモリは鉛製が一般的だ。

 安価で入手できる骨や貝でつくられた釣り針も使われているし、石のオモリを使う人もいる。

 令和日本と比べると、釣り具の進歩は著しく遅れている。

 ルアーと呼ばれる疑似餌も存在していない。

 転生前の知識を使って、なんらかの釣り具を発明しようかなと考えることもある。

 でもそれはこの世界での釣りをしっかりと会得してからだ。

 いつかそのうち……。

 

 父の教えのおかげで、夏には、わたしはひとりでも上手に釣りができるようになっていた。 

 そして秋に、わたしはルカ・フェデリコ伯爵に出会ったのである。

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