後日談 karma
横浜の居留地を離れてもう何年経っただろうか。
日本でやっていた事業が軌道に乗り、その管理のために俺は今までイングランドに戻ってそこで生活をしていた。
イングランドで結婚もして息子も生まれて、ようやく事業も安定してきた。俺はまた、日本へと訪れる口実を作ることができた、
日本には、日本人の親友を残してきている。俺がイングランドにいる間、たどたどしい言葉で手紙を送ってきてくれていた友人に早く会いたい。大きな荷物と親友への気持ちを抱えて、俺は再び日本行きの蒸気船に乗った。
蒸気船に乗れば、イングランドから日本までは一ヶ月半ほどで着く。船の客室から波を見ては、親友のことを思い出していた。
もう少しで会えるんだ。何年も声を聞きたいと思っていた親友に。
ひどく長く感じる船旅の末に、俺は日本に辿り着いた。住む家はもう決まっている。以前横浜の居留地にいた頃に使っていて、今は倉庫にするように指示しておいた場所に、以前と同じように住むことになっている。
ああ、親友と過ごしたあの日々がまた帰って来るんだ。あの輝かしい日々をまた迎えられるんだ。
そのことに胸を躍らせながら、俺は家の中に荷物を運び込んで軽く整理をする。
これからすぐに友人の家に行って、友人をこの家に招こう。
はじめて友人をこの家に招いた時のように、プティングも作ろう。そう思った。
なのに。それなのに、友人の家に行くと静まりかえっていて、友人は今まさに息を引き取ったところだった。
「ペストだそうです」
友人といつも一緒にいる曲師が冷たくそう言う。
どうして。俺は友人に会いたくて、そのためだけに日本に来たのに。
なにも言えずに泣いていると、これから葬儀の準備をするからと、曲師に家まで送り返された。その時に曲師から、友人の最後の伝言をきいた。
その言葉があまりにも苦しくて、いっそ死んでしまえたら楽なのにと思った。
でも、それはできない話だ。
友人の死後、俺は縋るように何年も日本に住み続けた。妻からは早くイングランドに帰るようにと手紙が来るけれども、もう日本から、横浜から離れたくなかった。
それならいっそ、妻も息子もここに呼んで、ここを終の棲家にしよう。
本当の気持ちを隠したまま、妻と息子も日本に来るようにと手紙を書く。
そう、日本はとてもうつくしくて……ごはんがおいしい。だからここで暮らそう。そう書いた。
それからしばらくして、妻から日本へ行くという返事が来て、またしばらくして妻と息子が横浜へとやって来た。数年ぶりに会った息子の声を聞いて驚く。
息子の声は、あまりにも友人にそっくりだった。
無邪気に話し掛けてくる息子の声に動揺するほかない。だってこんなの、まるであいつが帰ってきたみたいじゃないか。
ふと思う。息子をあの曲師に会わせよう。うまく言葉にできない期待を抱いて心に決め、妻と息子に俺が気に入っている浪花節という歌を聴かせたいと伝える。
かつて友人が歌っていた浪花節を、息子に絶対に聴かせないといけないと思った。
数日後、あの曲師とその相方の浪花節語りを家に招いて浪花節を披露して貰った。
唸るようなその声に妻はすこし顔をしかめたけれども、息子は興味を持ったようだった。とてもうれしそうに浪花節語りを見ている。
「お父さんの友達も、ああいう歌を歌ってたんだよ」
俺がそう言うと、息子は友人に似た笑顔を俺に向ける。
「そうなの? 俺もあの歌習いたいよ」
息子の声を聞いてだろうか、演奏を終えていた曲師が珍しく動揺を露わにしている。彼は目が見えないから、息子の声を聞いてあいつが帰ってきたように感じられて戸惑っているのだろう。
俺が日本語で息子に浪花節を教えてくれないかと浪花節語りに訊く。
すると、浪花節語りはすこし後方に座っている曲師の様子に気づくことなく、どうしたものかと笑っている。曲師は言う。
「その子が日本語を覚えたら、弟子入りさせても良いんじゃあないでしょうか」
あの曲師も、俺と同じことを考えているかもしれない。
それ以来、息子は日本語の勉強に精を出すようになった。
もちろん、事業の手伝いもして貰っているけれども、事業のことに関しては慣れているだけあって、息子よりも妻の方が手際がいい。なので、息子に日本語を教える時間はたっぷりととれた。
息子に日本語を教えはじめて一年ほど経った頃だろうか、かつての馴染みの雑貨屋に一緒に行って、実際に使う日本語を聞かせたりしたおかげか、息子は随分と流暢に日本語を話すようになった。
「お父さん、まだ日本語上手にならないとだめ?」
夕食の時にそう訊ねてくる息子に、妻は困ったように笑う。息子の言いたいことがわかっているのだろう。
「お父さん、約束は守らないとだめよ。
大丈夫、仕事は私が回せるから」
息子を浪花節語りに弟子入りさせるにあたっていちばん懸念していたのは妻の反対だったので、思いのほか抵抗なく受け入れてくれて少し驚いた。
でも、これであとは浪花節語りが納得して、弟子入りさせてもらえるのならもうなにも言うことはないだろう。
「明日、一緒にあの人のところに行こう」
俺は、一刻も早く息子に浪花節を歌いこなして欲しかった。
この子が浪花節を歌えるようになれば、そうしたら……
息子があの曲師の相方をやっている浪花節語りに弟子入りして数年が経った。
泊まり込みで練習していることも多く、以前よりも顔を合わせる回数は減ったけれども、息子はとても楽しそうだった。
息子は時々、三味線無しで浪花節を歌って聴かせてくれる。その声は本当に、本当に友人に似ていて、あいつのことを思い出さずにはいられなかった。
息子が寄席の前座として舞台に上がるようになってしばらく経ったある日のこと、ふたりだけで話があると、息子の部屋に呼ばれた。
大事な話だからドアの鍵をかけて欲しいと言われて、その通りにする。
なんの話だろうと思っていると、息子はうれしそうに笑って日本語でこう言った。
「俺、師匠から名前を貰ったよ。お父さんの友達の名前」
ああ、息子はあいつの名前を継いだんだ。
そう、あいつは立派な浪花節語りだった。その後継として相応しいと息子が選ばれた。こんなにうれしいことがあるだろうか。
すっかり着物を着こなすようになった息子の姿に、あいつが重なって見える。
息子がうれしそうに俺に抱きついてくる。
「ねぇ、これでお父さんの好きな人になれるよね」
日本語でそう言った後、俺の名前をあいつと同じ声で呼んで、愛してると言う。
この気持ちは誰にも話してないのになんで。思わず戸惑う。
でも、これでいいんじゃないのか? 俺は愛するあいつを甦らせたかったんだ。
凡庸な言葉を君に 藤和 @towa49666
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます