第15話
「あれ? 涼ちゃん。ここ何だっけ」
「えっと、ここはね」
僕と涼ちゃんの関係も落ち着いてきた。
少し前までは僕が悠人のことで苛々していたこともあって、涼ちゃんとの関係がぎくしゃくしていた。僕が涼ちゃんに強く当たってしまっていたのだ。悠人の涼ちゃんへの興味が薄まり。僕の苛々も解消されていった。涼ちゃんへの態度は軟化していっていた。
僕の態度が柔らかくなったことに、涼ちゃんは安堵していた。
「私気にしてたんだよ。もしかしたら受験勉強思うようにいってないのかな、とか、私嫌われるようなことしちふゃったのかな、とか。でもそれも聞けないような状況だったから」
「そうなんだ……。ごめん、僕はあんまり気にして無かったんだけど。涼ちゃんをそんな風に悩ませていたのなら謝るよ。ごめんなさい」
涼ちゃんは「ふふふ」と笑う。
「うん、やっぱりこの感じが良いね」
「そうだね。僕もそう思う」
「じゃあ受験まで頑張ろうね」
「任せて。絶対合格してみせるから」
今年も年末が近付いてきた。クリスマスの季節だ。僕は学生服の上からメルトンのコートとマフラーを着用している。僕みたいな学生は腐るほど居る。僕は根っからの量産型なのだ。別に目立ちたくないからそれで構わないのだけれど。
僕の受験勉強は順調だった。主要5科目の平均点数は430~450くらいで、合格確率は90%と言われている。「もう1つ上の高校への受験も考えられるぞ」、とも。
でも僕は今の高校で充分だった。同校のパンフレットを見て希望を見出せたし、比較的新しい高校というのも魅力的だった。新たな一歩を踏み出すのに最適だと思ったのだ。あと、これ以上のプレッシャーを掛けられたくなかったというのもある。
そして僕にとって驚きの初体験があった。人生初の告白を受けたのだ。
相手は由美ちゃん。11月の中旬頃に5人で集まって図書館で勉強した、その帰りだった。図書館の前に銀杏並木があって、葉っぱが黄色に色付いていた頃だった。
「皆年越し何すんの?」
「俺達は一緒に過ごすんだよな」
「僕は家族で紅白でも見てるかな~」
「私も。淳史君は」
「僕もそうだと思う」
なんて話をして、岐路に就いていた。
分かれ道になって、大友と朱里ちゃんが離れて行く。「俺達はちょっと遊んでいくから」、と。
いつもならこの後3人で帰るのだが、その日に限っては良樹が「僕も今日は予定がある」と言い出した。「ああそうなんだ。じゃあまた。次は塾で」と、僕と由美ちゃんで歩き始めた。僕は由美ちゃんが告白しようと思っているなんて考えてもいなかった。
「年が明ければ受験で、受験が終われば卒業だね。あっという間だなあ」
と、由美ちゃん。
「うん。僕からすれば早く終わって欲しいけどね。早く高校生になって、新しい人生を始めたい」
「そうだよね……」
由美ちゃんは僕が虐められているのを知っているので、気を遣っていた。
「でも私は終わって欲しくないな、って思うこともあるんだよね」
由美ちゃんが言った。
「え、そうなの。受験なんてしんどいし、毎日嫌になるけどね。そうなんだ」
僕は虐めのことを持ち出して卑屈にならないように答えた。僕みたいに虐められていなければ、そう思う人が居ても不思議じゃない。そのくらいのことは分かっているつもりだ。
「確かに勉強は辛いよ。周りの人との競争だし、前より点数とか順位が下がってると焦るし。……でも、皆と会えなくなるから」
「ああ~、そうだね」
「会えなくなる」と聞いて僕が一番に思い浮かべたのは涼ちゃんだった。勿論このメンバーは好きだし、可能なら卒業後も一緒に居たい。けれど、それは成り行き次第だと思っていた。何が何でも繋ぎとめていたいとか、積極的にこの関係を維持しようという気は無かった。
「淳史君に、会えなくなるから」
由美ちゃんが溢した。僕達の隣を、白のセダンが一台通過して行った。
「……えっ?!」
僕の口から大きな声が出た。聞き間違いかっ? いや、今確かに聞いた。えっ、どういう意味だ。待て、焦るな。――あっ、そうか。そんな深い意味は無いのだ。深く考えずに由美ちゃんは言っただけなのだ!
という思考が僕の脳内で一瞬にして繰り広げられた
「あ、ああっ! そうだね。僕も皆に会えなくなるのは寂しいよ。由美ちゃんにもね……」
「……違うの」
「え」
「私、ずっと淳史君のことが好きだったの」
僕達はいつの間にか立ち止まっていた。
「淳史君は優しいし、一緒に居て気を遣わないし、私男の人でそう思えたのが初めてだったの。だから――、」
由美ちゃんは大きく息を吸った。
「良かったら、私と付き合って下さい」
僕は由美ちゃんの後頭部を見ていた。あまりの恥ずかしさに頭が沸騰していた。何とか冷静さを保とうとしていた。
落ち着け、落ち着け。僕は今女の子に告白されている。こんなの人生初めてだ、やっと僕にも春がっ! ……いや、ちょっと待て。僕はこの告白を受けるのか? どうするんだ。
僕考え、答えを出した。
「……ごめん」
由美ちゃんが顔を上げた。
「気持ちは、凄く嬉しい。でも、由美ちゃんとは、付き合えない」
僕は由美ちゃんの眼を見られなかった。
「ごめん」
僕はもう一度謝った。今は由美ちゃんが僕の後頭部を見ていることだろう。
「……分かった」
僕は体勢を戻す。
「ありがとう、正直に話してくれて――。1つ聞いても良いかな? 淳史君には誰か、好きな人が居るの」
「……うん」
「そっか……。なら仕方ないね。好きな人って特別だもんね。私も淳史君以外の人と付き合うとか考えられないし」
「うん」
「分かった。……じゃあ、ちょっと、今日は1人で帰って良いかな? ごめんっ」
由美ちゃんが走って行く。彼女が涙を拭っているのが見えた。
「由美ちゃん……」
僕は悲しかった。由美ちゃんは人生で初めて僕を好きになってくれた人だ。虐められている僕を受け入れて、その上で僕を好きと言ってくれた。僕は生涯由美ちゃんのことを忘れないだろう。
僕は歩き出す。
由美ちゃんの告白を受けて、僕も決心したことがある。涼ちゃんに、僕も気持ちを伝えないといけないということだ。
自分の中で線引きをしないといけない。涼ちゃんのことは諦めるのか、気持ちを伝えてその先に進むのか。
由美ちゃんは勇気を出して僕に告白して来てくれた。僕もやらなければいけない。
僕は涼ちゃんに会いたくなった。涼ちゃんに会って、自分の想いを伝えるのだ。
「よし。じゃあ今日はここまでだね。淳史君今日もよく頑張りましたっ」
涼ちゃんの明るい声がする。居残り勉強の終わり。
最近は悠人が居残り勉強をする回数は減っていて、今日は居なかった。僕は今日告白しようかと、勉強中から考えていた。あと数種間でクリスマスだ、街をイルミネーションが灯していた。
「なんか1年前も淳史君と居た気がするな~。1年って早いね」
「涼ちゃん」
「ん? どうしたの」
僕は涼ちゃんを見つめる。僕の身長はこの1年で14センチ伸びた。下から見上げていた涼ちゃんの顔は、今同じ目線の高さにある。
「涼ちゃん去年さ、クリスマスは1人て言ってたよね。今年はどうなの」
「ええ~? 今年も此処に居ると思うよ。どうして?」
僕は俯いた。今日1日中、ずっと言おう言おうと考えていた。いや、今日だけでなくこの数日、数週間ずっと。
でも、いざその場になると怖くて言い出せない。ちゃんと言えるかどうか、受け入れて貰えるかどうか、とても怖い。由美ちゃんはこんな恐怖と戦っていたのか。
でも言わないと。言わないと。こんなチャンスが次にいつあるか分からない。あるとしても、一度逃げた自分が今度は言えると思わなかった。だから今言うしか無いのだ。
言え。言え。言え。言え。言え。言え。言え。言え。
僕は意を決する。
「涼ちゃんっ!」
「淳史君っ!」
僕達は同時に声を発していた。その次を切り出したのは、涼ちゃんが先だった。
「疲れたね~。早く帰ろう? 早く帰ってゆっくりお風呂に入りたいよ」
「涼ちゃん、俺っ、」
「淳史君っ」
僕の言葉は遮られてしまう。
「早く帰る準備して? ね」
「……」
僕が帰る準備をしている間、涼ちゃんはホワイトボードの文字を消したりブラインドを下げたりしていた。僕の方は見ようとしなかった。
「……じゃあ淳史君。またね」
微笑む涼ちゃんに見送られ、僕はとぼとぼと塾から出て行く。他にはもう誰も残っていないようだった。
僕は夜道を歩いて行く。先程のことを考えた。
僕は涼ちゃんに告白しようとした。それは空気で涼ちゃんにも伝わっただろう。得てして人は空気を読むものだ。特に女性は敏感だ。
僕の告白を涼ちゃんは遮った。僕はそれを答えだと思った。僕の気持ちを受け入れるつもりが無いのだと。
僕は泣きたくなった。目に涙が溢れてきた。僕の恋は気持ちをちゃんと伝えられないまま終わってしまった。
消化不良だった。いっそ真正面から断られれば、傷付くだろうが、清算出来ると思っていたのに。清算しなければならないように仕向ける筈だったのに。涼ちゃんはそれさえさせてくれなかった。
近くの公園で気持ちに整理を着けようとしていて、30分近く経っていた。家まではあと10分も掛からないくらいの場所だった。
と、そこで携帯が震えた。僕はポケットから取り出す。心配した母さんが駆けて来たのかもしれない。
画面を開く。表示されたのは塾の番号だった。
僕はドキッとした。塾にはもう涼ちゃん以外残っていない筈。
僕は、淡い期待を抱いて電話に出た。
「……もしもし」
「あっ、淳史君?」
「そう、だけど」
「ごめん。さっき言い忘れたことがあって」
「うん」
心臓が高鳴っていた。
「もう家に着いちゃったかな」
「ううん、まだだよ」
「じゃあ、もう一度塾に戻って来てくれない。伝えたいことがあるの」
「――分かった」
僕は電話を切って駆け出した。涼ちゃんの待つ塾へ。
これは、これはひょっとしたらあるかもしれない。わざわざ僕に電話を掛けて来て、呼び出して。
勉強のことならばそんなことをする必要が無い。今度会った時に言えばいいだけの話だ。
涼ちゃん。涼ちゃん。涼ちゃん。
僕は全速力で走った。春にサッカー部を辞めて体力は落ちていたけど、途中で休憩したりしなかった。すぐにでも涼ちゃんの元に駆け付けたかった。
駅前に着く。ビルを見上げる。僕の教室であるAクラスにだけ灯かりが点いている。涼ちゃんが、あそこで僕を待っているのだ。
エレベーターに乗ってボタンを連打する。乗っている間に、僕は落ち着こうとする。呼吸を整えようと努力した。
扉が開いて、フロアに出る。照明が点いていたのは、やはりAクラスだった。僕は、1つ深呼吸して入口に向かう。中から誰かの話し声がした。1つは涼ちゃんで、もう1つは――?
僕はゆっくりと入口の前に立った。
「あっ、んっ」
僕の目は点になった。
全裸の涼ちゃんが机の上で寝転がっている。その手前で腰を打ち付ける悠人が。
2人がセックスしていた。
「おらっ、涼子、どうだ、気持ち良いかっ。涼子っ」
悠人は腰を振りながら涼ちゃんの乳房を鷲掴みする。僕はその場で固まってしまう。
涼ちゃんの全身は汗で濡れている。豊満な乳房が上下に揺れている。あそこの毛が盛り上がっている。
「あっ」
涼ちゃんの声に、聞き覚えがあった。それは涼ちゃんが犬の話をする時と同じ、とろんとした声だった。
涼ちゃんの嬌声が僕の脳を揺らし続ける。
――あ。
と、そこで寝転がる涼ちゃんの眼が、僕を捉えた。
涼ちゃんは、僕を見て――、笑った。
涼ちゃんの声が、一際大きくなる。
「悠人、悠人っ」
僕はその場から立ち去った。眩暈がして倒れそうだった。
何故悠人と涼ちゃんが? ああ、そうか。僕は騙されていたのだ。いや、騙されていたのではない。ただ眼中に無かっただけなのだ、2人にとって。
悠人が僕への嫌がらせを弱めたのは、彼の中でもう完結していたからだ。僕にとっての最大の嫌がらせと、自分の独占欲が満たされた後だったのだ。
その時点で悠人は興味を失った。それだけのことだったのだ。
「ははは。……はっはっはっ!」
笑いが零れた。そんな僕を見て買い物帰りの主婦が道を空けた。
「見てくんなよ、ババア」
主婦のお母さんはぶつぶつ文句を言いながら去って行く。僕は道端に唾を吐き捨てた。ついでに転がっていた木の枝を車道に向かって蹴り飛ばした。
僕はこの世の真理を理解した。この世界は善人が得するようには出来ていない。そんなのはただの幻想だ、《人にやられて嫌なことは相手にしちゃ駄目》というのは母の教えであり、彼女の理想であり、それが全員に該当するわけじゃない。
親だって間違ったことを言うのだ。それを僕は学んだ。どんな善人に見えたって心の裡では何を考えているか分からない。それも学んだ。たった1つの些細なことで、人間関係など簡単に壊れる。それも学んだ。
前向きに捉えれば、僕はパワーアップした。人より成長したのだ。
もう怖いものなど無い。
「あっはっはっはっはっ!」
その日から、僕は居残り勉強を止めた。悠人に「残れ」と言われても僕は残らなかった。もう分かっていた、僕が残らなくても、命令を無視しても、もう危害を加えられることは無いと。
涼ちゃんの振る舞いは、その日以降も何も変わらなかった。
「淳史君、何か分からないことある?」
「いえ、ありません」
僕は疑問があっても聞く気はなかった。この女に聞くくらいなら由美ちゃんか他のメンバーか、他の先生に聞くだろう。逆に、何故依然と同じように接してこられるのかが分からなかった。僕はこの涼子という女を全く理解していなかったのだ。今では、この涼子が得体の知れない化け物に見える。人の良い仮面を被った、性欲だらけの化け物。
もうこの女に関わりたくなかった。
「ねえ。今度の日曜日映画観に行かない? ちょっとくらい息抜きも必要でしょ?」
僕は由美ちゃんと付き合い始めた。年末に由美ちゃんを呼び出して、告白した。「あれから考えたんだけど、やっぱり由美ちゃんと付き合いたい。お願いします」、と。
週末になって、由美ちゃんと映画を見に来た。映画は由美ちゃんが見たがったアメリカで話題になった純愛物。学校の先生と生徒という、立場に翻弄される2人を描いた内容だった。2人は困難を乗り越えて晴れて愛を成就させた。僕は映画の途中で高笑いしそうになった。高笑いして、ポップコーンをスクリーン目掛けて思い切り投げ付けたい衝動に駆られた。由美ちゃんが隣で泣いているのを見て何とか留まったけれど。
「ああ~。私本当に感動しちゃった。私のすすり泣き響いてたよね?」
「そうだね」
「じゃあこれからどうしよっか」
由美ちゃんが言う。僕の眼は、駐車場にたむろする中学生達に向けられていた。
「えっ、あれって虐めじゃない。きゃっ、真ん中の人殴られてる」
「……」
「どうしよう、誰か呼んだ方が良いかな。ねえ淳史君、どうしよう」
「いや、放っておけばいいよ」
僕は中学生達に背を向けて歩き出した。
「えっ、淳史君。良いの、あの人達放っておいて」
「いいんだよ。自分で気付かないと駄目なんだから」
僕は思い出していた。将吾のこと、涼子のこと、悠人のこと、虐めのこと。
「そ、そう……」
どうせ彼を助けたって、何の得にもならない。誰も褒めてくれない。僕がまた危害を加えられるだけなのだ。
「それよりさ、このあと僕の家に来ない? 今親が居なくて静かだから」
胸糞小説 N.F @agatamo
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