午後
車窓を眺めていると、本当に知らない土地に来ているんだなと実感した。
乗り慣れない電車で落ち着けずにいるのが楽しい。地下鉄では停車駅の案内板を眺め、気に入った名前や東京と同じ名前の駅を見つけては視線を忙しく動かしていた。東別院駅とかかっこいい。
誰がどう見ても観光客だったろう。
電車を降り、改札を抜けて昇った階段の先から一気に視界が白くなり目が眩んだ。ありがたい事にこの時間も晴れていた。
着いたー。
名古屋港水族館。でか。
外観を眺めわたしはここを訪れたことを後悔した。
絶対、まわりきれない。
少なくとも初回にこんな寄り道のような軽い気構えで来るところじゃない。エリア案内のどこもかしこも興味を引く所ばかりだった。じっくり時間をかけて隅から隅まで味わいたい。
中に入る前にいろいろ考えても仕方ないので入場したが、入ったら入ったでよりその広さを痛感した。高い天井に見合った、それはそれは大きな水槽だった。
都内の水族館にも大きめの水槽はあるがここまで圧倒されるサイズ感というのはやはり久しぶりに見た。広い空間を広く使い、魚たちやイルカは悠々と泳いでいる。並んでこちらも泳ぎたくなるほど気持ちが良さそうだ。わたしはカナヅチだが。
きっと今この瞬間に海のどこかでも同じ世界が見られるのではないかと思うほどに澄んだ光景だった。
かと思えばちっちゃな水槽も点在していた。丸い金魚が、その体に対してはあまりに小さいヒレを素早く動かして手を振っているようである。
こんにちは。
最近よく見かけるようになったクラゲも、カラーライト凄まじく漂っていた。淡い色使いでは幻想的で花びらにも見え、ネオンが如き原色では不気味に増殖する何かにも見えた。柔らかい半透明たちが様々に変化する背景に浮遊する様子は、強かに思えた。
生命力に溢れた構成だったが一方で、永遠の静けさで満ちた空間があった。標本が豊富だったのだ。
骨格標本及びレプリカはシャチやウミガメ、クジラまで展示されていた。静止した実物大は目と鼻の先まで近付くことが出来るため、その大きさ太さ、造形の美しさが見てとれた。当然ながらこれらは自然に形成された姿形だが、機能性いかんに関わらず、こうも無駄なく組み合わされていることに神秘を感じた。また同じような物質が自分を形作っていることにも。
大きく見上げたこれらに対して、小さく摘まんだ静もある。
屋外エリアへ向かう途中に見つけたポスター、「真珠つまみだし体験」的な。
これです、これ!旅の思い出かつお土産的な!こういうのを探していたかは分からないが目にした瞬間ピンと来た。
ブースを見ると運良く空いていたため、並べられた椅子に直行しスタッフの方に一通り説明を受けた。形もサイズも色もバラバラらしい。直前まで見ていた骨を思い出した。そういえば真珠もカルシウムだったな。
朗らかなスタッフが席を立ち、いざ参らんとピンセットを握ったその直後だった。何かあったら呼んでねと言われていたので先ほどの眼鏡さんに声をかけた。ものの数歩で呼び戻されたスタッフはわたしの手元を見るなりにやけた。
「いいですね、いい色です!」
思い出を作る前に真珠は、飛び出してテーブルに転がってしまった。新たな持ち主に似てせっかちらしかった。
この真珠はキーホルダーかネックレスに加工できるよとのことなので、待ち時間に改めて屋外へ。暑くもなくも寒くもない時期だったはずだが、ペンギンたちはほとんどじっとしていた。君たちは剥製じゃないだろ。
しかし考えてみればこの日前後に見た水族館所属ペンギンは地上ではのんびりしていた覚えしかないので、わたしの顔を見てやる気を無くしているのでなければ皆そんな感じなのかもしれない。
しおかぜに髪振り乱しながら戻れば、既にネックレスは出来上がっていた。普段は専ら土産は消えもの派だが、それらしくラッピングされ引き渡されると形に残る品物もいいなと思った。貝で育ったそのままの形がいいと思い、まんまるに成形してもらうことはしなかった。
さてそのままのんびりすれば帰りの新幹線に間に合わなくなること必至であった。恐らく見処の半分も体験できていないが、必ずまた来ると誓って駅へと向かう。ちなみに再訪はまだ叶えられていない。
夕方前の名古屋駅は朝と比べるとかなり混雑した印象だった。待ち合わせスポットになっている時計台もその足元に人が多すぎて目印としての存在感が発揮できてないない。足を動かしつつ次の行動を練っておかないと慣れない道や人波に時間をとられ、本当に乗り遅れてしまうことも考えられた。
それでも食べたいものがあった。
良いものは良い、で十分なはずだが、ランキング形式で位置付けるジャンルが日本には数多くある。そして庶民たるわたしはそれに踊らされがちである。何故ならベタの定義と同じ、失敗が少ないからだ。
日本三大地鶏、名古屋コーチン。コーチンってなに。
プリンも魅力的だったが激しく空腹を感じていたため、がっつりを所望。やはり抱えていたらしい緊張が帰路を前にして溶けたからで、水族館で魚を散々眺めたからでは断じて無い。もしそうなら寿司屋に入っていた。
こんな中途半端な時間にテイクアウトではなく店内を利用する客は多くないようで、待つことなく席へ案内された。助かった。
店中に出汁のいい匂いが立ち込めている。そのうちの一筋が間もなく目の前に運ばれてきた。周囲もほとんどこの料理を食べているため、厨房ではひっきりなしに作られているのかもしれない。もしくは料理が楽しみすぎて運ばれてくるまでの記憶を消失しているかのどちらかだ。
たまごの色やツヤからして違う、親子丼だ。
思ったより薄めに敷かれた溶きたまごだが見れば分かる。絶対あつい。しかし味噌煮込みうどん同様で冷ますのはほどほどに思いきって口に運んだ。この旅でわたしの猫舌は少し軽度になった気がする。
出汁の風味がやさしい。薄いのではなく、やさしい味がした。たまごのふわふわした食感も相まって重くない。鶏肉を一片掬い上げた。
味濃。
鶏肉の味ってこんななんだと思った。こんな味だったんだなと。もちろん品種によって部位によって味の変化はあれど、いわゆる素材の味が活きているというレベルを超えて主張してくる濃い味だった。それらの風味がどんどん染みて、食べ進めていくほどに三味が一体になっていく。今書いていてお腹が空いてくるくらいにはこの感覚を覚えている。
あったかいお茶で後味ごと飲み干した。ごちそうさまでした。
夢中で食べたことで少し時間ができた。例え時間が無かったとしても手に入れたかったものがもうひとつある。乗り場すぐ近くのお土産屋さんに向かった。
店同士の隔たりが分からないほど並べられた棚には、名古屋の観光名所がプリントされたり見ず知らずのゆるキャラがおすすめするPOPで飾られたりと、お土産物がひしめき合っていた。
「形に残る品物もいいな」とは思ってもやはり甘いものは食べたい。諸事情により乾き物も必要だった。
片っ端から見ている時間は無い。行きの新幹線、というかずっと以前から気になっていた銘菓を真っ先に探した。探したといっても定番すぎて2台に1台の棚には並べられていた。ういろうだ。
なんとなくは分かる。あれがういろうなのではないかというビジュアルは頭に浮かぶ。しかしわたしが手にしたそれは、スマートに個包装され、味も多岐にわたっていた。ややカラフルな見た目に少しずっしりした重量感。食べ応えもありそうだった。隣に並べられていた味噌カツせんべいもひっつかんで一緒にレジへ。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、買いたいものもあらかた手にして新幹線乗り場に向かった。かなりの本数が行き来しているため、ホームへの到着があまり早すぎても待合室が混んでいたりするが、腰を落ち着けることは出来た。
行きの座席と同じく隣に誰か座っていたか記憶にない。半分以上寝ていたからだ。熱田神宮でメッセージを送ってきた友人へ帰路についたことを伝えたところ、天むすは買ったのだろうな、と迫られた。買ってない。何故買わぬ。知らぬからだ先に言ってくれよ。次は買え、また来る時は一声かけろ。すいません。
やりとりの最中に意識が遠のいていった。
品川駅に着いた、ととある友人に伝えた。実はこの日にもともと会う約束をしていた。その友人は甘いものを好まないため乾き物を携えたのだ。
なんとなく焼き鳥は避けた店を選び、乾杯し、土産を渡した。
「ありがとう、名古屋じゃん。」
「そう、行ってきた。」
「アンテナショップ好きだね。」
「いや、行った。」
「名古屋?いつ?」
「さっき!」
満面の笑みを浮かべたわたしと対照的に、向かいから少し引いた顔をされた。この前日の同僚との会話が思い出された。現地に行ったら行ったで、何故また同じ反応をされるのか。
その視線を払拭しようとこの日の思い出を肴にビールを傾けた。新幹線でひとり飲むのも美味いが、気の置けない誰かと飲むのももちろん美味い。
わたしの首元では、青みがかった乳白色の粒が楽しそうに揺れていた。
庶民Kの旅路 夏生 夕 @KNA
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