第28話 最後の謎解き

 用事を済ませて真倉が視聴覚室に戻ったのは十八時半を少し過ぎたころだった。

「ごめんごめん。遅くなっちゃって」

 真倉は一人、視聴覚室に残った紀見崎に礼を言うと、紀見崎を教室の外に招いた。

「まさかあんな暗号からこんなことになるなんてね」

 つい二時間くらい前のことがやけに昔のことのように、真倉には思えた。

紀見崎は真倉の態度に違和感を覚えながらも

「そうですね。俺もこんなことはもうこりごりっすよ」

「あっ、そんなことより。紀見崎くんって秋峰政紀の息子だったの⁉」

思い出したように真倉は言った。

「そうっすよ。けど俺はそういわれるの、あんまり好きじゃないんすよ」

「それは……音痴だから?」

真倉は地雷を踏まないように慎重に尋ねた。人間、どこに地雷が埋まっているかわからない。どこまで足を踏み入れていいかをしっかり見極める力は、この仕事をしていくうえで必須の力だ。特に生徒との距離を詰めるとき、ここを間違えると一気に信用を失う。反対にうまくいけば、関係は強固なものとなる。

「中学校のとき、合唱コンクールがあったんすよ、クラス単位でやる。それで、中学までは親父が秋峰政紀だってこと隠してなかったんすよ。だからみんな勝手に俺まで歌がうまいと思いこんでて……。いざ歌ったらみんな目を丸くするわ、笑い出すわでもう最悪でした」

 紀見崎は過去を思い返しながら苦い顔をして言った。

 確かに、勝手な期待ほど無責任なものはない。

「中学のときは周りも結構バカにしてくるやつ多かったんすよ。それこそさっきの樋口さんみたいな。そのとき唯一助けてくれたのが篠儀だったんすよ」

 昨日篠儀が言っていたのはこのことだったのかと真倉はようやく合点がいった。

「だったらもっと優しく接してあげなさいよ」

「俺の中ではそうしてるつもりなんすよ」

「あれでそうなの⁉」

 真倉はそう言いながら、目的地のとある空き教室の前まで来ていた。計画通り、電気は消えている。

「さあ、入ろうか」

 そう言って真倉は空き教室の扉に手をかけた。

「え、え? なんで。なんか怖いんすけど」

「いいからいいから。ねっ、時間もないんだから」

 そう言って半ば強引に、真倉は紀見崎を中に押し入れた。

 と、同時にパンパンと何かが弾ける音がして教室の電気が点いた。

「誕生日おめでとう~」

「いえーい」

 クラッカーが鳴り、紙吹雪が紀見崎の頭の上をひらひらと舞った。クラッカーを鳴らしたのは、進藤と絵波だった。

 黒板にはカラフルな文字で『紀見崎巧 誕生日おめでとう』と書かれている。

「なんですか、これは」

 驚いた様子もなく、頭についた紙を払いながら紀見崎は冷静な調子で言った。

「だって今日誕生日でしょう、紀見崎くんって」

「有末さんに占ってもらったときに言いましたよね。七月十日生まれだって」

 しかし真倉はにやりと笑って言った。

「嘘だったんでしょ、あの日付は」

 紀見崎は眉を吊り上げ、しばし口を開けたまま、何も言おうとしなかった。

「有末くんのあの占い、確かによく当たってた。わたしのこともぴたり的中。なのに紀見崎くんのときはあんまり当たってなかったよね」

 そう言うと真倉は教室で本間と話している有末に言った。

「占われる人が嘘の生年月日を言った場合は正確な占い結果が出せないんだったよねー?」

「そりゃあ、そうですよ。そんなことしたら別な結果が出ちゃいますって」

 それを聞き、紀見崎は不敵に笑って言った。

「それで七月十日が嘘の誕生日だと思ったっていうんすか?」

「有末君が最後に『六月九日か七月二十日生まれだったら相性抜群だったのに』って言ったの覚えてる? わたしあれを聞いて思ったの。絶対わたしは紀見崎くんと相性良いはずなのに、おかしいなって。だから間違ってるとするなら有末君の占いか、紀見崎くんの誕生日の日付かのどちらかだなって思ったの」

 教室では真倉の推理を尻目に、進藤と絵波がほかの参加者に飲み物を注いで周っている。新聞部の宇津木と松村。UFO研究会の三人もいれば本間と有末もいる。同じクラスからは唯一瀬川夏美も参戦している。

 紀見崎にとっては馴染み深い面々ばかりだ。

「覚えてるかな? はじめて君と会った人体模型の事件のとき、三十二歳といった進藤先生に対して君はこうも言ったよね。『僕には倍以上だ』ってそれにさっきも樋口くんが言ってたよ『お前はまだ運がいい。このことに十五歳で気づけた』って。もし六月九日が誕生日だとしたら、人体模型の事件のときにすでに十六歳で、三十二歳の進藤先生の倍以上にはならない。せめて倍っていうでしょう。ということは六月九日生まれではない。となれば紀見崎君の本当の誕生日は七月二十日。つまり今日ってことになる。どう? 当たってる?」

 真倉は自信たっぷりに紀見崎に言った。いつも紀見崎はこんな気分を味わっているのだなと真倉は少し紀見崎の気持ちを理解できたような気がした。

「ひとついいっすか?」

「なに?」

「その推理は有末さんの占いがすべて当たってるっていう前提で話していますよね。でも、占いを推理の根拠にするのはどうなんですかね」

 紀見崎は意地悪そうにそう言った。

「うわあ。そんなんだからいつまでも友達ができないんだよう」

「大きなお世話っすよ。それにここにいる人は友達と呼んでいいはずっすよ。つまり友達がいないわけじゃない」

「はいはい、わかったから。それより話を戻すけど、わたしが有末くんの占いを推理の根拠にしたのは……単なるわたしの直感」

 真倉はそう言ってにこりと微笑んだ。

「自信はあったよ? だってわたしの勘はよく当たるから」

「それって推理っていえるんすか?」

「いえないか」

 舌を出して笑う真倉を見て、紀見崎はふうと息を吐くと、両手を参ったという風に上げた。

「負けましたよ。真倉サンの言う通りです。今日は俺の誕生日です。十六歳になりました。なんでそんな勘が当たるかなあ。おかしいっすよ、真倉サンの勘」

 紀見崎はそう言いながら教室の真ん中まで歩いていった。

 時間の関係で飾り付けをすることはできなかったが、近所のコンビニで買ってきたおかしやジュースを一通り揃えていた。もちろん真倉まどか一押しのチョコチップクッキーもある。

 さっきまで荒れていた樋口も、憑き物が落ちたような顔で、篠儀とお茶を飲んでいる。篠儀も篠儀で呑気なやつだ。

 宇津木と松村は新聞部としての仕事を終えているためか、松村はスマホを構えていなかった。

「あの、真倉サン。もうひとつ聞いてもいいっすか?」

「なに?」

「どうして……その、俺の誕生日会なんて開こうと思ったんすか?」

 どうしてと言われても困る。

「え、嫌いだった?」

「いえ、全然。でもここにいるみんな部活とか仕事とか忙しいはずなのに、なんでだろうって」

 真倉は不思議そうに周りを見る紀見崎を見て、その背中をばしっと叩いた。

「いたっ。なにすんだ」

「君も大概、自己肯定感が低いんだね。それとも樋口君の言ってたことに影響されちゃったのかな?」

「どういう意味っすか」

「みんながここにいる理由がわからないの? そんなの、自分にとっての特別な人が誕生日を迎えたからに決まってるじゃない。あのねえ、これは樋口君にも言ってやりたかったことなんだけど、特別な人間っていうのは自分でなろうとしてなるものじゃないの。周りが特別な人間だと勝手に決めるものなの」

「そうなんですか?」

「所説ありだけどね」

 そこをつっこまれると、ちょっと自信がなくなる真倉であった。

「でも、少なくとも、今ここにいるのは君が、君の推理で助けた人たちだよ。進藤先生も本間さんも。有末君もありがとうって今日わたしに言ってきてたし。それにUFO研究会の三人も。ここにいる人たちにとって紀見崎巧は、推理の才能にあふれた、特別な人間なんだよ」

 そこで内浜たちと目があう。

「おーい、紀見崎ぃ」

「誕生日おめでとう!」

「今度『侵略円盤』観にこいよー」

「いや、観ないって」

 三人は同時に笑い声をあげた。

「あれはねえ……」

「観ないほうがいいね」

「ギリギリBというかもはやC級でしたね」

 UFO研究会の三人は楽しそうに笑っている。真倉はその笑顔が愛おしく、かけがえのないものなんだと感じた。

確かに樋口が言ったように推理は音楽と違って一度にたくさんの人を幸せにすることなんかできやしない。でも

「でもね、思うんだ。彼らはみんな君に救われた。だから君に感謝しているし、今ここにもいる。音楽と違って一度にたくさんの人を幸せにすることができないのなら、何度だってやればいいんじゃないかって。無理に手をのばす必要はないんだよ。一人ずつでいいから自分にできる範囲で救っていけばいい。それが君の見つけた推理でできることなんじゃないかな」

 真倉はそう言うと教室をいったん出た。

「お! あれが来るみたいだな」

 事情を知っているのであろう。進藤がほくそえんだ。

 誕生日といったらきっと、というかやはりあれだろう。

 がらりと扉を開けて入ってきたのは、大きなホールケーキを抱えた真倉まどかだった。

「よ、よいしょ」

 重いうえに前が見えずらい。

「真倉先生、大丈夫ですか?」

 進藤が心配そうな声をかけてくる。

「平気平気。これくらいどうってことないわ」

「転ばないでくださいよ」

 と誰かがぽつりと言った。

 それに反応して、真倉の足が一瞬止まる。

「ちょ、ちょっとやめてよ。そういうフリじゃないんだからね」

 ホールケーキの真ん中には『HAPPY BIRTHDAY Takumi』と書かれた板チョコもあるのだ。転べばただではすまない。

「え? ええ? あ、やばいかも!」

 そう思った矢先、真倉は何かにつまずき、その反動でケーキはぐらりと揺れ、制御を失った。

そして真倉は思い出すのだった。こういうときやらかすのが真倉まどかという人間なのだと。それをこの二十数年の人生で嫌というほど経験していることを。

「あーーーー!」

 全員の視線が、虚空に舞うケーキに集まる。

板チョコをのせたホールケーキは無情にも、紀見崎の顔面めがけて、その美しい円弧を描いていくのだった。

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真倉まどかの放課後推理日誌 鷲田大ニ @eagled2

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