第34話 美味しいご飯

 午後の講義を全て受け終えて帰宅する。

 西の空がまだ赤く、もうそろそろ沈みそうな頃に玄関のチャイムが鳴った。

 こんな時間に訪れるのはセールスか宅配業者なのでいつも半信半疑である。だが今だけはそわそわしながらインターフォンのモニターを見た。


 立っているのは黒髪ロングの清楚な女性。もちろん美墨先輩だ。


「先輩、今開けます」


 マイク越しに伝え、俺はドキドキしながら玄関の戸を開けた。先輩がこの部屋を訪れるのは久々な上に二人きりなのは初めてであった。


「こんばんは、小早川君。お食事を持ってきましたよ」


 肘にトートバックを下げた先輩が小さく会釈した。


「本当にすみません。夕食の面倒を見てもらうなんて」


「曲作りの仕事を任せっきりになってるんです。これくらい協力しないとバチが当たってしまいますよ」


 いや、バチって……。神様じゃないんですからそこまで気を遣わなくていいんですよ?


「さぁ、どうぞ上がってください」


「お邪魔します」


 立ち話もなんなので先輩を部屋に招き入れる。先輩は丁寧な所作で脱いだ靴を揃えて端に置いた。

 こういうところ、本当に上品だな。ご家庭は普通らしいけど、ご両親が厳しいのだろうか?


「久々に来ましたが……ちょっと散らかってます?」


 リビングに荷物を置いた先輩は部屋を見渡し苦言を口にする。


 お上品な先輩に比べて俺はズボラ。ベッドはぐちゃぐちゃで脱ぎっぱなしの服が放置され、その上にエレキギターとアコギが横たわってる。机には作曲の本とノートパソコンが占領していた。

 なんというか……汚部屋一歩手前である。うん、一歩手前なはず。

 先週の旅行を終えてからは曲作りに入ってから没頭していたため、家事がすっかりおろそかである。


「一応こっちのテーブルの上は片付けておきました!」


「堂々と報告してますけど普通のことですよ?」


 食事に使ってるローテーブルを「じゃーん!」と見せたがかえって呆れられてしまった。

 これでもさっきまでお菓子やゼリー飲料の殻が放置されていたのを頑張って片したのでマシになったのに。


「これは部屋の掃除もする必要がありますね。服も脱ぎっぱなしなのでお洗濯も」


「え、そこまでしてもらうのはさすがに」


「でも今は作曲でそれどころじゃないんでしょう?」


「えぇ、はい……」


「ベッドはギター置き場になって、一体どこで寝るつもりですか?」


「床で寝ます」


「絶対ダメです!」


 しゅん……。

 先輩に叱られてしまった。あの優しくて清楚な先輩に……。


 空李さんの勉強期間中は頑張って綺麗にしてたけど、これが本当の俺なんだ。一人暮らしの部屋で誰かと暮らすわけじゃないから自分が快適ならそれで良いと思ってだらしなくしてしまった。


 こんな俺を見て嫌われちゃったかな?


「清潔な部屋でバランスの良い食事を摂り、ぐっすり眠るのが健康の基本です。何度も言いますが、小早川君が体調を崩しては元も子もないんですから気をつけてください」


 え、優しい! 俺のこと本気で心配して叱ってくれるなんて……惚れちゃいそう!


 と、二徹したせいで頭がおかしくなってる俺であった。


「さて、小言はこの辺りにしてお食事にしましょう。ご飯は炊いてくれましたか?」


「はい、炊飯器に」


「それでは台所を借りますね」


 そう言い残して先輩は台所に立ち、トートバッグからタッパーをいくつも取り出した。それを我が家の食器に盛り付け、足りない分は持参した食器に装っていった。


「はい、できました。今夜は鯵の南蛮漬けとお味噌汁。サヤインゲンとひじきの小鉢も召し上がってください」


 あっという間に膳が整えられた。久しく見ない日本の家庭らしい献立に俺は驚嘆を漏らした。


「まるでお店です! この前の定食屋さんを思い出しました!」


「お店と比べられると恐縮してしまいます」


「いえ、お店といい勝負ですよ。食べてもいいですか?」


「もちろんです。お口に合うと良いのですが……」


「いただきます」


 最初にメインの南蛮漬けに箸をつける。揚げ物は大好物なので疲れてる時にこそ食べたいのがギタリストの金吾君だ。

 切り身の鯵をガブリ。


「む、美味しいです!」


「本当ですか? 良かったです!」


 横でそわそわしていた先輩が安堵する。


 この南蛮漬け、すごく美味しい。甘酸っぱいタレが衣によく染み込んで鯵の身にしっかり絡んでる。薬味のさっぱり感が飽きを感じさせずいつまででも食べられそうだ。そしてご飯によく合う!


「こっちの小鉢も美味しいです」


「ひじき、お好きだと言ってたので」


「あはは、覚えてくれてたんですね」


 多分藻屑町の定食屋さんでの会話かな。些細な会話を覚えてもらえてすごく嬉しい。


「それにしてもこの南蛮漬け、すごく美味しいです。先輩のレシピですか?」


「いえ、母から教わりました。その母も祖母から教わったと」


「なるほど、先輩のお母さんの味なんですね」


 いわゆるお袋の味というやつか。うちの母も料理上手なので一昨年までは毎日手料理を食べさせてもらってた。最近実家に帰ってないなぁ……。


「これならご飯何杯でもいけそうです。あ、冷蔵庫にビールがあったからそれとも合うかも。せっかくだしビールと一緒に――」


「ビールはダメです!」


 立ち上がろうとしたが先輩にピシャリと止められた。


「お酒は睡眠の質を下げますし、胃腸にもよろしくありません。小早川君には今夜ぐっすり眠ってもらうのでビールはお預けです」


「そんな〜。こんなお酒に合いそうなおかずなのに殺生な〜」


「い、い、で、す、ね?」


「はい……」


 さっきの叱り口調よりも強い語気。有無を言わさぬ気迫に押され、今夜のビールはお預けとなった。


「まったく、ここにも酒飲みがいるなんて……」


 やれやれ、とかぶりを振る先輩。「ここにも」というセリフからの顔が浮かんだ。そんなに飲むのか、は。


「はぁ……残念です。美味しいおかずを肴に先輩と晩酌するのも楽しそうなのに」


「私と晩酌、ですか? 私が相手でも楽しいことなんてないと思いますよ。涼子さんとご一緒の方が話も弾むのでは?」


「そんなことないですよ! 涼子と飲むのも楽しいですけど、先輩とも話が合うので俺は好きですよ!」


「す、好き……ですか?」


 藻屑町の旅でも感じていたが、先輩とは気が合う。本や詩、作詞や創作といったテーマに食いつきが良かったので俺としては趣味仲間が増えた気がしていた。なので先輩とはそのテーマでもっと語りたいものだ。


「そ、それじゃあ明日はお酒解禁にしましょう。明日もお酒に合う料理にしますので」


「え、明日も来てくれるんですか!?」


「もともと作曲が終わるまでのお手伝いするつもりでしたから」


「ありがとうございます!」


「でも今日は本当にお酒はダメですからね? 食べて一服したら寝てください」


 最後に忘れず釘を刺す美墨先輩であったが、明日も食事を用意してくれるだけで十分過ぎる。

 もちろん、頼りっぱなしは申し訳ないのでできるだけ早く曲を作るつもりだ。でもこんなにお美味しいご飯だと、終わっても作りに来てほしいとつい我儘言いたくなるのであった。

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「お前クビ」デビュー直前にバンド🎸を追放されて彼女も寝取られた俺は一人寂しく弾き語りするつもりが何故かS級美女達に囲まれてます。 紅ワイン🍷 @junpei_hojo

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