第33話 通い妻
月曜日。
「ふぁ〜……」
俺は大学の図書館で朝からだらしなく大欠伸をかました。
図書館は静かで集中できる。作曲関連の本もあるし、蔵書に囲まれていると何かが降ってきそうな気がして俺は好きだ。
だがあいにくと寝不足なせいか意識が朦朧とし、あまりインスピレーションは感じられない。
「ずいぶん眠そうですね、小早川君」
「あ、美墨先輩」
そこに美墨先輩がやってきた。
先輩は俺の隣に腰掛け、気遣わしげに眉尻を下げた。
「朝からあくびしてますが寝不足ですか? 目の下にクマができてるような」
「あはは……分かりますか。実は土曜日から作曲をスタートさせたんですがイマイチ捗らず。でもお二人に早く聴かせてあげたいから徹夜続きなんです」
「え、二日も徹夜してるんですか!?」
「先輩、声が大きいです!」
俺は囁き声で嗜めた。先輩はハッとなって口元を抑える。見渡すと学生達が顔を上げて怪訝そうに一瞥していた。
うるさくしてごめんなさい。図書館ではお静かに。
「その、頑張ってくれるのは嬉しいですが、さすがに睡眠は取らないと」
「ですねー。さすがに二徹もすると頭がぼーっとします。ふぁあ〜……あ、すみません」
あるいは自らを睡眠不足に追い込むことで得られる発想に期待していた。朦朧としたいわゆるトランス状態に心身を追い込むことで閃くと思ったのだ。
言い換えるとスピリチュアルに縋るくらい行き詰まっている。
「一応、曲らしいものはできたんです。よかったら聞いてください」
先輩に俺のスマホとペアリングしたワイヤレスイヤホンをつけてもらい、再生ボタンをタップする。
先輩は期待を顔に浮かべて聞き始めたが、徐々に顔が引き攣り、最後まで聞かずにイヤホンを外してしまった。
「その……音楽のことは素人ですが僭越ながら。これは違うと思います」
「ですよねー」
想定内の反応だ。
昨夜出来上がった曲は激しいドラミングとハイコードのバッキングにしこたま電子エコーなどエフェクトを効かせまくったトンデモ音楽に仕上がっていた。
「こういうジャンルをサイケデリックロックといいます。ドラッグの幻覚作用を音楽で表現するジャンルですね」
「断言します。ノノイはそういうバンドじゃありませんよ?」
おっしゃる通りで。トランス状態で作った曲らしい仕上がりになりました。
「とにかく小早川君は一度ぐっすり寝て身体を休めるべきです。無理をしてはできることもできませんよ」
「今夜はさすがに寝ます」
「それからきちんと食事も取ってくださいね? というか昨日と一昨日はちゃんと食べたんですか?」
「はい、スーパーの見切り品のお弁当を食べました」
「三食二日とも、ですか?」
「そうですよ」
先輩の顔がみるみる青ざめる。あれ、俺何か悪いこと言ったかな?
「そんな食生活では身体を壊しますよ!?」
「先輩、声が大きいです!」
パートツー。
「食事は健康の基本です。毎日栄養バランスの取れた食事をしてください。小早川君、普段自炊はされてるので?」
「えっと……時間とやる気のある時は心がけるように努力する所存でした」
「つまりしてない、と」
「はい……」
近所のスーパーは二十時くらいになると値引シールが貼られるのでそれを狙って買いにいく。案外節約になるので経済的だが、味が偏るのが悩みである。
はぁ、と先輩は呆れ顔。あの優しい先輩にここまで顔を顰めさせるなんてお恥ずかしい限りだ。
「こ、今晩から自炊します」
「いえ、小早川君にまず必要なのは休養です。前後不覚な状態で包丁や火を使うのは危ないですから」
「返す言葉もありません」
火事になったら危ないし、手を怪我するかもしれない。ギタリストは手が命なのに。
「決めました。今日からしばらく、私が小早川君の食事をお世話します」
「……はい?」
今なんとおっしゃいましたか?
「ですから、私が小早川君のお家に行ってお食事のお世話をします」
「いやいや、申し訳ないですよ!? 先輩にそんな負担をかけるなんて……!」
さすがにそれは気が咎める。気心知れた相手とはいえ生活の面倒を見てもらうのは気が引けた。目上の人だからなおのこと恐縮するし。
「負担をかけているのは私も同じです。私のわがままで小早川君に作業の負担をかけているのですから。それで身体を壊されては元も子もないです」
なるほど。それが先輩の言い分か。先輩は自分の歌詞を採用してもらう立場だから何か手伝いがしたいのだ。その行為は無碍にできない。
それに俺にとっては一つも悪いことはない。栄養の取れた食事を作ってくれるのだから良いことづくめだ。
「分かりました。あ、材料費は後々払いますよ」
「そんなこと気にしないでください。家族の食事と一緒に作ります。一人分増えたところで大して変わらないので」
「そう、ですか。それでは作曲が終わるまでの間、お願いしても?」
「もちろんです。それで私の歌詞が使われた曲ができるのなら、お安いご用です」
先輩はにっこり笑って請け負った。まさかこんな形で先輩が再び俺の部屋を訪れる日が来ようとは、誰が想像しただろうか。
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