第32話 本領発揮

 その日から俺の作曲は始まった。家に帰ると早速作曲指南書やアーティストのスコアブック、過去の作曲ノートを広げ、サンプル音源を部屋に流した。


 先輩と空李さんの想いを背負ったと思う身が引き締まる思いである。


 だが……


「うーん、全然浮かばない……」


 音楽制作ソフトを立ち上げたパソコンの前でため息をつく。

 困ったことにどんな曲を作って良いのかさっぱり分からなくなった。


 リコネスのような格好良い曲という空李さんのリクエスト。

 美墨先輩の情緒的で優しい歌詞。


 相反する二つのファクターを共存させるのは想像の何倍も難しいことに気付かされた。


 そもそも俺は誰かの要望通りの曲を作ったことも、他人の書いた歌詞に曲をつけたこともなかった。

 リコネス時代の作詞作曲は全て自分の胸一つでやっていた。リーダーの信彦からリクエストを受けたこともあったが、


「ロックなやつ」

「ちょっとポップスっぽく」


 という超アバウトな指示だけで動いていた。なので実質俺の好きにやらせてもらった。

 だが今回は俺の胸一つで動けない。


 空李さんのリクエストはリコネスのロックっぽさ。ライブハウスで目と耳に焼き付けたイメージをノノイらしさにしたいのだろう。

 対して先輩の歌詞はリリックというよりポエムと言い表す方がしっくりくる優しさと情緒を孕んでいる。


 先輩が書いたのは歌詞としてはまだドラフト版だから、韻をつけたりメロディに乗るよう清書して曲と合わせるつもりだ。だができる限り先輩が託した想いを損いたくない。それが作者への敬意というもの。


 両者の想いを融合させ、名曲へ昇華させる。断じてなぁなぁな折衷案には収めたくない。


†――――――――――――――†

 次回『第33話 通い妻』お楽しみに。

†――――――――――――――†

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