第31話 目指すもの(2)
「私の作詞ではダメですか……?」
先輩の声が憂いを帯びて揺れる。
友達の空李さんならきっと受け入れてくれるとの信頼もあったことだろう。しかし真正面から突っぱねられてしまった。
だが断った空李さんも辛い。伏し目がちな佇まいから容易に想像できた。
「ダメってわけじゃないの……。でも、私どうしても金吾が作った楽曲をステージで披露したいんです」
「空李ちゃん……。その、まずは私が書いた詞を読んでもらえませんか? 小早川君も相談に乗ってくれて、自分でも会心の出来だと自信を持っているんです」
論じるより読むが早し。先輩は藤色のノートの最後のページを開いて空李さんに差し出した。
空李さんはしっかりと見開いた目で視線を落とし、詞を追いかけていた。首を小さく縦に振ってビートを刻んだり、唇を微かに開いて口ずさんだり。
その表情は朗らかで気に入ってくれたと見て取れた。
「読みました……。良い歌詞だと思います」
「では……」
「でもやっぱり、ごめんなさい。この歌詞じゃないの。私が歌いたいのじゃない」
それでもなお空李さんは首を縦に振らなかった。
「私が歌いたいのは他の誰でもなく、金吾の書いた詞なんです。私が追いかけて、憧れ続けたリコネスの金吾の心を歌いたい。だから……ごめんなさい」
空李さんはノートをパタンと閉じてそっと先輩に返し、深々と
梅雨のしけった空気に似た沈黙が四人の間に漂った。
俺は配慮に欠けていたことを痛感した。先輩の熱意とリリックに胸を打たれ、きっと空李さんにも届くだろうと楽観視したばかりに空李さんの気持ちに目を向けられなかった。
だが空李さんは最初から俺が書いた歌詞をボーカリストとして歌うのをずっと夢見ていた。俺に作詞を担当させたのもそのためであった。
そのことを忘れてしまうなんて……。
「分かりました」
先輩が消沈した声で言う。
「空李ちゃんの想いを尊重します。この歌詞のことは忘れてください」
細い腕をテーブルに這わせてノートをしまおうとした。
ぎゅうっと胸を締め付けられるような苦しみが俺を襲う。
本当にそれで良いのか? 空李さんの願いを叶えてあげるために美墨先輩が想いを胸にしまい込んでも。
音楽に携わる人なら心に描いたビジョンを音で表現したいと願うのは当たり前のこと。先輩はせっかくバンドに参加したのにその当たり前を叶えられないで良いのか?
「待ってください、空李さん!」
良いはずがなかった。ゆえに無我夢中で異を唱えた。
「俺の書いた歌詞を楽しみにしてたことを失念してしまってごめんなさい。でも、先輩の書いた歌詞とも向き合ってもらえませんか?」
「小早川君……。お気持ちは嬉しいですが空李ちゃんの気持ちを蔑ろにしてまで曲にしようなんて思ってませんよ」
「本当ですか?」
覗き込んだ先輩の瞳が泳ぐ。
先輩はお蔵入りにすることに納得しているのか?
あんなに楽しそうに、あんなに熱心に、あんなに悩んで書いたこの歌詞に日の目を見せずして後悔しないか。
俺なら我慢できない。
「先輩のためだけじゃありません。先輩の書いた詞は本当に素敵だと思ってます。先輩の穏やかで優しい人柄と不思議な可愛さが表れてるんです。俺はこの歌詞をメロディーにしたいんです」
先輩の歌詞をお披露目して欲しいと思うのは純粋に俺自身が気に入ったからでもある。それをどんな曲に乗せるか、今朝からずっと楽しみにしていた。
その想いもまた無かったことにはできない。
「金吾……。私はリコネスみたいな格好良い曲にしたいと思ってたの。でも詩乃さんの歌詞だとそうなりそうにないというか……」
「想像できないのは仕方ありませんよ。まだ曲がついてないし、この歌詞もドラフト版です。これから清書しながら曲と合わせて仕上げるんですから。だから空李さん、先輩、この件は俺に預けてもらえませんか? 先輩の想いを損なわず、空李さんの希望に沿った楽曲を作ってみせますから」
相反する二つの想い。その想いは俺が背負って同じ場所へ届けてみせる。そう覚悟するのに迷いはなかった。
空李さんは意表を突かれて呆然としていたが、やがていつもの溌剌とした表情を浮かべた。
「分かった、金吾を信じる」
「ありがとうございます。先輩、これからまたしばらく作詞に悩むことになりますが、力を貸してくれますよね?」
「も、もちろんです。私にできることならなんでもしますから!」
失われた先輩の覇気が一瞬で蘇る。やはりこの詞に並々ならぬ想いを込めていたのだ。
その想いを音楽に乗せるのが俺の仕事。これから忙しくなるぞ!
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