地獄めぐり
五道 正希
地獄めぐり
大仰な名前の印象だけで、私は草木も生えない荒れ果てた岩山の奥に赤青色とりどりの温泉が点在しているようなところだと思い込んでいたが、どうやらそれは他のところとごっちゃにしていたらしい。
ここの地獄は普通の街中にまぎれて点在していた。
令和も平成もこなかったような街並みのいたるところから湯気がたちのぼっている。
日本有数の温泉地、別府の街はちょっとした拍子抜けと一緒に私の肩の力を抜いてくれた。女一人旅で目指してきたのが地獄めぐりとは、少々恨み節がきつすぎたかなとも思う。
観光地然としたまぬけな鬼の像がそんな私を笑ってるみたいだった。
一通り有名どころの地獄をめぐり終えた私は、電動アシストの自転車を借りて街を見て周ることを思いついた。宿に戻って温泉を堪能するにはちょうどいい運動量になりそうなサイズの街な気がしたのだ。自転車に乗ること自体が久しぶりだったけど、風を切って走るのはこんなに気持ち良いものだったのか。坂の下に遠く別府湾の煌めきが見える。
見晴らしのよい公園を見つけ、ちょっと一休みすることにした。この辺りまで来ると観光の色は消え、地元の人たちの生活が見えてくる街並みだ。私は旅行した先々で、こういうそこの土地の人の生活が見える場所を覗くのが好きだった。案外、どこに行っても代わり映えはしないのだけど。
ベンチに腰掛けて空を仰ぐ。ぽこぽことした緑の山並みとリズムを合わせたような白い雲が浮かんでいる。のんびりを絵に描いたような風景のなかで、こんな気持ちの良い地獄っていうのもどうなんだろうとひとりツッコミを入れてみた。
「おねえさんひとり?ちょっと隣いいかな?」
チャラ男みたいな台詞で声をかけてきたのは小学生くらいの女の子。
妙に世間慣れしたような、それでいて普通にこどもらしいかわいい子。このくらいのこどもなら素直におばさんと声を掛けてきても怒らないのに。私は苦笑いしながら、少し腰をずらしてベンチの隣を空けた。
「おねえさん別府ははじめて?気に入ってくれた?」
地元で商店でもやっているところの子だろうか、知らない大人との会話に物おじしないのは。でもわずかに語尾があがるイントネーションはこちらの訛りではないもののような気もした。
「そうね。空も海も綺麗、山の緑も綺麗。とってもすてきなところだと思います。」
「なんかうまいこと街の話題は逸らしたね。まあね、おねえさんからしたらほんまなんもない田舎やもんな。せっかく来てくれたんになあ、もう飽きた頃かも知れんと思っての。」
街の観光大使でも担っているつもりなのかな。
「そんなことないよー。あの、ボコボコって泥の地獄、面白かったし。なんかね、地獄っていうより、地球からパワーが湧いてきてるところみたいで、私も元気もらった。」
「そうなん?お世辞でもうれしいわ。おねえさんこんなとこで力もらわんでも、しっかりパワーありそうやけどなぁ。」
私はまた苦笑いしてしまった。ここにくるまでは、本当にもう私にはなにも残っていないと思い込むくらいには消耗していたのだ。それなのに、今はわけもなく楽観的な気分が湧き上がってきている。そう、ここの街中から吹き出している湯気のように。そしてその気分の大半は、今この子からもらっている気もする。不思議な魅力のある女の子だった。
おねえさん今夜の予定は決まってんの?どんな料理が食べたい?女の子の巧みな話題の引き出し方につられて、同世代のともだち同士のように私たちはついつい長話をしてしまった。彼女は私くらいの歳みたいでもあり、私が小学生に戻ったみたいな気もした。
いつの間にか太陽は山の向こうに隠れ、世界はオレンジから紫に包まれた。マジックアワーと呼ばれる時間だ。
「大変、ごめんなさいこんなにお話しちゃって。お家の方に心配かけちゃうね。でもとっても楽しかった。ありがとうね。」
「こちらこそ。おねえさん、相手してくれてありがとな。楽しんでってくれたらうちも嬉しいわ。」
笑顔で見上げてくる彼女の目が鏡のように空の色を映していた。その猫のような瞳に私は次の言葉を忘れてしまった。
「あ、おねえさんこれ。忘れ物ね。」
「え?」
紙袋を手渡され、顔をあげたらもう彼女はどこにもいなかった。
彼女から渡されたコロッケでも入っていそうな茶色の紙袋のなかには、男の手首から先が入っていた。その指先だけで持ち主がわかる。私はこれを忘れにきたのに。
私はその薬指に嵌った輪を抜いて思い切り遠くへ放り投げた。
(終)
地獄めぐり 五道 正希 @MASAKI_GODO
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