後編

 民衆は紅花ホンファへのこの拷問も、夫であるリュウ龍凡ロンハンに見せつけた。すると、まもなくして龍凡の精神は崩壊した。娘と妻への残虐な拷問を続けてのあたりにして、正気を保っていられなくなったのだ。


 手足を縛っていた縄を解いてやると、龍凡はふらふらと頼りなく歩きだした。その目にはいっさい生気が宿っておらず、歩きながら尿や便を垂れ流したという。

 ふらふらと歩き続けた彼は、やがて大阪城の堀に到着した。そして、なんの躊躇もなく、堀の水の中に身を投げた。

 龍凡は堀に沈んだまま浮かんでこず、水の底で死亡したのだと判断された。


 劉一家が死に絶えたのであれば、呪いが消え去るはずだった。しかし、その後も民衆は病によって死に続けた。激しい嘔吐を何度も繰り返し、昼夜問わずに便や尿を垂れ流し、脱水と栄養失調でひどく痩せ細って死んだ。

 呪いがおさまらないのはしゃの責任ではないのか。劉一家を残酷に殺した民衆は、すでに狂人と化していたのかもしれない。今度は迦紗にも指を一本ずつ切断するという拷問を加えたあと、牛による裂き刑にて彼女の手足を引きちぎって殺害した。


 さて、ここまで書き記してきた劉一家がらみの出来事は、民俗学者のなおゆき氏の著書、『◯◯◯◯民俗考察学』に収録されている内容を引用したものだ。


 書籍のタイトルの一部を伏せ字にしてあるのは、諸事情あって書籍の流通がストップしているからだ。ストップしているだけなら構わないのだが、諸事情というのがなかなかの面倒事だった。六人部氏と相談したうえで、面倒事をいっそう面倒にし兼ねないために◯◯◯◯を伏せ字にした。


 話を本題に戻すが、六人部氏は『◯◯◯◯民俗考察学』の中でこう語っている。掘に身を投げて死んだ龍凡は、に生まれ変わったのかもしれない。

 

 河裸稞とは各地に残る河童かっぱ伝承のもとになった怪異だ。ネットで検索してもヒットしないほど、一般的には認知度が低い怪異なのだが、民俗学者の中ではまま知られているそうだ。

 巨大なナマコのような形状をした怪異であり、尺は二メートルほど、体色は青みがかった緑色をしているという。頭部にはナマコにはない皿のような形をした器官が認められる。その奇妙な器官の役割は不明なのだが、皿に似た形状からして、河童伝承を生むきっかけになったと思われる。

 口や肛門はあるものの、目や耳は備わっていない。巨大な胴をずるずる引き摺りながら水の底をい、ときおり砂や泥を食って排泄するのだという。


 河裸稞は手も足もない怪異なのだが、実のところその正体は人間であり、人間がある条件のもとで生まれ変わったものなのだ。その条件とは以下となる。

 家族を殺された強い恨みを持っている者が、川や池などの水辺で自死するのが条件だった。

 自死して水の底で腐敗していく過程で、目や耳が朽ち果て、手や足が腐り落ち、ついには巨大なナマコのような怪異へと変化する。

 

 龍凡は妻と娘を残酷に殺されたのち、本人は大阪城の堀に身を投げて死んだ。河裸稞に生まれ変わる条件が揃っている。

 ゆえに六人部氏は龍凡は河裸稞になったと考えたのである。

 そして、彼の著書である『◯◯◯◯民俗考察学』には、このような話も取りあげられている。


 とあるテレビ番組の名物企画で、大阪城の堀の水を抜くことになった。しかし、予定どおりに作業が開始されたものの、開始後すぐに中止せざるを得なくなった。堀の水の中から人間の白骨死体が見つかったからである。

 それは当時にネットニュースなどでも話題になっていた。したがって、堀の白骨死体のことを覚えている人もいるかもしれないが、『◯◯◯◯民俗考察学』ではより詳しい説明がなされている。

 

 番組の水抜き作業で白骨死体が見つかったあと、堀の本格的な捜査がはじまり、別の白骨死体も次から次へと発見された。最終的にはなんと二十九体もの白骨死体が引きあげられたのだった。身元がわかった死体は二割程度だったという。


 死体発見のその事実は世間にほとんど周知されていないが、それは大阪市の市政にかかわる人々が隠匿したからだった。


 外国人観光客からもたらされる収益が重要なのは言わずもがなだが、大阪城は大阪観光の要所ともいっていい場所である。死体が大量に見つかったという汚点は、大阪城の人気に致命的な傷をつけ兼ねない。

 市政にかかわる人々は危機感を覚え、あらゆるところに手を伸ばし、死体発見の事実を隠すために尽力した。今では死体発見など根拠のない噂だとまで言われるようになっている。


 ただ、世間をうまく騙せたとしても、水面化では情報が漏れ出るものだ。大阪城の堀で二十九体もの死体が見つかったという事実は、いつしか生物学者たちの耳に届くようになった。すると、彼らはまもなくして得心したのである。


 冒頭でも述べたが、大阪城の堀は他の川や池といっさい繋がっておらず、通常はそのような閉鎖環境下だと生態系がさほど発展しない。にもかかわらず、大阪城の堀には非常に多彩な水棲生物が認められ、閉鎖環境下では異常ともいえるほど生態系が豊かなのだった。その事実に生物学者も首を傾げて、これまで不可解な例外として扱ってきた。

 しかし、二十九人ぶんの死体が堀に沈んでいたのであれば話は別だ。


 閉鎖環境下において生態系が発展しないのは、生物に充分な餌や栄養が行き渡らないためだ。だが、これまでに二十九人ぶんもの死体が沈んでいたのであれば、それが堀に棲む生物たちの餌や栄養になったのは言うまでもない。

 物学者たちは大阪城の堀の生態系に得心した。水棲生物が豊富に見られるのも当然であり、もう不可解な例外ではなくなったのだった。


 とはいえ、不可解な例外が解決にいたったとしても、二十九人ぶんの白骨死体の出どころは謎である。それほど大量の死体は、いったいどこからきたものなのか。

 転落などの不慮の事故や自殺によって、堀で命を落とした者もいたかもしれない。だが、数人ならばともかく、二十九人ぶんもの死体だ。四十にも迫る人数というのは常識的にあり得ない。


 以上の内容をふまえた六人部氏の考察も、『◯◯◯◯民俗考察学』には綴られている。それをざっくりまとめれば、次のようなものになる。


 怪異が人間とって害であるか益であるかは、それぞれが持つ性質の如何いかによって決まる。巨大なナマコのようなは人間に害をなす恐ろしい怪異だ。


 普段の河裸稞は水の底をずるずると這うだけの存在だが、数年に一度細い触手を口から何本も伸ばして、近くにいる人間を絡め取って水の中に引き摺りこむ。そうやって人間を溺死させるものの、その行為にさしたる目的や意味はない。引き摺りこんだ人間を食べるわけでもなく、卵を産みつけて繁殖行為を行うわけでもない。

 河裸稞はそういう怪異だとしか言いようがなく、人間をただ捕らえてただ溺死させるだけだ。

 恐ろしい性質を持つ怪異である。

 

 大阪城の掘に身を投げて自死した龍凡ロンハンが、河裸稞に生まれ変わった可能性は、先に述べたとおりだ。もし、龍凡が本当に怪異に生まれ変わったのであれば、堀の中で二十九人ぶんもの白骨死体が見つかったことにも納得がいく。

 かつては龍凡だった河裸稞が口から触手を伸ばし、これまでに何人もの人間を水の中に引き摺りこんできたからだろう。

 堀の捜査で河裸稞自体が発見されなかったのは、底のでいの中に潜っていたのだと思われる。


 そのような考察が『◯◯◯◯民俗考察学』には綴られている。


 とはいえ、考察を綴った六人部氏自身も同著書の中で、大阪城の堀に河裸稞がいるという見解は、突拍子もない説だと自嘲気味な調子で書き記している。

 社会も人も発達した令和のこの時代において、河裸稞のような非科学的な存在を、実在していると信じるのは愚かなのかもしれない。

 しかし、二十九体もの死体が発見された状況を、河裸稞が棲むという突拍子もない説以外で、筋が通るように論じることができないのもまた事実だ。

 

 大阪城の堀で次々と発見された多すぎる死体は、河裸稞の仕業であるのかそうではないのか。

 どのように考えるかはあなた次第である。



     了





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河裸稞(がらら) 烏目浩輔 @WATERES

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