4 自分の初恋は失恋で終わりだと思っていた吾川さん

「誤解だよ、吾川さん」


 僕が鈴音りおんと水族館デートをしていた……という吾川さんの想像は、いつもの早とちりに過ぎなかった。


「一緒に出かけたけど、彼女ってわけじゃないよ」


 鈴音が聞いたら怒りそうなので、はっきりと否定しておく。もっとも、鈴音の性格からすると、勘違いした吾川さんのことを笑いそうな気もするけれど。


 ただいくら吾川さんがそそっかしいといっても、一応勘違いをするだけの理由はあったようだ。


「う、腕を組んでたって聞いたけど」


「今、魚の求愛に関する特別展をやっててね。その関係でカップルは割引になるんだよ。だから、付き合ってるフリをしたんだ。僕は嘘はよくないと思ったんだけど、鈴音がもったいないって言うから」


 それで、受付で支払いを済ませたあとは――館内に入ってからは腕を組んでいなかったのである。


 また、ディスカスの展示を見ていた時に、鈴音が「真琴は真面目だからモテない」とか「大して真面目でもない」とか言い出したのも、一つにはこの料金の誤魔化しのことが頭にあったからなんだろう。


「他にも女の子がキ、キスしようとしてたって」


「それはキッシンググラミーの真似をしてただけだよ」


「ふざけてたってこと?」


「スジオテンジクダイのキスは確かに求愛だけど、キッシンググラミーの場合は縄張り争いなんだ。要するに、僕にケンカを売ってたってこと」


 解説にも、「同じキスをする魚でもこんな違いがある」という文脈で紹介されていた。鈴音はそれを読んであんなことをしたのだ。


「ベタの真似もしてたけど、あれも同じだね。フレアリングは求愛以外に威嚇の意味ですることもあるから」


「そうだったんだ……」


 吾川さんは質問攻めをやめて一息つく。ようやく納得してくれたらしい。


 かと思えば、すぐに次の質問を始めていた。


「で、でも、一緒に水族館に行くなんて仲良いんだね」


「まぁ、一応ね」


「昔からの知り合いとか?」


「そうといえばそうかな」


 僕と鈴音のような間柄に対して、知り合いという言い方は普通はしない気もするけれど……


「もしかして幼馴染?」


「いや、家族なんだよ」


 僕の母親の名前は鳴子なるこという。「」というのは、本来は和楽器の一種のことである。


 それで僕たち二人にも、「真」「音」と和楽器から取った名前がつけられたのだった。


「妹さんだったの?」


「ううん」


「じゃあ、お姉さん?」


「違うよ」


 僕は続けて首を振った。


「鈴音は弟だよ」


「弟!?」


「キッシンググラミーもベタも争うのはオス同士だからね」


 だから、そこまで踏まえた上で、鈴音は真似をしていたのである。


 この話を聞いて、吾川さんはすっかりうろたえてしまったようだった。


「友達の話だと、格好がその、なんていうか……すごく可愛かったって」


 センシティブな問題だと思ったんだろう。言葉を選んでそう尋ねてくる。


 もっとも、本人が隠しているわけではないので、僕も特に誤魔化すようなことはしなかった。


「うん、鈴音はどうもみたいなんだ」


 最初に弟と言わずに、家族というぼんやりとした説明をしたのは、それが理由だった。


 オス同士の縄張り争いの真似をする鈴音に、「反応しづらい」と言ったのも、それが理由だった。


 また、そもそも鈴音を水族館に誘ったのも――


「水族館に誘ったのもそれが理由でね。カクレクマノミみたいな雄性先熟の魚を教えてやろうと思って」


「ゆーせい……?」


「全員がオスとして生まれて、成長後に一部がメスになることだよ」


 カクレクマノミがこのような特徴を持つのは、子孫を残す上で有効なためだと考えられている。大きく成長できた個体が後天的にメスになれば、体格の分だけ多くの卵を産めることになるからである。


 また、この雄性先熟は、カクレクマノミ以外にも、同じクマノミ亜科の魚たちやウツボの一種であるハナヒゲウツボなどに見られるという。


「小さい頃からの知り合いばっかりだったから小学校の時はそうでもなかったけど、中学に上がってからは周りにいろいろ言われるようになったみたいでね。

 鈴音は『頭が固い』とか『時代遅れ』とか強がってるけど、そうやって僕に話す時点で本当は傷ついてるんだろうなと思って。だから、大したことじゃないって言ってあげたかったんだ」


 もっとも、肝心の鈴音の反応は、「ふーん……」とか「早口でキモい」とか、さんざんなものだった。帰り際にイルカのキーホルダーを買ってやった時の方が、よっぽど喜んでいたくらいである。


「いいお兄ちゃんだね」


「できればもっといい励まし方をしたかったんだけどね」


 たとえ後天的に性別が変わる魚がいなかったとしても、鈴音がそれに憧れるのは間違ったことではないはずである。そういう意味では、あまりスマートなやり方とは言えないだろう。


「そっかぁ。弟さんかぁ……」


 吾川さんは改めてそう繰り返す。


 鈴音が男だったというのが、そんなに意外だったんだろうか。それとも……


「そういう吾川さんは、日曜日は出かけたの?」


「え? う、ううん」


 この吾川さんの返答を聞いて、僕はホッとしていた。


 だから、こう尋ねるのだった。


「あのさぁ、吾川さん――」



          ◇◇◇



「今日は何を話したんだ?」


 三組の教室に戻るなり、戸森にそう問いただされた。


「猫カフェのことだよ」


 日曜日に出かけなかったということは、猫カフェに行かなかったということのはずである。猫カフェに行かなかったということは、まだ割引チケットを使っていないということのはずである。それで僕は吾川さんに尋ねたのだ。


「今度の休みなら空いてるからどうかな、って」


「なんだ、お前。この前は興味ないみたいなこと言ってたくせに」


「そこまでは言ってない」


 以前の僕の返答は、あくまでも「妹みたいな感じ」である。決して、「妹としか思えない」ではない。


「本当だろうな? その気にさせるような態度を取ったら吾川が可哀想だぞ」


「……それは別に誤解じゃないよ」


 僕は小声でそう答えた。


 吾川さんが猫カフェに行かなかったと聞いた時にホッとしたのは、単にまだ割引チケットが残っているからというだけじゃなかったのだ。




(了)

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誤解しないで、吾川さん 蟹場たらば @kanibataraba

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