第18話

 思い出すと、修治の目の前の閃光はぷつりと途絶え、そして、頭の痛みも消えた。ただ、頬と背中の痛みだけが、残った。


 修治は約束の全てを思い出した。自分が何故、さやが今居る筈がないと思い込んでいたのかも、何故今までずっと忘れていたのかも、全て。

修治は見回すと、格子の先に変わらずに佇むさやの姿を見つける。日が暮れて、夜になり、随分と時間が経つ。上着だけではかなり寒く、随分と冷えこんでいる。昏倒していた時間もあり、気温の低さも考えると、もうすぐ夜明けなのかもしれなかった。

殺気だったさやの姿に、修治は苦笑いして、頷き、さやの姿の化け物に話し掛けた。


「さや! いや…お前は、さやの中の鬼だな。思い出したぞ!お前は死んでる! お前との約束は全部で三つなんだ!」


 そう言うと、格子の外のさやは、はっとして目を見張る。そして舌打ちをして、修治を睨んだ。


「一つはお前を迎えにいくこと。……いつも、神社に遊びに行くって約束したよな。大人になってから、迎えに来たら、お前は俺と一緒に…この神社を出るって、そう言ってたよな、最初は…」


 さやから、ぎり、と大きい歯軋りが聞こえる。修治は優しい表情で言い、同時に、哀しそうだ。


 …さやは、この神社の御神体だ。だから、御神体であるさやが神社を出るというのは、神をやめるということだ。けれど…死んでしまってはそれも叶わない。それを判って、修治は一度首を振って、立ち上がり、言葉を続ける。


「もう一つ。お前を忘れないこと。お前は化け物で、俺を殺すかも知れない。だけど、お前は、俺がお前を化け物であることを含め、全部覚えていたら、お前は…お前は、俺を殺さないんだ」


 かっちりと目を合わせて、修治は一歩踏み出し、さやの中の化け物に言った。……神であるさやに、どういう経緯で鬼が潜んだのかは判らない。けれど、地を騒がせる化け物や鬼を静めるために、鬼を封印するのはよくある話だ。さやが、鬼を自身に封じ込めたに違いない。


「……貴様…」


 扉の外のさやが、忌々しそうに、唸る。殆ど消えそうな月の光を浴びながら、化け物は格子の前を行ったり来たりした。……夜は、化け物が力を持つ。昼間は太陽光で神であるさやが鬼を静めていられるが、夜は、化け物に体を支配されるのだ。月の、一度死んだ光を浴びると、鬼は力を得て、暴れる。


「最後に」


 修治は息を吸ってそして、もう一歩格子に近づき、ゆっくりと格子に手をかけ、もう一度言葉を紡ぎだす。


「俺は、さやが車にはねられてから、お前を、さやを忘れて、それから、大人になってから思い出すこと…そうしたら、さやは…さやの中にいる、鬼を連れてあの世に逝けるんだ…」


 全て約束を言い終え、修治は格子を開いた。全てを思い出して、全てを言った。けれど、寂しいような、哀しい思いが修治の胸に募る。


「全部守った。…少し遅くなったけどな…さや。お前を全部思い出して、迎えに来た」


 修治は苦笑しながら言って、目を見開いて硬直するさやを見つめる。未だ殺気を放つさやを目の前に、修治は無防備に体をさらしている。

確かに、修治は約束を守った。これで、さやとの約束どおり、修治は殺されない。けれど、そうではないのだ。全てを思い出したから、修治は約束を守れたが、それは同時に、さやとの別れを意味しているのである。……それが判っていて、修治は、悲しかった。


「おのれ…!なぜ、約束を守ったりする…!」


 化け物は叫び、総毛だって手を振り上げた。ひゅんっ、と修治の耳元で音が鳴る。しかし、修治の首は飛ばなかった。


「しゅうじ…」


 忌々しそうだったさやの顔が不意に柔らかくなり、凛とした声で名を呼んだ。ふわり、とそよ風が修治の横を過ぎる。そのときに、すでに鬼からさやに替わっているのが、修治には、何となく判った。微笑んださやの体が、ゆがみ、膨張したかと思うと縮み、少女になる。穏やかな顔とは裏腹に盛大な恨み言が、さやの喉奥から漏れていたが、体がちぢむと、それがぷつりと途切れる。少女のさやは、昔のように、おかっぱ頭で、着物を着ている。白い、着物だった。


「しゅうじ。ありがとう」

見上げる形となったさやは、そうお礼を言った。修治は微かに微笑んで、さやと視線を合わせるためにしゃがんだ。

この、幼い少女の姿が、さやの本来の姿だ。大人の姿は、修治が思い出しやすいように、作っただけだ。修治は、幼いさやの姿を疑問にも思わず、さやが何かを言うのを、ただ待った。


 そしてさやは、真面目な顔で、とつとつと語り始めた。


「しゅうじ。私の中に居る化け物はな、人に裏切られ続け、町で暴れまわっていたものだ。…それを私が封じた」


 修治はさやが話すのを、黙って頷いて聞く。それに答えて、さやも話し続けた。


「私は、本来なら死なないんだがな、化け物の体が朽ちたから、私も一緒に朽ちる」


 さやがそう言うと、修治は顔をしかめる。判っていたがやっぱり胸に傷みが走った。それを悟ると、さやは柔らかに微笑んで、修治の頬を撫でた。ちょうど、何年も前に、さやが死の間際にそうしたように。


「私は、ただ死ぬだけなら、消滅するだけなんだ。けど、しゅうじが約束を守ってくれたら、裏切られ続けた化け物の本性を鎮めてやることが出来る。そうしたらな、化け物は…この鬼は、あの世にちゃんと逝くことが出来るんだよ」


 修治が俯きそうになるのを、さやは制止して、しっかりと、優しく目を合わせる。頷き聞きながら、修治は何も言えなかった。自分が感じるこの寂しさは、自分勝手な我侭なのだ。寂しさを訴えたところで、さやが逝くのは変わらない。ならせめて、さやが悲しまないように、修治は笑顔で送ってやらねばならない。


「だから、しゅうじが約束したことを守ることで、化け物は裏切られ続けた身から救われる。私自身、鬼と一緒に生き長らえていた生に終止符が打てるんだ。消滅じゃない形でな」


 話を締めくくると、さやは儚く笑った。そしてもう一度修治の頬をなでる。


「すまない、頬がずいぶんと腫れたな。それに、背中も酷い」


 さやは、修治の頬をなで、背中をなでた。そこからじんわりと、熱が伝わるように痛みが少しずつひく。傷を、治してくれているらしい。


「大丈夫だ」


 修治は軽く首を振って、ようやくそれだけを言い、さやに苦く笑いかける。


「ずっと外にいるから、お腹も減っただろう? 悪いな。何もしてやれない。私が、あのときのしゅうじみたいに、お菓子をあげられればいいんだが」


 困ったようにさやが言うのに、修治は少し笑った。自分が落ち込んでいるのに、さやは何てことを考えている。出会ったときのことを、思い出す。


「私の名前は、さやだ」


 初めて会った、緑の濃い明るい神社は思い出される。無理に思い出していたときとは違って、妙に懐かしかった。


「さや、か。変な名前だな」

「なんだよ、失礼な…」


 言いかけたさやの言葉が、不意に止まった。そして、シャワシャワと蝉が鳴く神社に、ぐぅ、と盛大なお腹の音が鳴った。


「…なんだお前、お腹すいてるのか?」


 鳴ったのは、さやのお腹だった。さやは赤面したが、それでも修治に質問には頷いて肯定する。


「しょうがないな。俺のお菓子やってもいいけど、どうする?」


 修治は恩着せがましく、ビニール袋に入った菓子を見せる。それは、祖母が修治に持たせた砂糖菓子だった。


「…いいのか? お前のだろう?」


 ぱっと、顔をあげて、さやは悪そうに修治に言う。さっきの大きな態度と打って変わった弱気が面白かったらしい。修治は笑って答える。


「いいよ、どうせ俺一人じゃ食べないし。一緒に食べようぜ」

そう言うとさやは、顔を輝かせて素直に言ったものだ。

「ありがとう!」


 笑顔で言って、それから修治とさやは一緒に遊ぶようになった。砂糖菓子は、修治とさやが仲良くなったきっかけだった。


「…菓子じゃなくても、お腹がふくれれば何でもいいんだけどな」


 さやが言葉を続けて思案する。それに、修治はますます笑えてしまう。


「あのときのお腹の音、神社中に響いてたな」

「そんなに大きかったか?」


 眉間に皺を寄せて、さやが言うのに、修治は耐え切れなくなって、とうとう噴出した。合わせて、さやも少し笑う。


 そうやって話している間に、徐々にあたりは明るくなってきた。不意に、さやが顔をあげて、東の空を見た。……本当に、別れの時間が、近かった。急速に、楽しい時間が、遠ざかる。少しの間忘れていた悲しみが、また修治を襲う。さやは、この世から居なくなる。こうやって、話しているのに、さやは、修治の目の前から消えるのだ。


 意識した瞬間に、どくん、と心臓が鳴った。刹那に、さやと目が合った。さやは、修治の不安を見透かして、それを包むように柔らかく微笑んだ。


「ありがとう」


 いいながら、さやは修治の首に腕を回して、抱きつく。暖かい感触が、修治に伝わる。まるで生きているように、暖かい。ぎゅ、と修治を抱きしめた後に、さやはまた自分で修治の体から離れ、修治をみつめる。


「……さや」


 苦く笑んで、修治はさやをみつめ返す。いよいよ別れの時なのだと悟る。笑顔で、送ってやろう、と修治はそう思う。けれど、どうしても顔が歪んでしまうのだ。


「大好きだよ、しゅうじ」


 微笑んで、さやは社の境内を歩いて降りた。そして、もう一度、社の境内に立った修治を振り返る。


「お前はちゃんと約束を守ってくれたな」


 今までで最高の笑顔を送って、さやは風に溶けた。さやが溶けた風は、ふわり、と修治の周りをかろやかに舞って、空の彼方に吸い込まれていった。それはちょうど朝日が昇るのと同時だった。


 修治は、一人、登ってきた朝日をみつめ続けた。瞳に映っていたのは、朝日なのか、懐かしい思い出たちなのか。ただ、空をオレンジに染める朝焼けに、約束の空を思い出していた。

 こうして、さやは修治を残し、鬼を連れて逝った。

 全ての約束は、果たされた。

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少女の約束 かべうち右近 @kabeuchiukon

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