第4話

 蛇姫様の小屋に入る前にひと悶着ありました。


 子供は入れられないと言われてしまったのです。

 受付にいたのは、暗くて顔はわかりませんが、だみ声でシャツの腕からは極彩色の絵が見える男でした。


 私は十歳でしたが、望んでも叶わないことの方が多いことを知っていました。

 大人にダメだと言われたらすぐに諦めるどころか、そんな望みを持ってすみませんと、萎縮してしまう程でした。


 小屋の前で、断られた時もそうでした。

 トメさんはいいが、私は入れてもらえない。

 そう言われた途端に、とんでもない大罪人だと非難された気がして、私はその場から逃げ去りたくなりました。


 ところがトメさんは、大人の男に食い下がったのです。

 私も入れてやれと、言ってくれたのです。


 私はトメさんに、やめてくれ私は帰ると言いたかったのですが、あまりにも恐ろしくて声も出せませんでした。


 身体に絵が描いてある男が怖いのではありません。

 そんなのは、私が育った地域には大勢います。

 私が怖かったのは大人です。

 ささいなことでも大人に逆らったらひどい目にあう。

 私はそのことを、養母から叩き込まれていました。


 トメさんが言い合っていると、別の男が近づいてきました。


「別にいいだろ。金が入れば」


 小屋にいた男がペコペコした様子からすると、上の人なのかもしれませんが若い長袖の開襟シャツの男でした。


「この子、◯食堂の子だ」

「ああそれで、この子、アザだらけなんですね」


 その開襟シャツの男のお陰で、私は小屋に入る事が出来ました。




 小屋の中はとても暗いのですが、その先に光が見えました。


 大人になって、私は瀬戸内海のアート巡りのツアーに参加したことがあるのですが、その中で光を体感するという建物に入った時、蛇姫様の小屋を思い出しました。


 無音で真っ暗。

 でも大勢の人の気配は感じます。

 私よりずっと背の高い大人たちが、小屋の奥の光を見つめていました。


 あの光の下に囚われた蛇姫様がいるのだ。

 そう思った私は、蛇姫様に祈りました。


——私はあなたを慕っています。悪い人間ばかりだと思わないで下さい——。


「見ないの?」


 小屋に入った途端に、人をかきわけてさっさと前に行ったトメさんが戻ってきて、私に言いました。


「会う」


 私が言うとトメさんはまた光に向かいました。

 私もトメさんの後ろについていきました。



 光の下には女の人がいました。

 看板に描いてあるほど美しくはなく、きらびやかな服も着ていませんでした。

 ごく普通のTシャツに短パン。

 ただ両腕はなく、片足も膝から先はありませんでした。


 その人は、残った足先に筆を挟み、何かを書いていました。

 口上を述べて、足で書いた色紙を売り込んでいました。

 私はただただ、その人の足を見ていました。

 上半身は全く動かないのに、その足先だけは別の生き物のように見事な動きをしていました。


 トメさんは千円払って、その色紙を買いました。


 色紙には『南無阿弥陀仏』と書かれていました。




 その夜、私は熱が出たように身体が熱くなり、なかなか眠れませんでした。


 指に筆を挟み、文字を書く蛇女の足。


 あの足が頭の中でぐるぐる回っていました。


 私は布団の中で、自分の下着を取りました。

 冷たい布団の感触が、火照った熱を冷まし、すーっと心地よくなりました。


 誰から教わったわけでなく、何かを観たわけでなく、これが私の最初の自慰体験です。

 

 

 

 

 


 


 

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蛇女の足 こばゆん @kobayun

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