其之六 墓荒らし

 大亀おおがめの神獣を玄武げんぶという。北方を守護する神獣である。その神獣をかたどった玄武硯げんぶけん黒曜石こくようせきで出来ている。玄武の両眼には黒光りするブラック・オニキスがめ込まれている。

 オニキスもまた、霊力を溜めるパワー・ストーンだ。玄武の甲羅こうらふたになっていて、取り外すことができる。その下がすずりとなる構造で、短い四脚が全体を支える。

 硯の側面には、びっしりと亀文きもんの紋様がり込まれていて、神秘性をかもし出している。書家である蔡邕さいようは毎日その芸術的な書器を飽きることなく眺めながら、馬車に揺られた。

 蔡邕の一行は王允おういんの案内で雲中うんちゅう郡を通過して、陰山いんざんの壁にさえぎられて河水がすいが南流するのに合わせ、南へ進路を変えた。定襄ていじょう郡で戦国時代に築かれたいにしえの長城を越え、雁門がんもん郡に入った。そして、臧旻ぞうびんが鮮卑討伐軍を発した雁門塞がんもんさいを抜けると、幷州へいしゅうの中心・太原たいげん郡である。

「ここから先は山賊に注意しなければならない。前方に見える峰々みねみねは山賊の住処すみかだ」

 そう王允に聞かされ、劉備りゅうび長生ちょうせい孫堅そんけん夏侯惇かこうとんの四人が蔡邕一家の馬車の前後に付いて厳重に警護しながら慎重に進んだ。深い山中を数日かけて抜けると、前方に大河が見えてきた。

汾水ふんすいが見えた。幷州の都まで間もなくだ」

 汾水も河水に注ぐ大きな支流で、太原郡の真ん中を南へ流れ、河東かとう郡で河水に合流する。一行は幷州の州都で太原郡の郡治である晋陽しんようを通過し、汾水沿いの界休かいきゅうというところで一時逗留とうりゅうすることになった。

「名にあるとおり、界山かいざんで休むとしよう」

 界休県は清流派「八顧はっこ」の一人、郭泰かくたいの生地である。南方に界山という山をのぞむ。

 郭泰が亡くなったのは十年前のことで、死後、その功績を称えた石碑が生地に建てられた。その碑文を作ったのが蔡邕だった。

「ここに留まって、夏至を待つ」

 郭泰のために建てられた霊廟れいびょうもうでて、蔡邕は逗留の理由をそう言った。

「陰気というものは夏至に起こる。それから五日間が陰気を送迎する期間なのだ」

 劉備も孫堅も、それを聞いても全く理解できなかった。

「簡潔に言えば、坤禅こんぜんするのに最適な時期が夏至ということだな。十回忌に坤禅できれば、林宗りんそうも喜んでくれよう」

 蔡邕はこの地に消えた清流に語りかけるように言った。

 逗留が決まって、夏侯惇は曹操そうそうへ報告するために帰京した。

玄徳げんとく様もお帰りになるのですか?」

 蔡蓮さいれんがどこか寂しそうに聞いた。もちろん、劉備にそのつもりはない。夏侯惇からも後事を託されている。故郷に残した母のことは少し心配だが、劉徳然りゅうとくぜんら親戚が付いている。天下のためにも、今は蔡智侯とその家族を守ることが仁義だと思っている。

「いえ、もうしばらくご同行いたします」

「そうですか。それは良かった」

 こうして、蔡邕護衛の任務は孫堅、劉備と長生に委ねられた。

 清流派名士・郭泰の屋敷は何事もなかったかのように保全されており、蔡邕一家はそこを借り受けることとなった。

 劉備と長生が蔡邕一家の護衛に付いている。孫堅は独り黙して郭泰碑の前に立っている。孫堅は会稽かいけいでの出来事を思い出していた。曹娥碑そうがひに触った自分は幻想を見た。

 袁忠えんちゅうは清流の記憶が石碑に残っていて、それに触れたのだと説明した。郭泰碑。

 孫堅は手を伸ばしてみた。


 まるで空気が水と交わったような、そのような感覚がふわりと孫堅の体を包み込んだ。心地よい感触が体を覆うのと同時に悲痛の奔流ほんりゅうが孫堅の心を襲う。まどろんだ孫堅の視界に幻想が映し出される。朝靄あさもやがかかった川のそば。二人の人物。一人は川面かわもを眺め、その背後で一人がひざまずいている。悌涙ているいする男が叩頭こうとうして言う。

「――――申し訳ございません、先生」

 先生と呼ばれた中年の男は、振り返ることなく、澄んだ顔つきを柔和にゅうわにしてこたえた。

「――――良いのだ。とう将軍と陳太傅ちんたいふ……あのような立派な方々が亡くなられてしまっては、この国は終わりである。天文を見るに、すでに私の命運も尽きている。逃げたところで、死はすぐに追いつこう……」

 穏やかな声。それを発する中年の男は滔々とうとうと流れ行く汾水に臨んで座る。水面みなもに映る若い男の凛々りりしくもどこか影のある顔を見て言った。

「――――別れのさかずきをもらおう」

 若い男が柳の木の下に置いてあった惜別のさかずきに毒酒を注いだ。

「――――眠るようにけるそうです」

 その若い男が涙を流しながら、杯を差し出した。それを両手で受け取った男が一拍置いて、中に注がれた酒を一気に飲み干した。しばらくの間、沈黙が辺りを包む。

 それから、かたわらにはべる若者に最後の言葉を贈る。

「――――そなたも政事にはたずさわらず、ただ心の平静を願え。……そなたの、教導の才は……角立しておる……が、……麋鹿びろくの、角は、抜け……落ち……」

 風が吹いて柳の枝葉を揺らした。男の手から杯が滑り落ちた。胸が締め付けられる。呼吸ができない。孫堅の視界がぼやけた。

「――――先生!」

 急に胸が痛んで、孫堅は思わずうめき声を発し、石碑から手を離した。


「……陰気、夏至に始めて起こり、麋鹿の角が抜け変わる。それ故に軍事行動を控える。また、体が安らかであることを願い、心が平静であることを願う」

 蔡邕が瞑目して歩きながら、独唱していた。長生がその後ろに従っている。

 劉備は年の離れた妹をあやす蔡蓮の傍にいた。ふと、劉備は視界の先で孫堅が胸を押さえてうつむいているのに気付いた。近付いていって尋ねる。

「どうかしたんですか?」

「……いや、何でもない」

 孫堅は息をついて顔を上げた。胸の痛みは地に着いた孫堅の手から大地の底へと抜けて行ったようだ。

 再びの幻想。自分が見た二人が誰なのか……孫堅には全く見当がつかなかった。


 予州はい国。皇族が王として封国されているので、郡ではなく、〝国〟と呼称される。王の代わりに政務をるのが〝そう〟である。

 曹操の少年時代、第二次党錮とうこ事件が起きた頃は清流派「八俊はっしゅん」に数えられた荀昱じゅんいくが沛相を務めていた。その清らかな治政の恩恵を預かって国民は平和を謳歌おうかした。

 しかし、今は史上最悪の恐怖政治に震えている。現沛相は王甫の養子・酷吏こくり王吉おうきつなのだ。

 曹操の故郷のしょう県は予州のほぼ中心、渦水かすい中流にある。そして、沛国の都はその譙県である。なので、曹操は長安から長途帰国しても県城内の実家には戻らず、直接祖父の墓に参った。

 曹家の墓地は譙県郊外の私有地にあった。袁家とは比較にならないが、曹家も豊かな荘園と私有地を持っていた。ひとえに曹騰そうとうの功績のお陰である。

 その曹騰が亡くなったのはもう二十年近く前だ。大宦官だったわりには祖父の墓は質素で、小さな林の側にひっそりと霊廟が建てられ、その中に墳墓が築かれていた。

 霊廟は物言わぬ草木に覆われ、静謐せいひつが辺りを覆っている。北部尉を辞めてからずっと参りたいと思っていたのだが、王吉を避けて帰国しなかった。

 祖父が曹操のために遺した書簡にあった「天命来たらば、我に問え」という一行。

『天命が来たようですよ』

 曹操は霊廟に供え物を置き、墳墓の中に眠る祖父・曹騰に向かって告げた。

 そして、そのまましばらく祖父が眠る墳墓を見ながら、祖父の声を聞こうと耳を澄ませた。だが、太陰界からの声は聞こえてこない。

『太陰の世でお休みですか。ならば、仕方ありませんね』

 曹操は勝手な理屈を告げると、

妙才みょうさい、いいぞ。取り掛かろう」

 離れて待っていた夏侯淵かこうえん墓守はかもりの人夫たちを呼んで、それぞれ手にしたくわやスコップで墳丘ふんきゅうを掘り起こし始めた。墓守の仕事に当たっていたのは長年曹家で働く者たちで、少年時代の曹操を知る者も多かった。

 王族のみならず、栄華を誇った貴族や豪族の墳墓には貴重な副葬品が収められていることが多い。もちろん、盗掘とうくつの対象になった。彼らはそれを防ぐために、武装した墓守を墳墓に配置して盗掘団に備えた。

ぼっちゃん、よりによって大長秋だいちょうしゅう様の御墓を掘り起こすなんて、ばちが当たりませんか?」

「当たるとしても、オレに当たるよう言っておいた」

「ばれたら、大変ですよ」

 墓守の人夫たちは少年時代の曹操のやんちゃぶりを知る者たちだったが、さすがに身内で盗掘まがいのことをするのははばかられて、不安を口にする。

「心配するな。責任は全てオレが取る。身内なんだから平気だ。無駄口をたたいてないで、急いで掘れ。時間がない」

 曹操はまた勝手な理屈を述べて、それに取り合わなかった。

 曹家の御曹司おんぞうしの命令を聞かないわけにはいかない。墓守たちは曹操に従い、各々手を動かした。墳丘を削り、地下へ通じる墓道をさらに掘り進んで、ようやく墓室の入口を見つけた。数人がかりで石の扉をこじ開ける。

「よし。お前たちは外を見張っていろ」

 曹操は墓守の人夫たちに命令して、松明たいまつを持ち、夏侯淵と二人で中へ入った。

 死者の世界へ通じる緩やかな墓道を下って、大きな墓室に出た。壁の四面は色鮮やかな色彩で描かれた壁画が飾っていた。にぎやかな宴会のシーンあり、馬車に乗って参内さんだいするシーンあり。荘園の様子や山野の風景も描かれ、祖父の人生そのものが描かれている。

「死後もこんな生活が続くというのは本当でしょうか?」

 夏侯淵がそれを見ながら聞いた。当時の死生観は生前の生活が死後の世界に引き継がれると考えられていた。

「ある方士は似たようなものだと言っていた」

 仮にそうなら、それはつまらないな……そんなことを思いながら、曹操は奥へ向かった。次の墓室は遺体部屋だった。中央の石棺せっかんの中に銀縷玉衣ぎんるぎょくい姿の祖父がいた。

 銀縷玉衣とは、銀色の糸(銀縷)で何百枚もの板状の薄い玉石を魚鱗ぎょりんのように繋ぎ合わせ、人型に編んで作った遺体に着せる衣服のことである。玉石で遺体を包むと防腐効果があるとされた。

 銀縷玉衣は王や諸侯、貴族のみに許された埋葬方式で、金色の糸を使った金縷玉衣きんるぎょくいは皇帝に使用される。石棺の壁画には玄武げんぶ朱雀すざく青龍せいりゅう白虎びゃっこの四神獣と五色の珠があでやかな色彩で描かれている。

『やはり、知っておられるのですね』

 曹操は太陰界のどこかに暮らす祖父に言った。全身を銀縷玉衣で覆われて、顔の見えない祖父のむくろには、曹操は何の感情も抱かなかった。それに魂は入っていない。

 曹操はその墓室の両脇の小部屋を調べた。そこは副葬品が収められた部屋だった。

 絹衣きぬころもが多数と鏡、香炉、しゃくなど金製品の豪華な品々がその部屋に納められていたが、曹操はそんなものには目もくれず、炬火きょか(たいまつ)を掲げて探し求めた。が、目的の物はどこにも見当たらない。

「外が騒いでいます」

 地上のただならぬ様子に夏侯淵が報告を入れる。曹操はそれが何か分かった。

「ちっ、もう勘付かれたか。妙才、誰も入れるな」

かしこまりました」

 だが、夏侯淵が地上へ上がる前にすでに闖入者ちんにゅうしゃが地下へ下ってきていた。

「久しぶりであるな、曹操。沛の法では発丘はっきゅうは死罪である」

 夏侯淵を押しのけ、いきなり死刑判決を下したのは若き沛相・王吉だった。

 発丘とは、いわゆる墓暴きや盗掘行為をいう。

 曹操が洛陽北部尉の時、王吉は東部尉であった。百鬼の一味を捕えた功績が評価されて、王吉は沛相に大昇進したのであるが、それは父の王甫が仕組んだからくりによってである。王吉は曹操より一つ二つ年上なだけであるが、今の袁家にもこの若さで一国の宰相さいそうを務める者はいない。王吉は学問に達し、政事にも明らかだったが、とにかく性格が残忍で、罪を犯せば、それが微罪であろうと片っ端から処断した。それは東部尉時代から見られた傾向だったが、沛相となって地方に出てからは、それはエスカレートして益々酷くなった。

 朝廷の監視の目から遠ざかって、サディストぶりに歯止めが効かなくなったのだ。

 沛においては、微罪の場合でも鞭でめった打ちにし、重罪と断じた者は死刑に処した後、死体にもむちを打って、ずたずたになった死体を見せしめに引き回すという狂乱ぶりであった。王吉は国民を心底恐怖させて統治していたのである。

 王吉は五年の在任期間で、すでに一万人以上を殺している。その厳法を恐れて、国外へ脱出する者が後を絶たず、王吉の治世で沛国の人口は激減した。

「よほど死の臭いが好きなようだな。これは祖父の墓参りだ。部外者は引っ込んでいろ」

 曹操が王吉の判決には従わない態度を見せる。

「無礼な物言いも死罪である」

 冷酷な表情で王吉が曹操を再度断罪する。まだ無官だった青少年時代、曹操は「吉利きつり」と名乗っていた。不吉(王吉)と吉祥(吉利)。

「とんだ法規だな」

 そんな王吉の論法を曹操は鼻で笑った。鬼部尉と呼ばれた自分もそんな理不尽な理由で人を死罪にしたりはしなかった。鬼というのはこういう死をまとう男のことを言うのだと曹操は思った。曹操の意をんで、夏侯淵が剣を抜く。

「外の連中も死に連座させたいのなら、刃向かうがいい」

 王吉は冷たく凍った表情のまま、曹操をおどした。すでに人質に取ったということだ。曹操はよく分かっている。人質を取るということの意味を。

「ただオレたちを殺すために来たわけではないだろう。用件は何だ?」

「……黄土珠こうどじゅはどこにある?」

「何だ、それは?」

「とぼけるな。伝説の宝珠のことだ。桓家かんけが持っていないとなれば、怪しいのは曹家だ」

 五仙珠と四神器の独占を狙っていた王甫は熹平きへい四(一七五)年の「沛国譙県に黄龍が現れた」という報告に注目した。そこで、早速さっそく王吉を沛相として送り込んだのである。

 真っ先ににらんだのが沛国の龍亢りゅうこうという土地の出身であり、歴代皇帝の帝師(皇太子の教育係)を輩出している家柄の桓氏だった。

 黄色は中央を表す。龍は皇帝の現身うつしみとされていたので、桓氏に監視の目を向けたのだ。その名門に連なる人物に桓彬かんひんあざな彦林げんりんという人物がいた。

 桓彬は蔡邕と同年の生まれで、若年の頃は蔡邕と名声も等しかった。尚書郎となった時、同僚に宦官・曹節そうせつ娘婿むすめむこで、濁流派に属する馮方ふうほうという男がいたのだが、それを軽蔑して一切関係を持たなかった。

 それに恨みを募らせたのか、桓彬は馮方に讒言ざんげんされ、告発された。曹操が涼州を移動していた頃である。ところが、上官の劉猛りゅうもうは清流派の人物で、馮方の邪悪な人柄も桓彬が清廉であるのもよく承知していたので、馮方の告発をねつけて取り合わなかった。馮方は義理の父である曹節にこれを垂れ込んだ。すると、曹節が謀略を巡らして劉猛を弾劾・罷免ひめんし、劉猛は桓彬共々ともども禁錮刑に処されてしまった。

 劉猛は徐州瑯琊ろうや国出身の宗族である。九卿きゅうけい職の宗正そうせい(宗族の管理)や司隷校尉しれいこういを務めた。司隷校尉の時は朱雀門の落書き事件を深く調査せずに左遷された清流派の人物である。

 曹操が睨んだとおり、曹節と王甫は仙珠と神器の所有を巡って水面下で権力闘争を展開していた。お互い隙あらば、出し抜こうとしているのだ。王甫は弟を五原太守として、息子を沛国相として送り込んで、積極的に霊宝を探した。が、自分自身が足元をすくわれないようにするため、曹節にも清流派にも隙を見せないために、法にのっとって処理する必要がある。

 そんな時、故郷の龍亢に帰った桓彬が馮方が放った刺客に殺されてしまう事件が起きた。王甫側にとっては曹節をおとしめるチャンスである。王吉は早速桓彬を殺した者を捕えて、拷問ごうもんで証言を引き出してから、それを殺した。

 そして、事件の調査だと称して桓家の邸宅を端から端まで家宅捜索した。しかし、目的の仙珠は出て来なかった。

 曹氏は天運味方せず、宋皇后廃立事件に連座して失墜しっついした。一端は天運を授けるという仙珠を持っていないと見られたが、桓氏が家に隠し持っていないのが明らかになったせいで、再び疑惑の目が向けられた。

 王甫と王吉は今度は曹家を家宅捜索するその機会を虎視眈々こしたんたんと狙っていたのだ。

 そこに曹操が現れて、自分の祖父の墓を掘り返しているという報告が入った。

 儒教の影響が強い時代である。孝にもとる行為は犯罪となる。

「そんな大層な宝など持っていない」

「虚言も死罪であるぞ」

 王吉は腰に巻いてあった鞭を取り出し、床をピシャリと打った。

「ふん、いったい何度死罪にするつもりだ? ……まぁ、そんな宝があるとしたら、確かにこの祖父の墓しか考えられないがな」

 王吉を前にしても、曹操は余裕だった。東部尉の時代から、この男が小物であるのは知っている。その背後に権力さえなければ、犯罪者は王吉の方であるのだ。

「そういうことなら、お前たちを死刑に処してから、ゆっくりと探すとしよう」

 王吉は曹操を殺すように父に厳命されている。曹操が罷免されてから、ずっと王吉は曹操が帰郷するのを待っていた。標的である曹操は自ら法を犯した。犯罪者は皆死罪である。

 王吉はまず曹操の前に陣取る夏侯淵を殺そうとした。手にしたいばらの鞭で夏侯淵を打ちえる。夏侯淵が剣でそれを斬り払った。が、その鞭は斬られたところから芽を出し、一瞬で成長して、夏侯淵の腕にからみついた。

「うおっ!」

 痛みにうめく夏侯淵。曹操の剣がその鞭を切断し、夏侯淵を見た。夏侯淵の右腕には腕が曲がらないほどに茨の枝がびっしりと絡みついて、無数のとげが刺さっている。

「三度死罪を断じた。死んだ後も罪は消えぬ。お前たちの死体に鞭打って、ずたずたに引き裂いてやる。ククク……」

 暗闇で笑う王吉の顔はこの上ない残忍さに満ちていた。

「死ね」

 王吉が死の鞭を振った。曹操が剣で斬り払う。鞭は新たな茨の芽を出す。また曹操が斬る。曹操の倚天いてんの剣はもう白気を帯びていない。時が過ぎ、黒気の龍や王甫の青蛇の術を破ったあの時の力は失われて、ただの鉄剣になっていた。

「時間の無駄だ。ここはあふれるほどの陰気に満ちている。我が断罪の鞭が枯れることはないぞ」

 絶対的優位の王吉がそう理由を語る間にも、茨の鞭はまるで生き物のように自在にうごめく。陰気は地下から湧き出る。青木珠の力で得たこの術があれば、たとえ曹操が黄土珠を所持していたとしても、敗れることはない。父・王甫はそう言った。

「ははははは、じわじわと苦しめてやる。苦悶くもんおぼれて死ぬがいい」

 王吉の意志を受けた茨の鞭は、今度は曹操が斬る前から二股三股に枝分かれして、その一本が曹操の腕に絡みついてぎりぎりと絞め上げた。

「うぐっ……!」

 痛みにうなりながらも、曹操はそれを松明たいまつで焼き切った。曹操は鞭自体を焼こうとして、分かれ出る枝に次々と火をつけた。だが、それでも、茨の鞭は成長を続ける。

 斬り捨てた鞭のそこかしこから芽を出し、枝を伸ばして、足に絡みつこうとした。

 確かに切りがない。

「妙才、奥へ下がれ!」

 曹操と夏侯淵は曹騰の遺体部屋まで退いた。茨の鞭が炬火きょかまとって、部屋を明るく灯した。王吉はその部屋の中に石棺に横たわる銀縷玉衣を見た。

「それがお前の祖父・曹騰だな。三族誅滅ちゅうめつ。お前の祖父にもこの鞭を打ちつけ、丸焦げにしてやろう」

「ふん、しかばねに鞭打つとは伍子胥ごししょのつもりか?」

 伍員ごうんあざなを子胥。春秋時代、呉の国に仕えた功臣で、宰相になった。はじめ伍子胥はの人間だったが、父を楚の平王に殺されて亡命した。後に呉が楚に攻め込んだ際に、報復に燃える伍子胥はすでに死去していた平王の墓を暴き、死体に鞭を打ったという復讐劇が語り草になっている。

 蘇不韋そふいあざな公先こうせん。蘇不韋は父のあだ李暠りこうに復讐しようとしたが、これを殺せないと悟ると、その父の墓を暴いて屍を鞭打ち、首を断ち、復讐の代わりとした。

 儒教では親兄弟の仇を報うことは孝行的行為だと捉えられる風潮があったが、この蘇不韋の激烈な行為を孝ととるべきか、伍子胥と比較できるかなど論争が巻き起こった。たとえ復讐であろうと、対象の父の屍にまで恨みの矛先を向けるのは古義にかなわず、やり過ぎである――――多くの論者はそう捉えた。

「復讐でもないのに祖父を鞭打つとは、狂気もはなはだしい」

「お前の罪は三代に及ぶ。孫の罪は祖父も受けねばならない」

 王吉が論じるのは罪の連座だ。鞭を振り上げた。

「きさま!」

 腕に固く絡みついた茨の拘束からようやく放たれた夏侯淵が王吉に斬りかかろうとした。墓室内で繰り広げられる騒々しい乱闘。それが勘気に触れたのか。

 ……静かな眠りを妨げられた曹騰が目覚めた。曹騰の遺体から微かな光が発した。

「何だ?」

 曹操、夏侯淵、そして、王吉の視線が曹騰の遺体に向けられる。

 玉衣の下から溢れ出た黄色の淡い光は暗い墓室を照らしながら、小さな龍となった。それはギュンと墓室内を一周し、また中央に戻って、とぐろを巻くように宙にとどまった。そして、それは結晶化し、今度は宙に浮かぶ一塊いっかいの宝珠となった。黄土珠。

 その出現とともに、再び倚天の剣が白気を帯びるのを曹操は見た。

「見つけたぞ」

 王吉は曹操も夏侯淵も無視して、鞭で黄土珠を絡め取った。

 が、それも束の間、力を取り戻した曹操の倚天の剣がその鞭を斬り裂いて、それを青い霧へと変え、霧散させた。黄土珠がぽとりと曹操の手に落ちる。

「何だと?」

 自分の意志に反して成長を止めた茨の鞭。その原因がつかめず、王吉の顔から余裕の笑みが消えていく。曹操が一層白い気を強めた倚天の剣を見ながら断罪する。

「オレの法を教えてやろう。数多あまたの功績を残した祖父を侮辱ぶじょくし、あまつさえ、その屍を凌辱りょうじょくしようとした。死後の平穏を侵したお前は死罪だ。その罪は親子三代に及ぶ」

「どういうことだ!」

 王吉が力を失っていく鞭で曹操を打ちすえようとしたが、

「オレが天に代わり、腐った王族に天罰を下すということだ!」

 その鞭は倚天の剣に斬り刻まれて、枯れ果て、もはや新たな芽を息吹くこともない。王吉は頼りの武器を失った。

「ぐあぁ……」

 刑を執行したのは夏侯淵だった。茫然自失ぼうぜんじしつした王吉の背中に深々と剣が突き刺さった。

「……どういう……こと……だ」

 青木珠の術は黄土珠の術に負けることはないという父の言葉は、間違っていたのか……?

 王吉は疑問にまみれたまま、死罪に伏した。王吉が死んだことで、地上に捕らわれていた曹家の墓守の人夫たちの拘束も解かれた。

 体を木に縛り付けていた茨のロープが突如として枯れ落ちてしまったのだ。

 王吉との闘いに勝利した曹操は墳墓から出ると、祖父の霊廟前の岩に腰かけた。

「これが黄土珠……仙珠か……」

 手の中で淡く輝く黄土珠を見てつぶやいた。地に埋もれていた伝説の宝珠の一つ。

「奴の死体はどうしますか?」

 腕の傷を気にする風でもなく、夏侯淵が聞いた。

「運び出して、城門の側にでもさらしておけ。『沛相・王吉、民衆を脅し、罪無きを多く殺すにつき、天誅が下る』とでも札を立てておけば、民も喜ぶだろう」

「大ごとになりませんか?」

「大ごとにさせるのだ。濁流のふちから王甫を引きずり出す」

「分かりました」

 夏侯淵が墓守の人夫たちを連れて、また墳墓を下りて行った。

「祖父に助けられたか……」

 曹操はまた手の黄土珠を見た。

『それとも、天運を手に入れたというべきか……』

 譙に戻る前、司隷校尉に陽球ようきゅうが任命されたという報告があった。 

 曹操の計画のもと、王族を滅ぼす体制が整ったわけである。

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三国夢幻演義 清濁抗争篇 第五章 埋もれし名宝 光月ユリシ @ulysse

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