其之六 墓荒らし
オニキスもまた、霊力を溜めるパワー・ストーンだ。玄武の
硯の側面には、びっしりと
蔡邕の一行は
「ここから先は山賊に注意しなければならない。前方に見える
そう王允に聞かされ、
「
汾水も河水に注ぐ大きな支流で、太原郡の真ん中を南へ流れ、
「名にあるとおり、
界休県は清流派「
郭泰が亡くなったのは十年前のことで、死後、その功績を称えた石碑が生地に建てられた。その碑文を作ったのが蔡邕だった。
「ここに留まって、夏至を待つ」
郭泰のために建てられた
「陰気というものは夏至に起こる。それから五日間が陰気を送迎する期間なのだ」
劉備も孫堅も、それを聞いても全く理解できなかった。
「簡潔に言えば、
蔡邕はこの地に消えた清流に語りかけるように言った。
逗留が決まって、夏侯惇は
「
「いえ、もうしばらくご同行いたします」
「そうですか。それは良かった」
こうして、蔡邕護衛の任務は孫堅、劉備と長生に委ねられた。
清流派名士・郭泰の屋敷は何事もなかったかのように保全されており、蔡邕一家はそこを借り受けることとなった。
劉備と長生が蔡邕一家の護衛に付いている。孫堅は独り黙して郭泰碑の前に立っている。孫堅は
孫堅は手を伸ばしてみた。
まるで空気が水と交わったような、そのような感覚がふわりと孫堅の体を包み込んだ。心地よい感触が体を覆うのと同時に悲痛の
「――――申し訳ございません、先生」
先生と呼ばれた中年の男は、振り返ることなく、澄んだ顔つきを
「――――良いのだ。
穏やかな声。それを発する中年の男は
「――――別れの
若い男が柳の木の下に置いてあった惜別の
「――――眠るように
その若い男が涙を流しながら、杯を差し出した。それを両手で受け取った男が一拍置いて、中に注がれた酒を一気に飲み干した。しばらくの間、沈黙が辺りを包む。
それから、
「――――そなたも政事には
風が吹いて柳の枝葉を揺らした。男の手から杯が滑り落ちた。胸が締め付けられる。呼吸ができない。孫堅の視界がぼやけた。
「――――先生!」
急に胸が痛んで、孫堅は思わずうめき声を発し、石碑から手を離した。
「……陰気、夏至に始めて起こり、麋鹿の角が抜け変わる。それ故に軍事行動を控える。また、体が安らかであることを願い、心が平静であることを願う」
蔡邕が瞑目して歩きながら、独唱していた。長生がその後ろに従っている。
劉備は年の離れた妹をあやす蔡蓮の傍にいた。ふと、劉備は視界の先で孫堅が胸を押さえて
「どうかしたんですか?」
「……いや、何でもない」
孫堅は息をついて顔を上げた。胸の痛みは地に着いた孫堅の手から大地の底へと抜けて行ったようだ。
再びの幻想。自分が見た二人が誰なのか……孫堅には全く見当がつかなかった。
予州
曹操の少年時代、第二次
しかし、今は史上最悪の恐怖政治に震えている。現沛相は王甫の養子・
曹操の故郷の
曹家の墓地は譙県郊外の私有地にあった。袁家とは比較にならないが、曹家も豊かな荘園と私有地を持っていた。ひとえに
その曹騰が亡くなったのはもう二十年近く前だ。大宦官だったわりには祖父の墓は質素で、小さな林の側にひっそりと霊廟が建てられ、その中に墳墓が築かれていた。
霊廟は物言わぬ草木に覆われ、
祖父が曹操のために遺した書簡にあった「天命来たらば、我に問え」という一行。
『天命が来たようですよ』
曹操は霊廟に供え物を置き、墳墓の中に眠る祖父・曹騰に向かって告げた。
そして、そのまましばらく祖父が眠る墳墓を見ながら、祖父の声を聞こうと耳を澄ませた。だが、太陰界からの声は聞こえてこない。
『太陰の世でお休みですか。ならば、仕方ありませんね』
曹操は勝手な理屈を告げると、
「
離れて待っていた
王族のみならず、栄華を誇った貴族や豪族の墳墓には貴重な副葬品が収められていることが多い。もちろん、
「
「当たるとしても、オレに当たるよう言っておいた」
「ばれたら、大変ですよ」
墓守の人夫たちは少年時代の曹操のやんちゃぶりを知る者たちだったが、さすがに身内で盗掘
「心配するな。責任は全てオレが取る。身内なんだから平気だ。無駄口をたたいてないで、急いで掘れ。時間がない」
曹操はまた勝手な理屈を述べて、それに取り合わなかった。
曹家の
「よし。お前たちは外を見張っていろ」
曹操は墓守の人夫たちに命令して、
死者の世界へ通じる緩やかな墓道を下って、大きな墓室に出た。壁の四面は色鮮やかな色彩で描かれた壁画が飾っていた。
「死後もこんな生活が続くというのは本当でしょうか?」
夏侯淵がそれを見ながら聞いた。当時の死生観は生前の生活が死後の世界に引き継がれると考えられていた。
「ある方士は似たようなものだと言っていた」
仮にそうなら、それはつまらないな……そんなことを思いながら、曹操は奥へ向かった。次の墓室は遺体部屋だった。中央の
銀縷玉衣とは、銀色の糸(銀縷)で何百枚もの板状の薄い玉石を
銀縷玉衣は王や諸侯、貴族のみに許された埋葬方式で、金色の糸を使った
『やはり、知っておられるのですね』
曹操は太陰界のどこかに暮らす祖父に言った。全身を銀縷玉衣で覆われて、顔の見えない祖父の
曹操はその墓室の両脇の小部屋を調べた。そこは副葬品が収められた部屋だった。
「外が騒いでいます」
地上のただならぬ様子に夏侯淵が報告を入れる。曹操はそれが何か分かった。
「ちっ、もう勘付かれたか。妙才、誰も入れるな」
「
だが、夏侯淵が地上へ上がる前にすでに
「久しぶりであるな、曹操。沛の法では
夏侯淵を押しのけ、いきなり死刑判決を下したのは若き沛相・王吉だった。
発丘とは、いわゆる墓暴きや盗掘行為をいう。
曹操が洛陽北部尉の時、王吉は東部尉であった。百鬼の一味を捕えた功績が評価されて、王吉は沛相に大昇進したのであるが、それは父の王甫が仕組んだからくりによってである。王吉は曹操より一つ二つ年上なだけであるが、今の袁家にもこの若さで一国の
朝廷の監視の目から遠ざかって、サディストぶりに歯止めが効かなくなったのだ。
沛においては、微罪の場合でも鞭でめった打ちにし、重罪と断じた者は死刑に処した後、死体にも
王吉は五年の在任期間で、すでに一万人以上を殺している。その厳法を恐れて、国外へ脱出する者が後を絶たず、王吉の治世で沛国の人口は激減した。
「よほど死の臭いが好きなようだな。これは祖父の墓参りだ。部外者は引っ込んでいろ」
曹操が王吉の判決には従わない態度を見せる。
「無礼な物言いも死罪である」
冷酷な表情で王吉が曹操を再度断罪する。まだ無官だった青少年時代、曹操は「
「とんだ法規だな」
そんな王吉の論法を曹操は鼻で笑った。鬼部尉と呼ばれた自分もそんな理不尽な理由で人を死罪にしたりはしなかった。鬼というのはこういう死を
「外の連中も死に連座させたいのなら、刃向かうがいい」
王吉は冷たく凍った表情のまま、曹操を
「ただオレたちを殺すために来たわけではないだろう。用件は何だ?」
「……
「何だ、それは?」
「とぼけるな。伝説の宝珠のことだ。
五仙珠と四神器の独占を狙っていた王甫は
真っ先に
黄色は中央を表す。龍は皇帝の
桓彬は蔡邕と同年の生まれで、若年の頃は蔡邕と名声も等しかった。尚書郎となった時、同僚に宦官・
それに恨みを募らせたのか、桓彬は馮方に
劉猛は徐州
曹操が睨んだとおり、曹節と王甫は仙珠と神器の所有を巡って水面下で権力闘争を展開していた。お互い隙あらば、出し抜こうとしているのだ。王甫は弟を五原太守として、息子を沛国相として送り込んで、積極的に霊宝を探した。が、自分自身が足元を
そんな時、故郷の龍亢に帰った桓彬が馮方が放った刺客に殺されてしまう事件が起きた。王甫側にとっては曹節を
そして、事件の調査だと称して桓家の邸宅を端から端まで家宅捜索した。しかし、目的の仙珠は出て来なかった。
曹氏は天運味方せず、宋皇后廃立事件に連座して
王甫と王吉は今度は曹家を家宅捜索するその機会を
そこに曹操が現れて、自分の祖父の墓を掘り返しているという報告が入った。
儒教の影響が強い時代である。孝にもとる行為は犯罪となる。
「そんな大層な宝など持っていない」
「虚言も死罪であるぞ」
王吉は腰に巻いてあった鞭を取り出し、床をピシャリと打った。
「ふん、いったい何度死罪にするつもりだ? ……まぁ、そんな宝があるとしたら、確かにこの祖父の墓しか考えられないがな」
王吉を前にしても、曹操は余裕だった。東部尉の時代から、この男が小物であるのは知っている。その背後に権力さえなければ、犯罪者は王吉の方であるのだ。
「そういうことなら、お前たちを死刑に処してから、ゆっくりと探すとしよう」
王吉は曹操を殺すように父に厳命されている。曹操が罷免されてから、ずっと王吉は曹操が帰郷するのを待っていた。標的である曹操は自ら法を犯した。犯罪者は皆死罪である。
王吉はまず曹操の前に陣取る夏侯淵を殺そうとした。手にした
「うおっ!」
痛みに
「三度死罪を断じた。死んだ後も罪は消えぬ。お前たちの死体に鞭打って、ずたずたに引き裂いてやる。ククク……」
暗闇で笑う王吉の顔はこの上ない残忍さに満ちていた。
「死ね」
王吉が死の鞭を振った。曹操が剣で斬り払う。鞭は新たな茨の芽を出す。また曹操が斬る。曹操の
「時間の無駄だ。ここは
絶対的優位の王吉がそう理由を語る間にも、茨の鞭はまるで生き物のように自在に
「ははははは、じわじわと苦しめてやる。
王吉の意志を受けた茨の鞭は、今度は曹操が斬る前から二股三股に枝分かれして、その一本が曹操の腕に絡みついてぎりぎりと絞め上げた。
「うぐっ……!」
痛みに
斬り捨てた鞭のそこかしこから芽を出し、枝を伸ばして、足に絡みつこうとした。
確かに切りがない。
「妙才、奥へ下がれ!」
曹操と夏侯淵は曹騰の遺体部屋まで退いた。茨の鞭が
「それがお前の祖父・曹騰だな。三族
「ふん、
儒教では親兄弟の仇を報うことは孝行的行為だと捉えられる風潮があったが、この蘇不韋の激烈な行為を孝ととるべきか、伍子胥と比較できるかなど論争が巻き起こった。たとえ復讐であろうと、対象の父の屍にまで恨みの矛先を向けるのは古義に
「復讐でもないのに祖父を鞭打つとは、狂気も
「お前の罪は三代に及ぶ。孫の罪は祖父も受けねばならない」
王吉が論じるのは罪の連座だ。鞭を振り上げた。
「きさま!」
腕に固く絡みついた茨の拘束からようやく放たれた夏侯淵が王吉に斬りかかろうとした。墓室内で繰り広げられる騒々しい乱闘。それが勘気に触れたのか。
……静かな眠りを妨げられた曹騰が目覚めた。曹騰の遺体から微かな光が発した。
「何だ?」
曹操、夏侯淵、そして、王吉の視線が曹騰の遺体に向けられる。
玉衣の下から溢れ出た黄色の淡い光は暗い墓室を照らしながら、小さな龍となった。それはギュンと墓室内を一周し、また中央に戻って、とぐろを巻くように宙に
その出現とともに、再び倚天の剣が白気を帯びるのを曹操は見た。
「見つけたぞ」
王吉は曹操も夏侯淵も無視して、鞭で黄土珠を絡め取った。
が、それも束の間、力を取り戻した曹操の倚天の剣がその鞭を斬り裂いて、それを青い霧へと変え、霧散させた。黄土珠がぽとりと曹操の手に落ちる。
「何だと?」
自分の意志に反して成長を止めた茨の鞭。その原因が
「オレの法を教えてやろう。
「どういうことだ!」
王吉が力を失っていく鞭で曹操を打ちすえようとしたが、
「オレが天に代わり、腐った王族に天罰を下すということだ!」
その鞭は倚天の剣に斬り刻まれて、枯れ果て、もはや新たな芽を息吹くこともない。王吉は頼りの武器を失った。
「ぐあぁ……」
刑を執行したのは夏侯淵だった。
「……どういう……こと……だ」
青木珠の術は黄土珠の術に負けることはないという父の言葉は、間違っていたのか……?
王吉は疑問に
体を木に縛り付けていた茨のロープが突如として枯れ落ちてしまったのだ。
王吉との闘いに勝利した曹操は墳墓から出ると、祖父の霊廟前の岩に腰かけた。
「これが黄土珠……仙珠か……」
手の中で淡く輝く黄土珠を見て
「奴の死体はどうしますか?」
腕の傷を気にする風でもなく、夏侯淵が聞いた。
「運び出して、城門の側にでも
「大ごとになりませんか?」
「大ごとにさせるのだ。濁流の
「分かりました」
夏侯淵が墓守の人夫たちを連れて、また墳墓を下りて行った。
「祖父に助けられたか……」
曹操はまた手の黄土珠を見た。
『それとも、天運を手に入れたというべきか……』
譙に戻る前、司隷校尉に
曹操の計画のもと、王族を滅ぼす体制が整ったわけである。
三国夢幻演義 清濁抗争篇 第五章 埋もれし名宝 光月ユリシ @ulysse
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