其之五 玄武の唸り

 ゴゴゴゴゴッ……!

 大地の咆哮ほうこうとともに蔡邕さいようが生活していた地下住居、窯洞ようどうの土壁と天井がぼろぼろと崩れ始め、他の住人たちもあわてて外へ飛び出してきた。しかし、窯洞自体の外壁にもバリバリと亀裂が走り、黄土の壁が崩落して黄砂へとかえる。窯洞の底の大地は音を立てて陥没かんぼつ、あるいは隆起りゅうきし、割れて砂塵さじん雪煙せつえんを巻き上げる。

玄徳げんとく、急いで先生たちを地上へ避難させるんだ!」

「わかりました!」

 突然の緊急事態に夏侯惇かこうとんが指示を出し、劉備りゅうびが地下への坂道を走り下っていく。

「お前たち、その娘以外、こやつら全員を穴へ突き落とせ。生き埋めにしてやる」

 王智おうちはまた凶悪な命令を下し、残りの兵士たちが夏侯惇と長生ちょうせいの二人に襲いかかった。

「どうなってやがる!」

 二人にはそれが王智の仕業しわざだとは分からない。向かってくる兵士の対応に追われた。夏侯惇と長生は揺れる大地の上で、一人、二人と命知らずの傭兵を突き、斬り倒していく。そのうち、地上の大地にも亀裂が走り始め、揺れは収まる気配すらない。


 その揺れは少し離れた場所にいた孫堅そんけんにも届いた。

 朔方さくほうで手に入れた馬を東へ疾駆しっくさせ、一日。小休止をしていたところ、突然馬がいなないて、驚いたように上体をらしたのだ。

「どうした?」

 孫堅はそれを制御して暴れかけた馬に問いかけた。以前、幽州で会った時、北の人間は馬の気持ちが分かると劉備が言っていた。しきりに頭を動かし、ひずめで雪をき、落ち着かない鳴き声を発す。その馬は何かを訴えているが、何と言っているのか孫堅には分からなかった。だが、その疑問はおのずから解消された。孫堅自身の足元に震動が伝わってきた。一瞬だが、銭唐嘯せんとうしょうに呑み込まれたあの舟上のことが頭をよぎる。だが、ここは陸の上。

「何だ、これは?」

 地震というものを体験したことのない南方育ちの孫堅はただ不気味な感触を不吉なものと捉えて、馬にまたがると、震動の先へと駆けさせた。走っていれば、その震動は馬のものに掻き消されて分からなくなる。冬の曇天どんてんもと、遠くに雪煙が立ち昇っているのが見えた。それが何かは分からない。ただそれに引き寄せられるかのように、馬首を向けた。

 

 夏侯惇と長生の二人は襲ってきた傭兵を全て打ち倒していた。二人だけで百人を倒したことになる。王智はそれに驚くというよりは、なかなか死なない二人の下僕げぼく往生際おうじょうぎわの悪さ、いや、そのしぶとさに歯ぎしりをする。

「本当にしぶとい奴らだ。ここはお前の出番のようだ、奉先ほうせん

 王智は御者ぎょしゃの男に告げた。その御者の男は無言で馬車を下り、相変わらず揺れ続ける大地へ降り立った。そして、馬車の脇にえ付けていた武器を手に取って、夏侯惇と長生の前に仁王立ちになった。方天画戟ほうてんがげき。槍の左右に半月状のやいばが付いた長柄ながえの武器である。普通のものより一回り大きいそれを軽々と持ち上げて、小脇に抱える。

「油断するな。こいつただの御者じゃない」

 見せかけじゃない。夏侯惇はその男が発する強烈な気を感じて、長生に言った。

「見れば分かります」

 長生もそれを感じているようだ。御者の男の尋常ならぬ気が黒いオーラとなってほとばしった。一瞬それに目が行った刹那せつな、左の死角から強烈な一撃を食らった。夏侯惇の体を切り裂く寸前、かろうじて画戟の刃を槍の柄で受け止めた。

 が、それはあえなく寸断され、折れた槍もろとも吹っ飛んだ。夏侯惇の体は大地を滑り、窯洞のがけから上半身を乗り出す形で止まった。

「おお、惜しい」

 王智が穴に落ちそこねた夏侯惇を見て、余裕綽々しゃくしゃくの感想を述べる。

「何が惜しいだ。ふざけやがって……」

 落下寸前の夏侯惇の視線の下。崩れゆく窯洞の底では蔡邕の救出に向かった劉備と蔡蓮さいれんが蔡邕と住民を穴倉あなぐら部屋から出し、まだ崩れ落ちていない坂道を伝って順次地上へ避難させていた。

 夏侯惇は上体を起こし、砂まみれになった口内をもごもごさせてつばを吐くと、

「狼野郎、牛野郎の次は御者野郎か」

 なお、余裕の台詞せりふを吐いた。人間離れした敵と対峙たいじするにはもう慣れ過ぎている。

「ん……?」

 夏侯惇は激しい震動の中にあって、王智が馬車の小窓から平然と事態を傍観ぼうかんしているのに気が付いた。軒車に繋がれた二頭の馬も落ち着いている。視線を戻す。

 長生は何とか御者の男の攻撃を剣でさばいていたが、その男の武力は若い長生のそれを圧倒していた。長生に付け入る隙を与えず、一方的に打ちのめしている。

『あいつの周りだけ様子が変だ。あの化け物は後回しにして、あいつを黙らせる』

 夏侯惇は王智に狙いを定めて駆けた。素早く敵兵の剣を拾い、王智が隠れる馬車に斬りつけた。ところが、まるで鋼鉄のかめ甲羅こうらでも斬りつけたかのような衝撃に、剣は折れてはじかれ、夏侯惇の手に強烈な電流が走った。

「何だと?」

 しびれた腕を押さえて、夏侯惇がその馬車をにらむ。豪奢ごうしゃに飾られてはいるが、その材質はといえば、至って普通の木製の馬車である。

おろかな。玄武げんぶの力を宿やどした私を斬れるものか」

 王智は自ら御者となって手綱たづなを取った。

「私が直々じきじきき殺してやろう」

 王智の馬車が腕を押さえた夏侯惇に突進した。車軸しゃじくからは鋭いやいばが突き出している。夏侯惇はまた剣を拾って、馬車の脇に回り込んで一撃したが、またもやその斬撃は弾かれて、電流が腕を走るだけだった。

「こいつはまずい」

 夏侯惇はようやくその身に絶体絶命感を感じた。長生は御者の男の猛攻をよく耐え、踏ん張っているが、それも時間の問題だ。夏侯惇は三度みたび剣を拾い上げて、王智の馬車を体を投げ出すようにして避けた。黄土の上にいつくばった夏侯惇の全身にまた大地の震動が伝わってきた。

 だが、それで分かったことがある。王智の馬車自体が不思議な障壁で覆われていて、馬車とその周辺にだけ揺れが伝わっていない。

「玄徳、そこを出るな!」

 夏侯惇は蔡邕ら住人を無事連れ出した劉備を認めて、門前にとどまるように告げた。

 蔡邕は両手に崔寔さいしょくの『政論せいろん』の竹簡を抱えて、劉備の後ろで崩れゆく大地を驚嘆の眼差まなざしで見つめていた。

 それを認めた王智は、

蔡智侯さいちこう殿、お聞きしたいことがある。一緒に来てもらおう」

 馬車の向きを転じ、劉備らが留まる門へ突進した。蔡邕・蔡蓮親子以外は轢き殺すつもりだ。劉備がまた蔡邕たちを押し返した。しかし、収まらぬ地震が無慈悲に窯洞を崩壊させている。

 進むこともできず、留まることもできず、進退極まった時――――。

 暴走する馬車に飛び乗って、王智を蹴り飛ばした男がいた。その拍子ひょうしで王智は馬車から派手に転げ落ちて、大事な宝まで落としてしまった。

 その男――――孫堅によって、馬車は急停止させられた。

「こ、この暴徒め、何をするか!」

 王智は自分を足蹴にした男を罵倒したはいいが、手の中にあったものがないことに気付いて狼狽ろうばいした。どこだ、どこだと声を上げながら、辺りを見回す。

「こいつのことか?」

 落し物は夏侯惇の手にあった。夏侯惇がそれを拾い上げて間もなく、地震が止んだ。

「返せ!」

 王智が夏侯惇の手からそれを奪い返そうとしたが、力の源を落としてしまった生身の王智には無理な話だった。夏侯惇は身をかわして王智を思い切り殴り飛ばした。

「びえっ!」

 奇妙な悲鳴を上げ、王智は今度は孫堅の前に転がって無様な姿をさらした。

「久しぶりだな、玄徳。こいつは何者だ?」

「無礼者め、私は五原太守・王智であるぞ」

 土と恥辱にまみれながらも、王智が尊大に名乗る。しかし、それがまずかった。

「お前が王智か!」

 その名を聞いた孫堅が鬼のごとく形相ぎょうそうを変え、憎悪に満ちた視線を送りつけた。

 王智。背徳の五原太守。王智が五原太守として派遣されたのは、玄武硯げんぶけんの調査と確保が第一目的であった。

 行方が分からなかった四神器の一つ、玄武硯は十年前、雁門がんもん太守を務めていた竇統とうとうの手にあった。

 竇統、あざな敬道けいどう、先の大将軍・竇武とうぶの孫である。竇統は玄武硯の力を北方情勢の安定のために利用しながら、その封乾ほうけんを画策していたが、竇武の敗死を知って、鮮卑せんぴに亡命した。そして、竇統の身の保障と引き換えに玄武硯は鮮卑の大人・檀石槐だんせきかいの手に渡った。それが鮮卑に北方に威を張る地勢を与え、鮮卑は檀石槐のもとで隆盛を極めたのである。

「――――どうやら玄武硯が鮮卑の手にあるのは間違いなさそうです」

 王智から報告を受けた王甫はどうやってそれを奪還するかを考えており、このような背景をもとに鮮卑討伐軍が結成されたのだ。

 もと護羌校尉ごきょうこうい田晏でんあんは罪があって免官となっていた。田晏が名誉回復の機会を望んでいることを知った王甫は彼をそそのかし、鮮卑討伐を上奏させた。そして、裏から手を回してこの朝議を主導しつつ、皇帝にこれを裁決させたのである。

 檀石槐は神器の本当の価値を知らない。書芸などたしなまない鮮卑の大人にとって、それはいくらかの芸術品としての価値はあっても、所持していたところで無用の長物だった。王智は官軍の情報を売った見返りに檀石槐から玄武硯を得た。

 檀石槐は代郡郡治の高柳こうりゅうから北に三百余里の弾汗山だんかんさんふもとに本拠を置いていたが、王智からのリークで討伐軍が来るのを知って、直前になってそこを引き払った。

 大々的に鮮卑討伐を訴え出ておいて、戦果がありませんでしたでは済まされない。

 官軍は消えた鮮卑を追って内陸へと深く進攻し、軍を三方に分けて捜索した。

 逃げた鮮卑をあなどり、軍功を焦ったのだ。結局、臧旻ぞうびんら鮮卑討伐軍は偽の情報をつかまされて、それぞれ鮮卑が罠を張って待ち構える奥地へと誘導された挙句、大敗北を喫した。

 神器一つと引き換えに三万近い兵士たちの命が犠牲となった。臧旻も王甫・王智兄弟の背徳行為に命を落としそうになり、罪人にちた。

 涼州で王智の罠から生還した臧旻と再会した時、孫堅はその秘められた悪謀を聞いた。今、この男は蔡邕という大学者を暗殺しようと企んでいる。罪のない住民を巻き添えにして。孫堅の怒りが燃え上がった。

「許せん!」

 古錠刀こていとうの怒りの一閃が王智の体をその悪謀と共に斬り捨てた。

「ぎゃっ」

 短い悲鳴を上げ、王智はふらふらと後ずさると、窯洞の穴へ落ちて絶命した。

「玄徳」

 夏侯惇はそれを見て劉備を呼んだ。そして、自分の手にしているものが何かも知らずに、それを放り投げて劉備に預け、長生の援護に走った。長生は御者の男の攻撃を何とか耐えしのいでいたが、いくつか手傷を負っていた。

 夏侯惇が再び参戦したのを機に、長生も反撃に出た。だが、二対一の戦いもその男にはちょうどいいハンデだった。傭兵百人を倒した二人の剣撃を受け止め、鮮やかにかわし、方天画戟の鋭い突きが夏侯惇の剣をまたもや弾き飛ばした。

「いい加減にしろ!」

 夏侯惇はそのでたらめな強さに呆れて、大地を蹴った。巻き上がった雪が男の顔にかかり、その隙をついて夏侯惇が相手に組み付く。二人の体が雪原を転がり、男が夏侯惇を押しのけた。夏侯惇がこぶしを構えて、その男に問い質す。

「お前の親分は死んだぞ。それでも、まだやるのか?」

 夏侯惇のその一言は効果があった。御者の男が大きく息を吐いて、力を抜いた。

「……やめだ。その男に金を貰う約束だった。死んでしまっては貰えるものも貰えん。続ける意味がなくなった」

 そう言うと、くるりと背を向けた。その背中に聞いた。

「お前、名は?」

呂布りょふ、奉先」

 未だ天下にとどろかぬ名をその場に残し、その男・呂布は去って行った。

 夏侯惇は危機が去ったようで去っていないのを感じて、

「太守をった。大ごとだ。さっさと逃げるぞ」

 追跡隊が編成される前に亡命することを決めた。もう蔡邕も反対しないだろう。

「ちょうどいいことに、安車が手に入りました」

 劉備が残された王智の馬車を確認して言った。それは貴族用の軒車けんしゃではあったが、まさしく座乗式の安車でもあったのだ。


 太史令たいしれい(天文官)の単颺ぜんちょうは日夜洛陽城外の霊台れいたいに勤め、天象を観測するのが仕事である。霊台は国立天文台のことで、太学とは通りを挟んで反対側にあった。

 ここには張衡ちょうこうが製造した渾天儀こんてんぎ地動儀ちどうぎが設置されている。

 張衡は南陽郡西鄂せいがくの人で、あざな平子へいしという。百年前に生まれ、安帝・順帝時代に長く太史令を務めた天文学者かつ科学者で、単颺の最も尊敬する人物である。

 張衡は『霊憲れいけん』をあらわし、日食・月食をはじめ、多くの天文現象について最古の科学的解釈を行うと共に、この世界は小さな球体の〝地〟が大きな球体の〝天〟に包まれて存在しているという〝渾天説〟をとなえた。

 その渾天説を説明するのに作ったのが渾天儀である。これは中央に星座を刻み、ぐるぐると回転できるようにした銅球を設置し、その周囲にまるい輪を取り付けて、赤道・黄道・子午線などを表わした天球儀に似た器械である。水を垂らして歯車を回し、速度を地球の公転と同じにしてあるので、太陽・月・星座の位置がおおむね一致し、天の運行を正確に知ることができる。

 もう一つ彼が発明したのが地動儀である。これは酒樽さかだるさかさにした形の青銅の本体に仕掛けを施した地震計で、中に立てられた振り子が揺れを感知すると、八方向に接続しているスイッチのどれかに触れるようになっている。本体の外側には八つの竜が口を開けており、スイッチが入ると連動して銅球を吐き出すようなからくりになっていて、その下に設置された八匹のかわずの口に収まるようになっている。なので、銅球を見た時にどの方角に地震があったかを知ることができる。

 これはヨーロッパで発明される最初の地震計より千七百年以上も早かった。

 これら張衡が改良、発明した二つの器械は今でも大切に使用されていて、単颺は日々それを確認するのが日課であった。

「む?」

 その日の朝、霊台に出勤した単颺は地動儀の変化に気が付いた。北側にたたずむ蛙の口に銅球が収まっていたのだ。

「北で地震があったようだな。昨日のことか……」

 銅球を指でつまんで拾い上げながら、単颺が独り言を呟く。

「揺れは感じなかったから、小さな地震だろう。大きな災禍にはなるまい」

 だが、それが人工的に起こされた地震であることまでは分かるはずもなく、交遊ある蔡邕が九死に一生を得る惨事だったことは想像できなかった。


 黄土高原の幹線道路である直道ちょくどうを行くのも危険過ぎる。蔡邕一家を乗せた馬車は河水がすい沿いに東行し、大胆にも五原の郡都・九原きゅうげんを抜けることにした。

 太守が行方不明になったせいで、九原の治政は統制がとれていなかった。幸いなことに、蔡邕が逃亡したという情報はまだ出回っていないようだったが、事実が知れるとすぐに追手が手配されるはずだ。追手側に管轄問題が生じるように、できるだけ早く郡境を越え、州境を越える必要がある。それに隠れるなら、できるだけ中原ちゅうげんから遠く離れた方がいい。そのまま東進して陳逸ちんいつら清流派が隠れる幽州遼東りょうとう郡を目指してもよかったが、鮮卑族の侵攻が懸念された。そこで、合流した孫堅が江南行きを勧めた。

 河水を渡り、江水を越え、北の果てから南の果てへ大陸を縦断することになる。

 蔡邕はのどかな土地で娘たちを育てながら、著述に専念したいという気持ちが強くなっていたし、孫堅から渡された書を見て頷いて、それに同意した。

 その書は草書で書かれた「才智図南さいちとなん」の四文字である。〝亜聖あせい〟こと張昶ちょうちょうの書だ。曹操から蔡邕に渡すよう託された名書家の作品である。〝図南〟は雄飛のことをいう。もう一つは「華陰有望かいんゆうぼう」と書された〝草聖そうせい張芝ちょうしの作品だった。いずれも絹の薄帛はくきんに書かれた秀作で、

「――――ほほぅ、ここにも崔公の心が生きていたか。……ふ~む。華陰に望有り、とな」

 蔡邕はそれを受け取って喜ぶ一方、すぐにこの四字には二つの意味を含んでいることに気が付いた。そして、間もなく真意に達すると、

「――――書はさんなり、だな」

 両名の草書の巧みさに深く感心するのだった。

 定型を持たない自由闊達かったつな字形は無官である二人の心の内をのびのびと表現している。

 書は散なり。ただ心のおもむくままにして、文に書き表すべし――――束縛から解放された蔡邕も心のおもむくままに、南へと向かう。

 五原の混乱は蔡邕ら一行の通過を見過ごした。が、一人ずっと後を付けてくる者があるのに孫堅も夏侯惇も気付いていた。まだ五原を抜けない内、人気ひとけのない道に差し掛かったところで、その男が馬を近付けてきた。

「たった一人だ。斬るか?」

「いや、待て。話を聞いてからだ」

 はやる孫堅を夏侯惇が制した。

「そちらは蔡智侯殿の一行とお見受けする」

 その官吏は馬を下り、簡素な拱手きょうしゅをして言った。

「怪しい者ではない。私は幷州従事へいしゅうじゅうじ王允おういんと申す。鄧使君とうしくんの命で参った」

 王允と名乗った男はそう言って、追手と勘違いして警戒の姿勢を見せる孫堅と夏侯惇の誤解を解こうとした。〝使君〟というのは、州刺史の尊称である。

 また夏侯惇が事態をややこしくする前に、劉備が用件を尋ねる。

「何用でしょうか?」

「五原太守をあやめましたな」

 王智を斬った張本人の孫堅がやはり斬るべきだと古錠刀を抜いた。官吏にそれを追求されて、あれこれ弁解するのは面倒くさい。正当防衛を主張しても、それが頭の固い官吏に通用するかどうか疑わしい。何より今は正義も道理もまかり通らぬ世の中だ。

「待たれよ。王智を殺したことをとがめるつもりはない、むしろ慶事であった。私も宦官の専横を憎む一人だ。清流に準ずる者だと自負している」

 王允は孫堅の気を鎮めるため、優雅にそれを制しながら、自らの立場を明らかにした。

 王允、あざな子師しし。幷州太原たいげん県の人である。清流派「八顧はっこ」の一人で、人物鑑定の第一人者でもあった郭泰かくたいは若き王允を見て、「一日千里、王佐の才なり」と高く評した。

 王允は十九歳で郡の官吏となり、太守の命を受け、郡内で数々の悪事を働いていた趙津ちょうしんという宦官を捕えて殺したことがあった。恨みを募らせた趙津の兄弟が賄賂を贈ってこれを宦官筋に訴えた。百八十度じ曲げられた事実が桓帝に伝わり、桓帝は大いに怒ると、王允の上官である太原太守の劉質りゅうしつを獄に下した。

 劉質はあざな文理ぶんり、平原国高唐こうとう県出身の宗族で、正義を愛す人物だった。

 陳蕃ちんばん劉茂りゅうぼうといった清流派の弁護はことごとく無視されて、劉質はこの事件の責任を取らされる形で自殺に追い込まれた。ここでも濁流が清流を呑み込んだのである。

 王允は自分をかばって死んだ太守のために辞職し、喪に服した。喪が明けた後、また郡に仕えることになり、今は新たな州刺史の鄧盛とうせいに任用されていたのだ。

 実は宋果そうかの後任を選ぶにあたって、洛陽では一悶着ひともんちゃくがあった。王甫と段熲だんけいが自分たちの息がかかった董卓とうたく後釜あとがまえようとし、それを知った清流派が鄧盛を推薦して対抗したのだ。結局は清流派の支持した鄧盛に決まったわけだが、それには中道の袁氏の賛同も大きかった。

 宋果という郭泰に認められた者が蔡邕の救済に助力することはできなくなって、その代わりとして現れたのが、同じく郭泰が高く評価した王允であったことは、目に見えない清らかな力が働いているのかもしれないことを信じさせた。

 王允が言葉を続けた。

「鄧使君は夏侯元譲げんじょうという人物から書簡を受け取り、王智を密かに探り、智侯殿を保護するよう私を派遣させた」

「それは俺のことだ」

 夏侯惇が自分が送った書簡のことを思い出して言った。

 夏侯惇は幷州刺史宛てに送ったのだが、それは宋果が手にすることはなく、後任の鄧盛が目を通したわけである。彼が清流派であったことが幸いした。

「そして、私は王智を追って、安陽で一部始終を見た。悪事の証拠を集めて劾奏がいそうするつもりであったが、その必要もなくなった。これから州府に帰るところだ。どこに行かれるのか知らぬが、幷州は物騒ゆえ、よければ、私が付いてご案内致そう」

「それは有り難い。壺口ここうというところに案内してくれんかな?」

 当の蔡邕がそれを受け入れたので、孫堅も剣を収めた。

 蔡邕は手に入れた玄武硯を坤禅こんぜんするという。〝坤〟は大地を意味する。〝禅〟はその大地を祀ることだ。蔡邕が言うには、その場所が幷州の壺口というところなのだそうである。

 袁忠えんちゅうに四神器の守り手だと告げられた。過去の清流の思い今へとつながり、この地で偶然玄武硯を手に入れるに至った。自分は蔡邕と玄武硯を守り、坤禅の儀を見届けなければならない。孫堅は使命感を一層強めていた。

「特別なところなのですか?」

 酈炎れきえんの予言を聞き、それを伝えた劉備も清流に乗った若き志士と言える。

大鼈だいべつ河穴がけつに帰らせなくてはな」

 蔡邕は劉備に一言、そう答えた。


 前漢の都として栄華を誇った長安は後漢の時代になっても、第二の都として、依然重要な都市に変わりはなかった。

 首都圏の太守を特別に〝いん〟いうが、洛陽のある河南尹かなんいんとは別に京兆尹けいちょういんがあって、京兆尹は副都・長安がある地域の太守に相当する。この時代は南を正方としたので、左は東、右は西の意がある。長安の東が〝左馮翊さふうよく〟、西が〝右扶風ゆうふふう〟と呼ばれ、京兆尹・左馮翊・右扶風の地域を合わせて〝三輔さんぽ〟といった。

 現在の京兆尹は楊彪ようひょうという人物である。楊彪はあざな文先ぶんせん、〝関西の孔子〟と称された楊震ようしん曾孫そうそんであり、蔡邕と共に皇帝に数々の災異の意味を上申した楊賜ようしの子である。弘農こうのう楊氏は汝南袁氏と並ぶ名声を誇り、関東の袁氏・関西の楊氏は名族の筆頭であった。

 曹操そうそうは涼州からの帰路、長安で楊彪に会見を申し入れた。長安の住人の口々から楊彪が王甫の一党の罪を暴き、これを拘留こうりゅうしたと聞いたのだ。

「そなたが噂の鬼部尉か。容姿は人の姿をしておるな」

北部尉ほくぶいは昔の話、今は無官の身です」

 曹操は楊彪に会うや昔のことを持ち出されてかすかに笑った。

 普通、面識のない無官の人間が名士であり、高官にある楊彪に会うことは叶わない。だが、曹操は清流派人士の中でも有名人だ。その活躍は清流派ネットワークや市井しせいの噂に乗って全国を巡っており、それは当然、楊氏の耳にも入る。

 また、楊彪の妻が袁逢えんほうの妹である関係から、袁家筋からも曹操の情報が随時伝わっていた。

「人々の印象は今も昔のままだ。北部尉時代の暴れっぷりを司馬建公しばけんこうが喜んでおった」

 五年前の尚書右丞しょうしょうじょう司馬防しばぼうという者が務めていて、その司馬防が曹操を官僚候補生として梁鵠りょうこくすすめたのだ。そして、梁鵠が曹操を北部尉に採用するに至る。人選をつかさどる尚書には左右一名ずつの副官がいて、それに司馬防が就いていたのである。

 司馬防はあざなを建公、河内かだいおん県の人で、後に盛名をせる司馬懿しばいの父である。

「それに、今もその心は北部尉の時から変わっておらんと聞いた」

「あなた様も宦官の一党を捕縛したと聞きました」

王翹おうぎょうという。司隷しれい校尉にて取り調べ中だが、王甫の親族であろう」

 京兆尹も司隷に属すので、地域内の大罪は司隷校尉に報告を上げなければならない。

「司隷校尉の人となりは存じませんが、手ぬるい追求ではせっかくの好機を生かせないかもしれません。今こそ酷吏こくりの司隷が必要です」

 この時の司隷校尉は許永きょえいあざな永先えいせんといった。清亮実直な人物として知られ、王翹の嫌疑を慎重に追求している。

 王智の悪事が幷州から上奏されるのに併せて王翹のことがおおやけになれば、王甫の責任はまぬがれない。この時をいっしてはならない。強引な手段を行使してでも、必ず王翹の悪事を明らかにしなければならない。

「うむ。我等も陽方正ようほうせいの就任を待っておる」

 袁氏との繋がりがある楊彪は曹操が画策する王甫包囲網を聞き知っていた。

「それで、首尾はどんな具合ですか?」

「いま少し時間がかかりそうだ。それにしても、危うい男よ。昨年、鴻都門学こうともんがくを批判して、一時期司隷校尉どころではなくなりかけた。そなたの計画を知る者は皆、冷や冷やしたものだ」

 鴻都門学というのは、昨年宮中の鴻都門内に創立された芸術学校のことである。

 書道、絵画、詩文を学ぶための学校で、推薦を受けた一部の才人たちのみが入学できた。ところが、その多くが外戚がいせきや貴族の出身で、その芸才一つで官吏になることができるようになった。その結果、楽松がくしょうという者は侍中じちゅうとなり、任芝じんしという男は尚書となった。一芸にひいでているだけで官吏に登用されるのは異常であり、単なる芸人に過ぎない連中が官吏になっても役に立たない。中には他人の作品を自分のものだといつわる連中もいる――――。

 陽球ようきゅうはすぐにこの鴻都門学の廃止を訴えた。道理ではあったが、皇帝の神経を逆撫さかなでした。鴻都門学は芸術好きの皇帝自らの意向で設置された学校であった。

 設置早々、鴻都門の壁に孔子の門下で学んだ十人の弟子、〝孔門十哲こうもんじゅってつ〟の姿を描かせ、皇帝はその出来栄できばえと鴻都門学の存在意義に満足したばかりの時であった。それを批判したのだから、皇帝の勘気に触れて、罷免ひめんされてもおかしくなかったのだ。

 そこで、楊彪の父の楊賜が重ねて上奏した。儒学と人徳ある者が高官に就くべきであるのに、鴻都門生を要職に就かせることは間違いであると言って、鴻都門学の廃止を訴えた。

 さらに、儒学を修めた士人を用いるべきであり、宦官への偏愛を止めるようになど、いろいろ注文を付けたのである。

 楊賜は以前から耳の痛いことを上奏してくる。堅物かたぶつであり、好みではないが、優れた名士であり、〝国老こくろう〟(国家の宿老)として皆から尊敬されている。こういうのはなかなか罰しづらい。皇帝は罰しない代わりに無視することに決めた。それで陽球も処罰を免れた。

「今、袁氏が陽方正を尚書令に置いておくのはまずいと陛下に訴えているところだ」

 尚書令は尚書台の長官をいう。尚書台は公文書を発布し、官吏の選別(人事)をつかさどる役所である。

 三公九卿の政策は任命された大臣たちの意志が反映されるものであったが、尚書台では直接皇帝の意志が反映される。そんな尚書台の長官に陽球がいるのは都合つごうが悪いのではないかというのだ。同時に司隷校尉として出すのが適任だと勧めている。

 清流派官僚たちにはそのパワー・ゲームに何としても勝利してもらわなければならない。

「そうですか。今年中にとは伝えてありますから、その間に私はもう一つ材料を調達することにします」

「鬼部尉の頭は宝剣の如く鋭いと評判だからな。皆がまた何が出てくるのか期待して待っておる」

「……鬼というのはどうでしょうか」

 北部尉時代の厳法執行は人々に恐れられ、それが「鬼の曹操」とか「鬼部尉」といった異名となって人々の間で広まっていった。恐れられるのは一向に構わないが、曹操にとっての鬼とは百鬼ひゃっきなのであって、そこがどうもに落ちない。

「鬼謀は鬼のはかりごとと書くではないか」

 楊彪が適当な解釈をして言った。陳逸と朱震しゅしんを逃した曹操の神算鬼謀にまた清流派の面々が大きな期待を寄せているのだ。

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