「これからもよろしくお願いしますね」と言われたけれど
烏川 ハル
開店15周年
私の家から最寄り駅までは、徒歩で10分くらい。そのちょうど中間地点に、行きつけのスーパーがある。
全面が赤茶色が塗られた壁に、「尾塚屋」と書かれた白い看板と、くすんだ青色の布製ひさし。派手な色合いではないけれど、両隣はもっと地味な民家なので、近づけばそれなりの存在感。周りに他の商店もないような住宅街の真ん中に、ポツンと建っているスーパーだった。
店名からもわかるように、大手のフランチャイズではない。昔ながらの個人経営のスーパーであり、お揃いの紺色エプロンをつけたご主人と奥さんが、
「毎度どうも!」
「いつもありがとうございます!」
いつも入口近くのレジに待機して、明るく元気に挨拶してくる。
肉や魚も扱っているが、野菜や果物の方が充実しているので、おそらく元々は八百屋だったのだろう。だんだん他の品物も扱ううちにスーパーになったに違いない、と私は勝手に想像していた。
3年前の春には、駅から5分ほど歩いた辺りに、全国規模の大手スーパーも開店したのだが……。私の家からは、ちょうど駅の反対側。そこまで行こうと思ったら、駅の構内を突っ切って北口から南口へ出るか、あるいは少し遠回りして踏切を渡る必要がある。
だからそちらを利用するのは車で遠出した帰りに立ち寄る程度で、いつもは
その日も私としては「いつも通り」のつもりで……。
――――――――――――
「こんにちは、奥さん」
店に入りながら、軽く挨拶する。私の名前までは認識されていないとしても、常連客の一人として顔は覚えられているはずだった。
「あら! いつもありがとうございます」
聞き慣れた陽気な声が返ってくるけれど、今日のレジには奥さんのみ。ご主人の姿は見当たらなかった。
とはいえ、心配する必要もないのだろう。ほとんどバイトも雇わずに夫婦二人で
だから彼の不在についてわざわざ彼女に聞くことはせず、私は普通に店の中へ。
店内の陳列棚では、天井の白色ライトに照らされて、どの商品も美しくディスプレイされていた。それらを見て回りながら、肉や野菜、足りなくなった調味料など、予定通りの品物を買物かごへ入れていく。その
それよりも気になったのは、値引きシールの貼られている商品が多いこと。「3割引!」とか「半額!」みたいな手書きポップも、あちこちで目立っていた。
駅の反対側にある大手スーパーは、毎月20日と30日に5%オフのセールをしている。それと重ならないよう、このスーパー「尾塚屋」では5の付く日、つまり5日と15日と25日が恒例の割引日になっていた。
さらに時々、週末に臨時セールを開催する場合もあるけれど、今日は13日の金曜日だ。いずれにせよ、割引の日ではないはずだが……。
「とはいえ、安いなら安いで問題ないよな」
自分を納得させるかのように、買物しながら独り言を口にする。「安かろう悪かろう」という言葉もチラッと頭に浮かんだものの、ほんの一瞬だけだった。
少なくとも素人目には、肉も野菜もいつも通りの品質に見えたからだ。有名メーカーのチルド食品や冷凍食品なども、ほとんどが大幅に値引きされているけれど、特に賞味期限が迫っているわけではなかった。
――――――――――――
「今日は何か特別な日なのですか? 値引き品が多いみたいですけど……」
会計の際、レジで軽く尋ねてみる。
すると奥さんは、にっこり笑って答えてくれた。
「はい! 今日は創業の記念日でしてね。開店15周年記念として、昨日から明日までの3日間、セールをやってるんです!」
「ああ、それはそれは……」
奥さんとご主人の年齢から考えて、前身の八百屋を含めず、スーパーになってからの「15周年記念」なのだろう。ならば「創業の記念日」と言いつつ、実際はスーパー開業の日付に違いない。
そんなことを考えて、一瞬言葉に詰まりながらも、すぐに祝辞が口に出た。
「……おめでとうございます」
「ありがとうございます! いつもご贔屓にしていただいて、本当に感謝しています。これからもよろしくお願いしますね!」
ぺこりと頭を下げる奥さん。
私の「おめでとうございます」に返す意味での「ありがとうございます」のはずだが、この言い方だと「いつもご贔屓にしていただいて」に関する「ありがとうございます」みたいだ。
心の中で少しだけ苦笑する。ただし口に出したのは、素直な感謝の気持ちだった。
「いえいえ、こちらこそ『ありがとうございます』ですし『これからもよろしくお願いします』ですよ。この場所にこのスーパーがあるおかげで、わざわざ駅の反対側まで行く必要がなくて……。本当に助かっていますから!」
「まあ! お客様から『本当に助かっています』なんて言っていただけると、まさに店主冥利につきますわ。本当に、これからもよろしくお願いしますね!」
奥さんの笑顔は、見ている私の方まで嬉しくなるほどだが……。
世間話はそこまでだった。背後に人の気配を感じたからだ。次の客がレジに並ぼうとするタイミングだったらしい。
「では、また」
私は最後に一言挨拶して、スーパーを後にするのだった。
――――――――――――
行きつけとはいえ、毎日
私にしては珍しく、夕方ではなく午前中。開店後1時間くらいのはずの時刻だったが……。
灰色のシャッターは完全に閉ざされていた。布製ひさしも力なく垂れ下がっている。定休日みたいな
とはいえ、そんなはずはない。月曜は営業日であり、事前の告知もなくいきなり臨時で休むような店ではないのだから。
実際、何人かの買物客が店の前をうろうろしている。
「一体どうしたのかしら?」
「ご主人も奥さんも二人とも寝坊というのは、ちょっと考えにくいわよねえ」
「何かの事故に巻きこまれた……みたいな話じゃなければいいけど」
常連客なのだろう。名前は知らないが、顔には私も見覚えある者たちだった。
彼らは口々に、ご主人たち二人を心配している。その気持ちはわかるので、私も会話に加わろうかと思ったのだが……。
そのタイミングで、真っ黒なワゴン車が店の前に停車する。
降りてきたのは、スーツ姿の男たち。買物客とは雰囲気が違っていた。ジロリとこちらを睨みつけると、うるさいハエか何かのように、手で私たちを払いのける。
「どいて、どいて!」
「あんたたち邪魔だよ! 店の前でたむろしないでください!」
私は素直に場所を譲ってしまったが、主婦らしき常連客の中には、真っ向から食ってかかる者もいた。
「あんたたちこそ何様だい!」
「この店の関係者じゃないだろう?」
スーツ姿の男たちは、憮然とした表情で対応する。
「いや、関係者だよ。合法的に品物を引き取りに来たのだから」
「いくら待っても、もうここは開店しないぞ。このスーパーは倒産して、店主夫婦は夜逃げしたのさ」
――――――――――――
夜逃げという言葉を聞いて、最初に頭に浮かんだのは、3日前の割引セール。
奥さんは「今日は創業の記念日」とか「開店15周年記念」とか言っていたが、実際には店じまいの売り尽くしセールだったのだ。
よくよく考えてみれば、開店15周年を記念するくらいならば、もっとキリのいい10周年にも何か行うはず。しかし5年前に特別なイベントがあった覚えはないのだから、あれが口実に過ぎないのは明白だった。
個人スーパーの経営というものは、私が想像する以上に大変なのだろう。
いつもあれほど明るく元気そうに見えたご主人と奥さんも、裏では相当苦労していたに違いない。
人には誰しも裏表がある。その程度は私も頭ではわかっているつもりだが……。
例えばあの時、彼女は内心で何を考えて、どんな気持ちだったのだろうか。
閉店が決まっていたにもかかわらず「これからもよろしくお願いしますね!」と二度も口にした奥さん。あの時の彼女の笑顔が、今でも私の頭にこびりついて離れないのだ。
(「これからもよろしくお願いしますね」と言われたけれど・完)
「これからもよろしくお願いしますね」と言われたけれど 烏川 ハル @haru_karasugawa
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