海辺の瓶詰手紙

斑猫

記号で記された瓶詰の手紙

 黄昏時の橙色の陽光を浴びて輝く砂浜は、自分の故郷だとされる砂漠を思い起こさせた。とはいえ、自分が本当に砂漠で生まれ育ったのか。ユーリカには解らなかった。実際に砂漠で生まれ育ったとしても、の頃の事なので忘れてしまったのかもしれないし、そもそもユーリカはこの島国の何処かで生まれ、砂漠を知るのは遠い先祖の事なのかもしれない。

 ただ自分のルーツが砂漠にある事を知っているのは、彼女がフェネックの妖狐だからだった。は元々砂漠に住まう狐である事は、妖怪化してから知った事だった。


「ふいーっ。日が傾いたからマシになったかと思ったけれど、今日は一日中カンカン照りだったからまだまだ暑いねぇ~」


 軽快な調子で言ったのは、ユーリカの隣を歩くリンだった。ユーリカと同じく人間の少女の姿を取ってはいるが、暑すぎるせいかはたまた人が少ないからか、ズボンの腰のあたりからは尻尾がずるりと伸びていた。根元から先端まで淡い金色のユーリカのそれとは異なり、灰色と黒色の縞模様を形成している。

 ユーリカはフェネックの妖狐であるが、リンは数十年以上生きているアライグマの妖怪だった。そして二人は常々行動を共にしている。というよりも、ユーリカがリンの後を追って一緒にいると言っても過言ではない。元々彼女はリンに拾われ、妖怪としての生き方を知った。

 妖怪たちにしてみれば、数十年生きているリンであっても若輩者に過ぎないという。しかしユーリカはそれよりもうんと若かった。人に変化する術を知ってから迎えた夏は、五本の指で数えられるほどなのだから。

 ふいにリンがこちらを向いた。少しだけいきみ、尻尾を隠したのを感じた。リンも慌ててそうした。尻尾を隠せば、自分たちは人間の少女にしか見えず、警戒されない。その事も知っていた。


「ユーリカ。さっきからぼんやりしているけれど、疲れたのかい。特に急ぐ事もないし、涼しい所で休もうか」

「……ううん。私はまだ大丈夫。暑さには強いから」


 優しさを見せたリンに対し、ユーリカは首を振る。暑さに強いのは本当の事だった。人の姿を取っていると言っても、彼女の本来の姿はフェネックなのだ。熱を逃す機構は、この土地に生まれた動物よりも発達しているのだという。もちろん、妖怪化したから余計に暑さに強くなっているという可能性もあるけれど。


「砂浜が、何となく砂漠に似ているから、ぼんやりしちゃっただけ。ただ、それだけなんだ」


 ユーリカはそう言って砂浜を見やる。青黒い海水がうねり、青白いしぶきとなって波打ち際にぶつかっていく。ずっと眺めているうちに、砂浜と砂漠はやっぱり違うかも、と思い始めていた。砂漠というのは水がほとんど無いから、こんな風に磯臭くは無いだろう、と。


「そっか。ユーリカは砂漠の狐だもんねぇ。でも、故郷の事を思うなんて立派な事じゃないか。アタシなんか、生まれ育った土地の事なんざ、年に一度夢で見るかどうかってレベルなんだからさ」


 でも私、本当は砂漠で生まれ育ったのかどうか解らない。ユーリカはそう思ったのだが、その言葉はぐっと飲みこんだ。リンが傍にいたら、そんな事はどうでも良い事のように思えたのだ。


 それを見つけたのは本当に偶然だった。波がひときわ大きくうねったかと思うと、透明な筒状の物をユーリカたちの足許めがけて白波が吐き出したのだ。

 波が吐き出したのは透明な小瓶だった。手の小さなユーリカも片手で持てるほどの小さな瓶で、中には丸められ、紅い紐で結ばれた薄茶色の紙が入っていたのだった。


「おおっ。これは瓶詰の手紙ってやつじゃないかな。ふふふっ。怪現象の残りカスを探していた帰りだというのに、粋な物が飛び込んでくるね」

「大丈夫なの、リン」

「大丈夫さ~。注射針なんかじゃないし、見た感じ割れてもないからね」


 気が付いたらリンは既に小瓶を拾っていた。何であるか解るようにユーリカの前に突き付け、それから蓋を外して中身を取り出す。人型という事もあるが、元がアライグマなのでリンは手先が器用なのだ。

 あれよあれよという間に、リンはもう手紙を丸めていた紐まで外してしまっていた。


「さーて。わざわざ海に放り投げた瓶詰の手紙には、一体何が……」


 意気揚々と紙を広げたリンであったが、視線を落とすや否や言葉を詰まらせた。文字らしきものは記されている。しかし何が書かれてあるのか皆目解らなかったのだ。

 字が汚いとか、そう言うレベルの話ではない。漢字やひらがな、或いはアルファベットの類とも異なる記号が、ずらずらと書かれているだけだったのだ。


「一体何が書かれてあるんだろうね、これって」

「うーむ。わざわざ海に流したくらいだから、何か意味でもあるのかなって思ったけどねぇ。流石のアタシも、これにはお手上げだよう」 

「あらあら二人とも。こんなくそ暑い浜辺で何をなさっているんです?」


 謎の文字に二人して頭を抱えていると、斜め後ろから声が掛けられた。優雅なようで妙に砕けたような物言いは、ユーリカにも聞き覚えのあるものだった、

 声のした方を振り返ると、日傘を差した少女がこちらに立っていた。太ももの付け根が隠れるほどの白いロングブラウスに薄いベージュのショートパンツ姿と、夏っぽい涼しげな出で立ちである。

 少女もユーリカと同じく淡い金髪で、琥珀色の瞳の中にある瞳孔は横長に裂けていた。彼女の名はメメトという。管狐という名の妖怪で、普段はあるじに命じられて、難事件を解決する仕事をこなしているそうだ。

 野良妖怪として細々とした仕事を請け負って暮らしているユーリカたちも、もちろん彼女の事を知っていた。


「あ、誰かと思ったらメメト先輩じゃあないですか。ふふふ、毎度お勤めご苦労様です」

「熊谷さんが私の後輩になった覚えはないけれど……ああでも、悪い気はしないわね」


 いつの間にやら扇子を取り出し、メメトは口許を覆って微笑んでいた。その両腕は、肘まである婦人用の手袋で覆われていた。メメトは触れた物の記憶を読み取る事が出来て、それで難事件解決の糸口をつかむのだそうだ。

 そして普段は、あべこべに記憶を無闇に読まないように、手袋をしているのだとか。


「メメト先輩。こんな所でお会いできるなんて何かの縁です。なので、ちょっくら可愛い後輩たちを助けてくださいな」


 笑顔のまま、リンはそう言ってメメトの方に顔を寄せた。厚かましいだの狡猾だのと陰で言われる事のあるリンなのだが、そうした事を気にしない振る舞いこそが彼女の強さなのだ。ユーリカはそう思っていたし、その強さがちょっぴり羨ましくもあった。


「助けると言いましても、二人とも楽しそうにキャッキャはしゃいでいるように見えますが……」

「へへへ。困っている姿であっても、傍目から見れば楽しそうに見えるなんて事はあるでしょうねぇ。メメト先輩。アタシらはさっきこの紙を拾ったんですが、何が書いてあるか皆目解らないんですよぅ。何か緊急のSOS信号だったり、或いは良からぬ事を企む暗号とかだったら大事ですよね?」

「成程ね。熊谷さんの言い分は解ったわ」


 メメトはそう言うと、長ったらしい手袋を脱いで手紙を受け取った。手袋を外して手紙にじかに触れ、その内容を読むつもりなのだ。謎の記号は読み取れなかったとしても、記号を書いた持ち主の念を彼女は読み取れるのだから。

 そのメメトが面白そうに噴き出したのは、手紙を受け取ってすぐの事だった。

 何が見えたんだとせっつくリンに対し、メメトは落ち着いた調子で告げる。


「ああごめんごめん……仕事柄どぎついのばっかり読んでいたんですけれど、こいつは何とも可愛らしいものだったからつい笑っちゃったんですよ。ええ、別にこれは熊谷さんたちが心配しているような物じゃあありません。単なる子供のお遊びですよ」

「子供のお遊びだって?」

「はい。夏場なので自分で出鱈目に暗号を作って、それで川に流して遊んでいたのでしょうね。結果として海にまで流れ着いて、私たちが解読した事になりましたが」

「なーんだ。子供のお遊びだったのか」


 手紙の正体を知ると、リンは少し脱力したような声を上げた。謎の手紙が他愛のない物だと判明し、興味が失せてしまったのかもしれない。

 そんなリンとは裏腹に、メメトは興味深そうに手紙を眺めている。


「ね。もしよければこの手紙、私が貰ってもいいかしら?」

「子供が遊んで作った手紙だけど、メメトさんは欲しいんですか?」


 びっくりして問いかけるユーリカに対し、メメトは静かに微笑む。


「ええ。私もずっと仕事をやってると、どうにもしんどくなっちゃうんです。そう言う時に、明るい気持ちやワクワクする気持ちが詰まったものをに触れて、その思いを読み取るとストレス解消になりますからね……」


 かくして、謎の手紙は小瓶もろともメメトが受け取る事となったのだ。

 メメトは嬉しそうに小瓶を携えて、ユーリカたちとは逆の道を進んでいった。今度メメトに会った時、彼女が読み取った内容を教えてもらおうか。小さくなっていくメメトの背を見送りながら、ユーリカは静かにそう思ったのだった。

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