死は新たな恥のはじまり
缶津メメ
死は新たな恥のはじまり
死にたい、と思った。思ったどころか今私は、実行に移そうとしている。
「―――――――――――…………」
三年住んでいるマンションの窓をがらりと開けて、ベランダに出る。さすがに五階ともなれば死ねる高さだろう。ごくん、と唾を飲む。ベランダ用のサンダルを履かずに足を踏み出せば、ひんやりとしたコンクリートの感触が直に伝わった。
七月の夜―――――夜だからか昼間ほどの暑さは無く、むしろ優しい涼しさが身を包む。空を見上げれば満天の星空にまんまるのお月様。創作物だったらこの自然の美しさに目を奪われて自殺を留まりそうなものだけど、あいにく私の希死念慮はそれぐらいじゃ揺るがない。
「……………はあ」
今までの「死にたい」は鳴き声みたいなものだったけれど、さすがに今日はもう無理。押し寄せてくる未来の恐ろしさに耐えられるほど、私の人生は立派なものではない。いや、立派じゃなくてもいい。それでも積み上げてきた過去は絶対、その人を助けてくれるはずなのだ――――普通の人は。
「(でも私、ふつうに生きられなかった………)」
ぼろりと大き目の涙が出る。死にたい、が大きくなった夜に小さな画面で解決法を探れば、「親に愛されなかった」だとか「幼少期のトラウマが」とか出てくる。つまり「あなたが悪いんじゃなくて周りが悪かったんだよ、あなたに罪はないよ」ってやつ。そんなことはない。両親はいい人すぎるほどいい人で、友人もみんないい人。
じゃあどこに希死念慮の種が植えられているのかと問えば、間違いなく私である。可視化されたらきっと、私の頭の上ににょっきりと希死念慮の芽が出てるだろうし希死念慮の葉っぱも付いているのだろう。なんだかそういう妖精が出てくるゲームがあったなあ、なんてふと思い出す。あの妖精たちはものを運んだり増えたり戦ったり食べられたりする、はかなくも愛らしくつよき命だった。いっそのこと私もそのぐらいはかない命でありたかったけれど、どっこいそういう人間に限って健康体だったりする。今年職場で開催された体内環境のつるし上げ、もとい健康診断ですら私の悪いところを指摘してくれなかった。なんでだよ。こんなにつらいならせめてどこか壊れててくれよ。
――――――だから、壊れにくい私を、今夜私は自分で壊す。
「(お父さん、お母さん、ごめんなさい)」
親不孝者。周囲の人たちみーんな困らせる。なんなら死体の処理をする人も片付ける人も警察も困らせるし、葬儀屋だって顔がぐちゃぐちゃに潰れた死体を柩の中に入れるのは一苦労だろう。
でもいいんだ。生きてる方が迷惑が掛かる。物言わぬ死体になった方がずっと、未来的に人に迷惑を掛けない。一歩、二歩と踏み出してく。もう風も充分浴びた。逆に、最後にこの目に映るものがあの綺麗な月で良かった。そう思って、私は―――――――
「……………ん?」
ひとつの、「忘れ物」に気づいた。
くるりと振り返る。突発的な自死だ、部屋の整理もしていない。きっと私が死んだらこの部屋には警察が入るし、大家さんが入るし、親が入るし―――――――
本棚を見る。そこには、私が購入した――――――成人向け乙女ゲーが、みっちり詰まっていた。背表紙のイケメンと、かちりと目が合う。そういやあのキャラ、俺様系なのにドMっていう珍しいキャラで、プレイ内容もちょっとマニアックで―――――――
「………やべ、」
思わずこぶしを握り締めてしまう。わなわなと唇が動き、血の気が引いていく。
そりゃあ、私は恥の多い人生を送ってきた。死で幕引きになるなら、生前の恥だってもう「私」には関係ない。それにさっきも思ったろう、「生きてる方が迷惑が掛かる」って。でも、でもさあ。
「―――――さすがにこれは恥、すぎる………!!!!」
ベランダから脱兎のように逃げ出し、本棚に駆け寄る。買い切りタイプを多めに買っているため、本棚の中は箱でいっぱいだ。背表紙からしてイケメン、取り出せば表紙には服がはだけた女の子とそれを取り囲むイケメン、後ろにはキャラクターの立ち絵とあらすじとエッチなCG。何をどう見ても、誰がどう見ても「これは成人向け乙女ゲームである」とわかる代物だ。待ってほしい。あまりにも「生前の恥」の上塗りである。「ああいう子だったね」と悼むのはまあ想定内として、「あの子こんな性癖だったの」はさすがに知られたくない。人の好さそうな大家さんに「あの人こんなえげつないゲームを」とか思われたら流石にやばい。私は先程とは違う意味で泣きそうになっていた。
―――――そうなると、色々な思い出が噴き出してくる。
「こ………この大正ロマンあやかしものは狐の秋螺くんルートがシナリオ的にめっちゃくちゃ良かったんだけど、鴉山さんルートで野外でするシチュがめちゃくちゃ興奮してえ……………あっ、こっちのアイドルゲーは実は凌辱ものだし、こっちは爽やか青春ものと見せかけてリョナだしぃ!違うんです違うんです、こっちはそういうプレイをしてほしいとかじゃなくて、ストーリーが!良かったの!山河くんルートで泣いたの私は!!」
誰に聞かせるでもない叫びがどんどんあふれ出す。もうダメだ。もう私の顔は真っ赤になったり青くなったり忙しい。パソコンにかじついて深夜攻略にいそしんだ日々、はちゃめちゃ興奮してオカズにした日々、くだらないパロネタで笑った日々、べしょべしょに泣いた日々、非攻略キャラにハマってしまい、公式から供給が無さすぎて夢小説を書いた日々。ああ、懐かしい。
―――――――そして、やっぱり創作物だったら。「ゲームのために、生きたい」とオチを付けるんだろうけど。
「さすがに………さすがにこんな量の恥を残して死ねない………!!」
いや、恥じゃない。ひとつひとつの作品はどれも神だった。そういうのを恥とするのは違うけれど、客観的に。客観的に見てね?他人から見たらエロの倉庫なんだわ、この部屋。
「――――――――――――」
私は頭がすうって冷えていくのを感じた。「死んだら楽になる」ではない。そういう意味では「死んでも楽になるわけではない」のだ。この作品群を残してさすがに死ねない。それは感傷であり、作品たちへの愛であり、死後のいたたまれなさの回避である。というか今思い出したけどスマホの方にも成人向けゲーム飼ってたわ。もうダメだ。私は、ヒロインたちを愛し、ヒロインたちに愛される男どもを放っては死ねない。そして――――――それらをただの俗物だと思われて死ぬのは、さすがに嫌だ。
「―――――――そういや、明日カナタくんとの修学旅行エピソード解禁日だった………」
積み上げてきた過去は私を助けられるほど強くはないし美しくはないけれど。
積み上げてきたエロゲは――――――どうやら、私を助けたんだと思う。
死は新たな恥のはじまり 缶津メメ @mikandume3
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