ココハイル

五道 正希

ココハイル

 だらだらとどこまでも中途半端なビル群ばかりが続くのぞみだのひかりだのと違ってつばさはいかにも旅の車窓といった長閑な景色をみせてくれる。間抜けな啄木鳥キツツキのようにいつまでもカタカタとPCを叩く阿呆もおらず、皆のんびりと駅弁をつまんだりカップ酒をあおったり、まあでもいつまでも小学生みたいに車窓の風景を眺めているのは俺くらいのものか。このところ週一ペースの出張で往復しているのだが俺は今日も飽くことなく窓の外を眺めていた。かといってそこに見えているのがなんて山で、なんて橋を渡ったのかその辺には全く興味が無かったが先日から気になっているものがあるにはあった。

 田んぼのど真ん中に立っている野立ての看板。このへんではたいがい地元の酒か銘菓をアピールしてるもんだがそのなかにひとつ何かが書いてあるようで何も書いていない看板を見つけてしまったのだ。何を言っているのかわからねーと思うが、マンガの背景なんかでそれっぽい雰囲気を出すために描かれてるけど具体的には微妙に文字じゃなくなってるものが書いてある看板、みたいなやつだ。そういうのはもろにブランド名までトレスするわけにいかないからという理由があるのは理解できるが、リアルの看板でそれをする意味がわからない。気を引いて検索を誘導する小賢しい戦略か、と疑ったがそこまで凝ったもんでもないらしい。てか試しに何か出てくるのかあれこれ検索を試みたがとっかかりがなさすぎて何も出てこない。戦略のつもりなら大失敗だ。

 で、俺は結局わざわざ途中下車してその田んぼの真ん中まで看板を見に行った。その日仕事のほうはもうどうでもいいやって気分だったもんで。ローカル線で引き返して駅前に一台だけあったタクシーをつかまえてようやく看板まで辿り着く。対比物がないのでサイズの想像がついてなかったがかなり見上げる大きさだ。で、ここまできたから何かがわかるかっていうと結局なにも分からない。近くで見ればだまし絵みたいになにかが見えてくるってもんでもないようだ。そんな仕掛けがあったところでそれも意味ないけどな。

 思いつきといきおいでわざわざこんなところまで来てみたがさてどうしたもんかと自分に呆れつつもう一度看板を見ると、看板のサイズにまったく見合わない小さな文字で「ココ入ル→」と書いてあった。いやいや、こういうのは入り組んだ路地裏に隠れた飲み屋の看板とかに書くものでしょうが。百歩譲って街道沿いで車にアピールするならまだわかるけど見渡す限りこの看板見てアプローチできる道もなにもない。てかそういえばタクシー帰りやがった。歩いて駅まで帰る道のりを想像したらうんざりしてきた。ざけんじゃねえぞ。完全なる八つ当たりで俺は看板を蹴飛ばした、つもりだったんだけど、その足はずっぽり看板の中にめりこんでしまった。めりこんだ?吸い込まれたが正解かな。ちょうど「ココ入ル→」の矢印の先に自分の足が呑み込まれている。ええー。ここ入るってそういう意味だったのかよ。こうなったらもうどうにでもなれって勢いで俺はそのまま看板に体当たりをかました。何の抵抗もなく身体は看板の中へとすり抜けていく。薄暗がりに目が慣れてくるとそこはなかなか雰囲気の良いバーだった。まいったね。入口の仕組みがどうなってるのかさっぱりわからなかったがこれは分かるやつだけご招待の会員制のバーってなとこだろうか。田んぼの真ん中の看板の二次元のなかに、なかに?こんなイケてるとこがあるとは流石に何ログ様でもご存知あるめえ。

 しばし突っ立って店内を眺めていたらいぶし銀なマスターが目くばせで案内してくれた。うながされるまま俺はカウンターの端の席にとまる。「いらっしゃいませ。お客様、こちらは初めてですね。どうぞごゆっくりお寛ぎください。」とりあえずハイボールを注文し改めて店内を見回すと、カウンターの脇を抜けてさらに奥のフロアがあるらしい。ここはウェイティングバーってことだね。あっちはなに?言わずとも視線でマスターに尋ねると「天国ですよ。」いかにもそれらしい意味深な微笑みとともにマスターはその奥の間に通してくれた。

 その先に何があったのか、成人向けのタグをつける気もないのでここに詳細を書くのはやめておこう。つまりそこは男性専用の竜宮城だったと思ってくれ。絵にも書けないものが俺の表現力でどうにかなるわけもない。マスターが言う天国ってのもだいぶ控えめな表現だったと断言してもいい。ただし天国じゃあないな。女の肌の鼻腔をくすぐる妙なる媚香に微かに混ざる線香と土の匂いで俺はピンときた。これはどちらかというと天国と反対側のとこですね。だからって俺は逃げ出したいとかまったくならなかった。いやむしろ出ていく気になれなかったし、なんならそれなりの対価を要求されてもそれでいいやって、喰らわば皿までな気分だったんだけどね。なのにこんな日に限って拍子抜けでマスターは入ってきた時と同じにこやかな微笑みで「お代は結構です。他の方にお支払いいただいておりますので。」だとさ。あちらのお客様からです。ってのは美女限定のイベントじゃあなかったんだね。

 俺はほんわりと竜宮城の余韻に浮ついたまま気が付くと田んぼの真ん中に突っ立っていた。玉手箱を貰い損ねた浦島太郎な気分。結局帰りは延々歩きになったわけだが足取りは軽かったね。それにしてもこんな丸儲けな話があっていいもんなのか。俺は帰りの電車を待つ間もしばらくこの僥倖が信じられない気分だったが、ふと目に入ったものを見てにやりと笑ってしまった。あれは地元の病院のやつかな、ホームの向かいの看板の隅っこにちいさく書いてあったんだ。「ココ入ル↓」って。







(終)

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ココハイル 五道 正希 @MASAKI_GODO

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