竜なる橋【短編】

さえ

竜なる橋

 ここは中華料理屋・紅龍房。現代日本に似合わぬ穢れた中華街、廃都・稀の中心部に位置している。外壁は灰色に汚れて、如何にも風情のある中華屋って感じだ。中では扇風機がぐるぐる回って、蚊取り線香の匂いを拡散させてる。店の壁に掛かった大きな時計の針は二十時をさしていた。大抵は客で賑わう夕飯時のはずだが、店内の座敷は全て空席だった。


「かさね君……どう考えても可笑しいと思わない?」


 紅龍房の店主、騒さんは一つ結びにした金髪を揺らして言った。腕組みしているせいで、デカい胸の上半分が半球型を形作って、服の布地を押し上げている。んで其の隣には、そんな美女と不釣り合いな中肉中背塩顔地味青年の俺。俺は傍で皿を磨きながら尋ねる。


「何がです」


「決まってるでしょ、こんなに急にお客さんが減っちゃったのは可笑しい! かさね君も気にならないの?」


「勿論気にはなりますけど」


 何時も元気溌溂な騒さんには珍しく、しょげた調子で肩を落としていた。


 俺は立場上バイトだが、ぶっちゃけ騒さんの家に置いてもらってる居候だ。紅龍房の売り上げが芳しくないとなれば、ケツ蹴っ飛ばされて同居解消という可能性だってあるのだ。だからこっちにも影響がある。


 しかし、なぜ急にお客が減ってしまったのか、其の理由というのが俺にもわからないのだ。紅龍房は老舗街中華で、常連だって当然いる。突然味が落ちたとかライバル店が出現したとかそんな騒動には心当たりがない。なのにこの有様だ。


 騒さんは首をひねって言った。


「常連さん――っていうか猫猫から聞いた話じゃ、店の近くの橋にお化けが出るって噂があるのよ。お客さん、それを怖がって来るのをやめちゃったんじゃないかな?」


 お化け? 思わず眉を顰める。


 猫猫とは、紅龍房の隣のキャバレーで働く歌妓で、馴染みの常連客だ。生きた魑魅魍魎がうようよしているようなこの稀で、お化けなんて本気で信じてるのか? と言いたい所だが、猫猫は純真で天然な少女だ。当然本気なのだろう。


「其の噂ってのはどんな話なんで?」


 一応聞いてみると、騒さんは大仰に咳払いして話し始めた。


 稀を横断する大きな川には、『大橋』という橋がかかっている。慶長十二年、出雲の月山富田城からこの街に城下町が移転した際、藩主の命令で架けられた物だ。当時の川には竹でできた細い橋がかかっていたが、城建築のために大きな木造の橋を作ることになった。しかし、川は流量が多く、川底の岩盤も深いところにあって橋脚が届かなかった。そのためなかなか橋は完成せず、数々の失敗を繰り返した。


「そこで人柱を立てることになったの」


 騒さんはさも恐ろしそうな口調で低く囁いた。人柱という言葉に興味を持って身を乗り出す。


 話し合いの結果、翌日最初に竹橋を渡った、マチのない袴を穿いた男を人柱にする事が決まった。そして翌日の朝にその姿で橋を渡ったのが、足軽の『源助』だった。足軽は有無も言わさず箱に押し込められ、そのまま橋脚の下に埋められたのである。人柱の甲斐あってか橋は完成し、それ以来、大橋の中央の橋脚を『源助柱』と呼ぶようになったという。


 実際のところは其の『源助』というのは、工事中に犠牲になった数多の大工なんかを一人の人間に集約して伝えられたのだとも言われているが、毎年慰霊祭も行われてるくらい此処じゃ有名な伝説なのだという。


「んで、大橋が今更どうしたんです」


「それがね。最近、夜の十時頃になると橋の近くにある建物では悲鳴のような妙な物音が聞こえるのだという。だからこの一帯が呪われてるんじゃないかって話。紅龍房も例外じゃない」


 正直胡散臭い話だ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ともいうし、思い込みなんじゃあないのか?


「ただの風や動物の鳴き声じゃないですか?」


 しかし騒さんはかぶりを振った。


 最近夜更け過ぎに紅龍房に来た、ある客の話だ。


 男が大橋を渡りきった時、後ろから誰かに肩を叩かれたのだと言う。振り向くと誰もいない。もう一度前を見るとやはり誰もいない。ただ真っ暗な闇が広がっているだけだった。しかしもう一度後ろを振り向いたとき、其処には先程までいなかったはずの女性が立っていた。着物姿の美しい女性は湿った視線で男の方を見つめると、徐に口を開いた。


 ――貴方、死にたいの?


 それだけ言うと女性は消えた。男は訳も分からぬまま家に帰って寝たそうなのだが、次の日起きてみると枕元に紙切れが置かれており、「あの橋に行くな」とだけ書かれていた。それ以降、夜に大橋を渡ることはなくなったそうだ。


「……っていう話があるんだけど」


「へえー、凄いですね」


 酔っ払いの妄言だと思いますけど。まぁ、霊感商法や宗教勧誘なんかはごめんだが、怪談を話半分に聞くくらいなら、オカルトは嫌いじゃない。


「そんなに気になるなら今夜行って確かめてみましょうか」


「えっ!? ちょっと待ってよ! なんでそんな急に!」


「だって其の真偽不明の噂のせいで、俺達困ってるじゃないですか」


「い、いや、今日はお店開けなきゃいけないし……」


 騒さんは苦笑いで目を逸らす。彼女は『夜闇』が苦手なので、あからさまに行き渋っているようだ。そんな彼女を鼓舞するように台詞を続けた。


「どうせ客なんか来ませんから早めに閉めちゃいましょう。それに、もし本当に危なかったら助けますから」


「うう……そ、それは勿論だけど……」


 彼女は渋々ながらも了承した。


 やがて時刻は午前一時となって、俺達は大橋へと向かった。


 道中、交差点にまだ新しい花束が供えられているのを見つけて何だかやりきれない気持ちになった。どうやらバイク事故か何かで轢かれて若者が亡くなったらしい。


 暫し歩いて、俺達が大橋に着いた頃には辺りはすっかり薄暗い闇に包まれていた。蒸し暑い夏とはいえ、この時間帯だと流石に少し涼しい感じがした。


「此処だよ。『大橋』」


 騒さんの指さす先を眺めた。長い川に、其の名の通り大きな橋が架かっている。川沿いにはずらっと提灯が並んでおり、薄赤い火が水面に映り込んで幻想的な雰囲気だ。だが、人通りがないために異界のような不気味さも感じられた。


「其の奇妙な物音ってのはどこで聞こえるんで?」


「橋の近くあたりだってさ」


 まずはそこまで歩いてみることにする。大橋の中央部分まで来たところで立ち止まる。確かに、微かに何かが擦れるような音が遠くから聞こえてきた。しかしそれ以外に変わった様子はない。念の為周囲を見回してみたが、特に何も見当たらない。


「ねえ、やっぱりやめよう? このまま帰ろうよ……」


 騒さんは引き攣った笑いで周囲を見回す。心配ないですよと言おうとした瞬間、ブルブルといった異音が聞こえた。騒さんは飛び上がって驚く。


「嫌ぁ! こっち来ないでぇ!」


 騒さんが叫び声を上げながら逃げる。


「ちょっ、騒さん落ち着いてください! 大丈夫ですから!」


「嫌! 無理! 怖い!」


「騒さーん! ちょっとだけでいいんで話聞いてくださーい!」


 騒ぎを聞きつけた通行人が何人かこちらを見るが、すぐに興味をなくしていった。どうやら皆、巻き込まれたくないらしい。しかし、往来を歩いていた女性がふと足を止め、見かねたように話しかけてきた。


「あらあら……二人とも、大丈夫かしら? この辺りに住んでる子?」


 長い黒髪に白い着物を着て、赤い口紅を塗っている。年のころは、俺達より少し年上だろうか。彼女は人差し指を立てて、にっこりと笑みを作る。


「そんなとこです。大橋の近くで奇妙な音がするってんで、それを確かめに来ました」


「そう、なら良い事を教えてあげる。大橋の近くに響き渡る異音の正体は霊なんかじゃありません」


 俺と騒さんははたと足を止めた。すると女性は近くの廃墟の入り口に近づく。彼女が軽くドアノブを捻れば、扉はなんなく開いた。どうやら施錠はされていないらしい。そして彼女は振り返り、優しい笑みのまま俺達に手招きをした。怖がる騒さんの腕を掴んで、引っ張っていく。


 薄暗い廃墟の中。罅割れた瓦礫が無数に転がる中で、女性は佇んでいる。それから手を打ってみると――ブルブルという異音がした。俺も試しに手拍子をしてみた。すると反響で太鼓のような重低音が鳴り響いた。しかしそれだけだった。特に変わったことは何も起こらない。


「あれ? これって、さっきあたし達が聞いた『お化けの声』だよね……!」


「ええ。これ――『鳴き竜現象』が異音の正体よ」


 赤い口紅を塗った唇を半円にして女性が微笑う。


 物理か何かの授業で教わった記憶がある。天井と床のように、互いに平行に向き合った堅い面がある場所で拍手や足音のような衝撃性短音を発したとき、往復反射でピチピチブルブルといった特殊な音色をもって音が聞こえることがある。 この現象を鳴き竜と呼ぶそうだ。


 恐らくこの建物は、工事の際に何らかの理由で鳴き竜が生じてしまったのだろう。そしてそれが、老朽化した今もなお残っているのだ。それが元々あった橋の伝説と混じって、怪談話になってしまったのだろう。


「な、なんだ……異変の正体は霊なんかじゃなかったんだね!」


「そうよ。霊っていうのは、微かな異音なんかじゃなく、もっと直接的に人と関わろうとしてくるものなんだから」


 騒さんはほっとしたように胸を撫で下ろす。女性にお礼を言って、俺達は笑いながら紅龍房に戻った。




 翌日の夜。店内には暖かい灯りが灯り、厨房には中華料理の油っぽい香りが漂っていた。猫猫達と協力して異変の理由を周知したおかげか、客席には少しずつお客さんが戻り、活気を取り戻しつつあったのだ。俺達は慌ただしく仕込みを行いながら、


「怪談の真相も分かりましたし、客足も戻りましたし、良かったですね」


「そうだね。でも、まさか鳴き竜現象があそこまで効果的に怖さを演出するとは思わなかったな。ちょっとした出来事が噂に膨れ上がってしまうんだなって思った」


 騒さんの笑顔が微笑ましい。料理を皿に盛りつけながら、からかうように返す。


「それにしても、あの噂を聞いて随分怖がってたのに、よく夜中に一緒に橋に行ってくれましたね」


「あんたが助けてくれるって言ってくれたおかげだよ! 流石に一人じゃ行けなかったかもね」


「ははぁ……それは言われてみれば……」


 照れ臭くなって、微笑を返した。


 ――騒さんには決して話さないけれど、俺は妙な事実に気がついていた。


 大橋の近くで話しかけてきた女の人。後から考えてみれば、彼女の足元にはどこにも影が見当たらなかった。あれだけ提灯の火が強かったんだから影が濃く出るはずなのに。


 そして、バイク事故で亡くなった若者は、黒髪に白い着物を纏った女性だったらしい。


 これはただの偶然だろうか、それとも何か意味があるのだろうか。


 ……どちらにしても、俺は又普通の日常に戻っていくのだった。

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