美容院に行くことにした

西しまこ

新しい髪型に込められた思い

 思い立って美容院に行くことにした。


 検索して、落ち着いた感じの小さめのお店を選ぶ。

「あの、今日、行きたいんですが」

 電話をすると、たまたまキャンセルが出たということで、すぐに行けることになった。嬉しい。


「今日はどうされますか?」

 初めての美容院は緊張する。でも、今日は緊張よりも「変わりたい!」「気分転換したい!」っていう気持ちの方が強かった。

 鏡の中のわたしはちょっと情けなく見えた。

 長い黒髪――あのひとが好きだと言った、髪型。でも。


「肩くらいまで切ってください」

「この辺りですか?」

 美容師さんが鋏で場所を指す。

「もう少し短くてもいいかな? 軽くしたいんです」

「分かりました。では、重い部分は梳きますね。動きがある感じがいいですか?」

「お任せします! それから、カラーリングもしたいんです」

「どんな色がよろしいですか?」

 美容師さんが持って来たカラー表を見て、明るめの色を選んだ。アッシュブラウン。

 

 シャンプーされたあと、髪がどんどん切られていく。

 気持ちも、どんどん軽くなっていくみたい。



 わたしはもう長い間、不倫をしていた。相手は会社の先輩。仕事でたすけてもらって、ごはんを食べに行ったりしているうちに、いつの間にかそういうことに。二十代後半を彼のために費やした。彼しかいない、と思ってしまっていた。


 彼の望むような女でいたかった。だからずっと、彼が褒めてくれた、長いまっすぐの黒髪でいた。服装も彼が望むようなフェミニンな装いでいた。お料理もした。会社の近くに引っ越したりもした。「愛してる。妻とはうまくいっていないんだ」という彼の言葉を信じていた。

 

 でも、見てしまった。

 大型ショッピングモールに行ったとき、彼と彼の妻と娘を。

 とても幸せそうだった。彼の妻は元気な感じの女性だった。幼稚園くらいの娘はとても愛らしく、彼が娘を溺愛しているのがすぐに分かった。

「妻とはうまくいっていない」というのは嘘だった。

 彼の妻は、大きなお腹だった。幸せそうにお腹をなでていて、彼も彼女を気遣っていて、ただただ幸せそうな家族にしか見えなかった。


 ほんとうは分かっていた。

 彼がわたしとは結婚する気がないことも。家族の方が大事だということも。

 それが、現実となって目の前に現れただけ。


 幸せな一家がエスカレーターを下りて行くのを、上から見ていた。

「さよなら」小さくつぶやいた。不思議に涙は出なかった。



 切り取られた髪――さよなら。あのひとを愛したわたし。あのひとに囚われていたわたし。

 愛しい思いは、箒で集められ、消えていった。


 肩より少し短い、動きのある髪型。

 明るいアッシュブラウンは、気持ちも明るくさせた。


 わたしは、髪を触った。新しい未来を思って。

 つるつるだ。

 誇らしい気持ち。

 

 ――さようなら。


 まず、服を買おう。この髪に合うような。それから、部屋を探そう。新しい気持ちに合うような。会社から少し離れた、緑の多い街がいい。



 新しい髪型で、わたしは新しいわたしとなって、明るい日差しの中を闊歩した。





   了



一話完結です。

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