超ヴァレンヌ逃亡事件

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超ヴァレンヌ逃亡事件

 


【ヴァレンヌ逃亡事件】1791年六月、国王ルイ16世一家が王妃の故国オーストリアへの逃亡をくわだてて失敗した事件。国王は、国外逃亡後、外国軍の武力を借り絶対王政を回復しようとくわだてたが、国境付近のヴァレンヌでつかまりパリへつれ戻された。国民の国王に対する信頼は失われ、共和派が台頭するきっかけとなった。『世界史用語集改訂版』(2018年、山川出版社)p200より



 嘘である。

 当初の計画では馬二頭にみすぼらしい馬車を引かせる予定だったが、王妃マリーの猛反対に屈し、けっきょく馬八頭に豪華絢爛で超重量な馬車でオーストリアへ向かうことにした。とうぜん馬の歩みは目も当てられないほど遅くなり、パリから東に直線距離にして約二〇〇キロメートル地点のヴァレンヌで追手に捕らえられた──、という説が一般に広く信じられているが、事実はそうではない。

 ルイ一六世一家は逃げおおせていた。超逃げた。なぜなら馬車馬の気合と技術が半端なかったからである。

 八頭の馬は計画実行の当日、成功を願って厩務員きゅうむいんから超ニンジンを与えられた。馬たちはとてもおいしそうに頬張った。超効いた。脚の筋肉量が爆発的に増加し、蹄には地面をとらえやすいようにスパイクが生えた。八頭のうち四頭は筋肉が大きくなりすぎて関節をつぶしてしまい、動けなくなった。仕方がないので厩務員は慈しみながら〆、馬肉にソース・ソジャ(醤油とも言う)をつけて食べた。意外とイケる。これが馬刺しの起源である。残りは四頭となったが問題ないだろう、厩務員はポジティヴだった。

 いろいろあったがルイ一六世一家、ルイ一六世、王妃マリー・アントワネット、王女マリー・テレーズ、王太子ルイ=シャルルの四名はパリの外れで無事に合流を果たし、オーストリア直通のハイカラ馬車に乗り込もうとした。おそらく王妃マリーのテンションは爆上がっていたはずだ。しかし馬が予定の半分しか見当たらない。王妃はキレた。馬車と馬を手配し、みずから手綱を握って待機していたスウェーデン貴族のフェルセン伯爵の胸ぐらをつかみながら問い詰めると、温厚とも能天気とも形容できる表情で言う。

「いやはや申し開きのしようもございません。わたくしめの愚かな馬使いが少しばかり粗相を致しまして。しかしながらご心配には及びません。なにしろこの四頭、気合が入っておりますゆえ」

 はて気合とな。王は馬どもの顔を見た。そのなんと凛々しいことか。先々王ルイ一四世を思わせる力強さと慈悲を併せ持った八つの瞳を前に、王は感嘆の息を洩らした。たしかに気合が入っているのだ。駄々をこねる妃をなだめつつ、王は伯爵に言う。

「なるほど、よかろう。この者たちの気合は十二分に伝わった。だがそれでもオーストリアまでは届かぬと見える。そこでだ、朕の力をこの者たちに分け与えようぞ」

「陛下の御力……、にございますか」

「うむ」

 一つ頷くと、王は侍女のトゥルゼール公爵夫人ルイーズに工具一式を持ってこさせた。あまり知られてはいないが、王は錠前作りを趣味とし、ある程度の工学的知識を有していた。つまり馬の脚すべてを超蒸気機関に付け替えるなど造作もないことだった。ニューコメンが開発し、ワットが改良し、ルイ一六世がちょちょいとしたもの、それが超蒸気機関である。超ニンジンで馬どもが得た筋肉とスパイクはすべて無駄になったが、一番重要な気合だけは残されたので問題はない。王は馬車をBleu-BONGと名付けた。天使の羽織のブルーと、爆発的ボンッ!なスピードが出るように想いを込めたのだ。それ以外の意図などない。派手好きな王妃は、超蒸気機関を吹かしに吹かして気合をアピっている馬どもを見て、満足そうに言う。

「馬が足りないのなら、機械に頼ればいいじゃない」

 まったくその通りである。

 かくして王一行は革命気運高まるパリから逃げた。超逃げた。どこまで? 約二〇〇光年離れたKOI-314まで。


 はるか彼方まで透き通り、それでいて一歩踏み出せば右も左もわからなくなってしまうほど濃密な闇のなかをBleu-BONGは駆ける。翔ける、のほうが正しいかもしれない。

 王はむずかる息子の頭を撫でてやりながら、車窓の外を眺めた。黒一色でベタ塗りされたカンヴァスの上に、ぽつぽつと様々な色に輝く星々の群れは王の心を否応なく不安にさせた。王朝は、パリは、我がフランスは、これから一体どうなってしまうのだろう。朕はきっと「太陽の輝きを終わらせた王」として後世に語られ、嘲笑されるに違いない。

 それにしても、と王はどこか他人事のように思った。やりすぎた。絶対にここはオーストリアではない。対面に座る妃と娘は、仲睦まじく外界に広がる星々を指差し合っている。あっちはガーネット、こっちはラピスラズリ、宝石に例える様子はなんとも微笑ましい。


──このままどこへなり飛んでいって、逃げてしまおうか。


 王はふとそう思った。すぐにかぶりを振ってその邪悪な考えを打ち消す。朕は王だ。朕がフランスなのだ。逃げるなどあり得ない。オーストリアを目指したのは、ハプスブルクの力を借り、革命勢力に真っ向から対立するためではなかったのか。そうだ、朕の使命を果たすのだ。

 そのためにはまず地球へ帰らねば。王は馭者台に座っているはずの伯爵に声をかける。

「宇宙旅行も素晴らしいものだが、そろそろオーストリアへ向かうとしよう。伯爵、馬たちを回れ右させて……」

 いない。伯爵が忽然と姿を消していた。馬どもはとても楽しそうに宇宙ソラを泳いでいる。逃げ出した? もしや伯爵は革命派だったのか? 朕は嵌められたのか? いやそれよりもとにかく馬どもを止めないと。このままでは我がフランスから遠ざかり続けてしまう。王には自身が徐々に混乱していくのがわかった。

 コンコンコン、と車窓を叩く音が聞こえ、王はハッと我に返った。何者かが外側──つまり宇宙空間から馬車を覗き込んでいる。丸みを帯びた瞳、大きなわし鼻、自信に満ちた笑み、王のよく見知った顔だった。

「ショワズール大佐! 大佐ではないか!」

 ショワズール竜騎兵大佐、オーストリアまでの護衛を買って出た王の腹心であった。

「不肖ショワズール、ようやく陛下に追いつくことができましたぞ! なにしろ陛下の御車ときたらものすごいスピードで、まるで一条の光のようでしたからね。言いつけ通りシャロン辺りで待機していましたが、あっという間に追い抜いてしまわれる。こりゃいかん、と大慌てで追いかけた次第であります」

「おお、なんとありがたい……、しかし今はとにかく馬たちを止めてくれないか! フェルセン公がいなくなったのだ、裏切ったのかもしれぬ」

 状況を察した大佐はすばやく馭者台に飛び移り、馬どもをなだめながら言う。

「おそらく伯爵殿は塵になられました」

「どういうことだ?」

 馬どもは素直に速度を落としていく。

「単純な話にございます。気合が足りなかった。ほとんど光と同じ速さに耐えるには気合が足りなかったのです。地球の大気圏を突破したころには、彼の肉体は素粒子レヴェルで崩壊していたはずです」

「……そうか。惜しい人材をなくした」

 王はほんの数瞬だけ伯爵を想った。

「ご安心ください、陛下! このショワズール、以下竜騎兵一三名、全員気合が入っておりますので伯爵のようにはなりません」

 王一行を乗せた馬車はようやく停止した、宇宙空間で。王が馬車から身を乗り出して後ろを振り返ると、なるほどたしかに気合の入った若い騎士どもが馬に跨っている。これは頼もしい、王はかすかな希望を感じた。

「ところで大佐よ、貴公の部隊は全部あわせて四〇名ではなかったか」

「はい、ですがここにいる者以外は塵になりました。気合が足りなかったので」

「……そうか。惜しい人材をなくしたが、気合不足なら仕方がないな」

 王はほんの数瞬だけ気合不足の若者たちを想った。

 すぐに切り替えて周りの状況を観察する。王から見て左手にはおだやかな赤い輝きを放つ星が少し遠くにあり、右手にはところどころを雲に隠された、蒼くきらめく大きな星がすぐ目の前にあった。

「これは……、地球ではないか? 朕は案外遠くには行っていなかったのかもしれぬ。思ったよりも簡単にオーストリアに赴くことができそうだな」

「地球がすぐそこなら、すぐにでも帰ればいいじゃない」

 拍子抜けした王一家はブールブルブルボンボンボンと高笑いし、荷台に積んであったワインを開けた。まだ幼い息子だけはきょとんとしていた。大佐が無遠慮に言う。

「陛下、それは違いますぞ。あれは地球ではありません」

「なんだと? ならばいずこか」

「およそ二〇〇光年離れたKOI-314、別名ケプラー一三八系にございます。あの青い星はケプラー138eかと」

 聞き覚えのない単位に王は眉をひそめた。この男はなにを言っている? 妃は大佐の話にまったく興味がないようで、平然とワインをあおり続けている。

「光年とは、ざっくり言って光が一年に進む距離のことであります。約二〇〇光年、つまりは光が二〇〇年かけてやっとたどり着ける地点ということです」

「馬鹿を言うな。朕たちが馬車に乗っていたのはせいぜい二〇時間であるぞ。それでどうしたら二〇〇年もかかる場所まで来れるのだ」

 王はいきり立ちながらも、めざとく矛盾点を指摘する。この王は決して阿呆ではなかった。対する大佐は、まるで幼子の相手をするように穏やかな顔で言う。

「特殊相対性理論ですよ。陛下の御車は限りなく光に近い速度だった。そのため、陛下にとっての二〇時間は、普通のパリ市民にとっての二〇〇年なのです」

「ならば、なんだ。地球ではすでに二〇〇年が経過しているのか?」 

「ええ。とうぜん戻るのにも二〇〇年かかりますゆえ、地球に着いたときには四〇〇年以上経っていることになりますね」

 王は途方もない絶望感に膝をついた。そのような父の痴態を前にして、娘と息子が好奇の眼差しを向け、それを妃がたしなめる。徹底的な反革命の意志やら、オーストリアへの決死の亡命計画やら、それらすべては水泡に帰したのだった。いくら策を凝らしたところで、時間は覆すことができない。

「朕は、一体どうすれば……。先王たちが守り抜き、託してくださったブルボンを失墜させることなど断じて認められぬ。だが、もう打つ手はないのか」

 打ちひしがれる王の肩に、優しく手を添える者がいた。その名はショワズール竜騎兵大佐、もといショワズール=ユニヴェースだった。

「陛下の御心、よぉくわかります。ですが、どうか気を落とさずに。実はこの不肖ショワズール、陛下の御車を追いかけているとき、ほんの刹那ではありますが光速を超えました」

 王には、大佐がなにかと重なって見えた。そう、それは我が一族に王権をお与えになった──、いや、よくない、不遜にもほどがある。大佐は大佐だ。

「過去、現在、未来という、時間の概念から解放されたのです。つまり私の脳内には、この宇宙が誕生してから、その終わりまで、すべての事象が記憶されています。本来なら一発で廃人確定の情報量ですが、私は大丈夫、なにしろ気合が入っているので」

「そうか。気合が入っているなら大丈夫だな。……それで、それがなんの役に立つのだ?」

 王のもっともな疑問に、ユニヴェースはただ優雅に微笑む。

「ユニユニユニ……、この力があれば、陛下をフランスの王へ返り咲かせる、いや、もはや地球の帝王として君臨していただくことも容易でしょう。そのための策もすでに思い至っております。ただ現状では人手が足りません。ですから……」

 ユニヴェースはそこで言葉を区切り、ある一つの方向を手で示した。蒼い星、よく見れば地球よりかなり小さいことがわかる惑星、ケプラー138eだった。

「ひとまずは、あの星を統べるのです。あれを第二のブルボン、第二のフランスと致しましょう」

「地球に帰れないのなら、べつの星に住めばいいじゃない」

 こうして王は、ルイ一六世改め、ルイ=ケプラー一世となった。非常にわずかな間だけ。


 王がケプラー138eに降り立ち、統治を開始してから一カ月半が経過していた。惑星の表面温度は摂氏二〇度ほどに保たれ、六月の夜半にパリから逃げ出したままの格好で快適に過ごすことができた。地表の大半は海であり、陸地となる岩場は申し訳程度の露出にとどまっている。液体の水と有機物が存在しているが、大気に酸素が含まれていない。つまり星固有の生命はまだ誕生していないことがわかる。しかし王一行は気合が入っているため、酸素がなくても大丈夫だった。

 大してやることもないため、王はこの一カ月半をダラダラと過ごした。公務が一切ない時間は久しぶりで楽しくもあったが、同時に非常に退屈である。そんな王の憂いなどお構いなしといった様子の可愛い子どもたちと、チェスに戯れつつも王太子にボコボコにされて特大台パンをかましたときだった。見張り役の竜騎兵が上空を指差しながら緊迫した声音で叫んだ。

長ズボンサン・キュロットどもだ! 信じられねぇ、やつら地球から陛下を追っかけてきやがったんだ!」

 民衆サン・キュロット! 本当に来た! 

 ユニヴェースの予言が見事に的中し、王は興奮と畏れが入り混じった武者震いをした。

「連中の長はなにがしか。人数はどのくらいだ」

「先頭に立っているのは、ラ=ファイエット侯爵に違いありません! だいたい一〇〇人ほどです!」

 両大陸の英雄ラ=ファイエット……。これも予言通りだ、王はほくそ笑んだ。人数は十分、侯爵は立憲君主政を望んでいる穏健派だ。いきなり危害を加えてくる可能性はほぼない。つまり説得、交渉の余地がある!

「丁重に迎え入れるのだ。朕には言葉があり、侯爵にも言葉がある。腹を割って話し合おうではないか」

 王の命を受け、交戦体制をとっていた一三名の竜騎兵どもは戸惑いながらも剣を鞘に納めた。その周りを囲うようにして、民衆が次々と着地する。王の正面には、集団のなかで一段と高貴な格好をした人物が降り立った。すらりとした上背、こちらを射抜くようにするどい瞳、真一文字に引き結んだ口、ラ=ファイエット侯爵だった。

「これはこれは、侯爵ではないか。わざわざ遠い地球から我がケプラー星になんの用かね?」

 王は余裕ぶった態度を示すために、荷台にあった馬刺しを食べながら言う。うむ、意外とイケる。イケる……が、内心は緊張しまくりで冷や汗が止まらなかった。侯爵はわずかに眉をひそめる。

「御冗談を、陛下。陛下の星は地球ただひとつ、そして陛下の国家もフランスただひとつでしょうに。さあ、こんな辺鄙なところにおられないで、パリへ帰りましょうぞ」

「嫌だ……、と言ったら?」

 繰り返すが、侯爵は立憲君主政を求めている。つまり王がいないと困る。君主あっての立憲君主政だからだ。侯爵はなんとしてでも王を連れ帰ろうとするはずで、そこに交渉の余地があった。しかし侯爵に焦りはない。

「仕方ありませんが、王弟殿下であるプロヴァンス伯爵を新たな王として擁立致します」

 ああ、そうだった! すっかり我が弟のことを忘れていた、王は頭を抱えそうになるのをぐっとこらえた。出鼻をくじかれた形になり、王はブルル……、と唸るしかできない。侯爵はそんな様子の王を見て、小さくため息をついた。

「この星が気に入ったと陛下が仰るのなら、私も無理に引き留めようとは致しません。どうかお元気で」

「ま、待て。馬に乗って帰ったところで、貴公が到着するのは四〇〇年後のフランスであるぞ」

 民衆のなかにレヴォレヴォレヴォ、と嘲笑が広がる。侯爵もわずかに口の端を歪めた。

「それこそ御冗談を。私たちがパリからここに至るまでに一日と経っておりません。同じように一日で帰れば、着くのは二日後のパリでしょう」

 王は数も数えられなくなったんだレヴォレヴォレヴォリュエション。王は自らの信用のなさに愕然とし、ユニヴェースに助け舟を求めた。ユニヴェースは余裕の微笑みを見せて歩み出る。

「侯爵殿、貴公はプロヴァンス伯爵──後世ではルイ一八世として伝わる御方でございます──を新たな王に据え、立憲君主政を作り上げるおつもり、ということでお間違いないですね?」

「ええ、先ほどそのように申し上げました。……ルイ一八世などという御方は存じ上げませんが」

 侯爵は怪訝な顔をしながらも、はっきりとした声で応える。律儀な男なのだ。

「ふぅむ。ではお聞き致しますが、それでフランス臣民を納得させられるとお思いですか?」

「と、言いますと?」

「体制が変わるというのに、現王が一度も民衆にその御姿を見せないまま、その弟が王になる。いかにもきな臭い話ではありませんか。革命気運高まるとはいえ、田舎のほうではまだまだ陛下への支持は厚く、対して伯爵の評判は都市部でも陛下と同じか、それ以上に低い。それでは伯爵を据えた立憲君主政など到底受け入れられず、ともすれば反乱にまでなりかねませんねぇ。いったいどれほどの臣民が亡くなることか……」

 ユニユニユニ、と不気味な笑みを浮かべるユニヴェースの言葉に、侯爵はあごに手を置いて考え込むような姿勢をとる。

「たしかに、大佐……、ですよね? 大佐の仰っていることは理解できます。そしてそれが『やってみなければわからないだろう』で片づけられる問題でないことも。しかし私の口から民衆へ直接、陛下は遠い星に移られた、と一言告げればよいだけでは?」

「それはいけない。どのように取り繕おうが、直接御姿が見えない限り暗殺されたと捉えられるのがオチでしょう。やはり立憲君主政の設立には陛下の御身が必要になるかと……」

 王は二人のやり取りを上手く掴めなかったが、とりあえずしきりに頷きを返しておく。侯爵はしばらく沈黙したあと、ひとりでに、ふむ、と頷いた。

「よろしい。そちらの条件はなんですか?」

「ブルボンの存続である。べつに絶対王政でも立憲君主政でも朕はかまわない」

 とっさに口を衝いて出た言葉に王は気まずさを覚えたが、侯爵にはさして気にした様子はなかった。

「それはもちろん、私も望んでいることです。ほかには?」

「二〇〇年前のフランスに戻るために人員が必要だ。力を貸してほしい」

「ほう? 四〇〇年がどうの、というのは虚偽ではなかったのですか」

 侯爵は目を丸め、王はユニヴェースに諸々のことを説明させた。侯爵はスケールの大きすぎる話に、思わず豪快な笑い声をあげた。

「ラララファイファイファイ! なるほどなるほど。それはたしかに竜騎兵だけでは実現不可能ですね。幸いなことに私のあとに続いた民衆たちはとても気合が入っていますから、ほとんど塵にならなかった。数は足りるでしょう。説得できるかは陛下次第ですが……」

 王は生唾をのんだ。けっきょく、最後は民衆と対話するしかないのだ。

「私のユニヴェース=ビームで脳を破壊して生き人形にすることもできますよ?」

「いやそれはなんか違うだろう。あとなんか気合で耐えてくる予感がする」

「対話が面倒なら、力業でゴリ押せばいいじゃない」

 こらこら、と王が妃の失言をたしなめようとしたとき、民衆のなかからワッと非難めいた声があがる。

「それだ、その喋り方だ! やっぱり本当に言うんだ!」

 何事かと振り向いた王の視線を受け、肩を竦み上がらせながらも民衆のひとりが言う。

「お、王妃さんよ! アンタ俺たち貧乏人が大凶作のせいで、パンすら食えなくて飢え死にしそうってときに、こう言ったらしいじゃあねえか。『パンが無いのなら、ブリオッシュを食べればいいじゃない』ってな。馬鹿にしやがって! 金も麦もねえからパンが食えねえんだよ、ブリオッシュなんて夢のまた夢に決まってんだろ!」

「そうだそうだ!」「私たちの税金返しなさいよ!」「この赤字夫人が!」「ふざけた喋り方やめろ!」

 収まるところを知らない民衆の不満は増していくばかり。批判の声はどんどん大きくなり、誹謗中傷の域に達していた。王は心配になって妃の顔を見るが実に涼し気な表情をしている。王の数倍は強靭な精神力を持っているのだ。なんと頼もしい、王は感銘を受けた。

「やめないか! 朕の妃であるぞ。彼女はそのようなこと一度も言っておらぬし、喋り方はハプスブルクからの血筋だ!」

「嘘つけ!」「そんな血筋があってたまるか!」「陛下も同罪だ!」「赤字王家!」

「我がフランス財政が厳しいのは、かの憎きイギリスから独立を成し遂げた同志アメリカを支援したからで、つまりは正義への挺身の結果だ!」

「おべっかヤロー!」「一〇年以上も前の話だろ!」「私ら庶民には何の関係もないよ!」「そもそもあんなド田舎支援して何になるんだよ!」

「ブ、ブルル……。こういう外交努力は後から効いてくるというのに、分からぬ奴等め」

 ギロチン、ギロチン、フゥゥウウウ! ポンポォン! というコールに王の心は折れかかった。王のメンタルは豆腐だったのである。


「静かにすればいいじゃない」


 静かな、しかし圧倒的な威厳を伴った一言、いや命令に、その場の誰もが一瞬にして押し黙った。妃が発する声にはそれほどまでの力があった。

わたくしのことはいくらでも悪く言えばいいじゃない。私は外国人だし、それなりに贅沢な暮らしをさせてもらったんですもの、とうぜんの報いでしょう。ひどいことを言った女だって思われるのも仕方がないわ。だけど陛下のことを侮辱するのは間違っている。間違っているわ。この御方は四六時中、皆さま方フランス臣民のことを気にかけているのよ。今だってそう、フランスがこれからたどる未来を憂い、変えようとしているわ。ねえ、あなた?」

 いきなり妃が微笑みかけてきて、民衆の視線がつられるようにすべて王に向いた。王は顔が引きつりそうになるのを隠しながら、必死にセリフを考える。

「そうだ……、朕はいつもお前たちのことを想っているのだ」

 嘘ではないが、正直に言えば王家の存続七割で国民三割である。国民一〇割だったらそもそも亡命などしない。

「いろいろあって、朕はフランスの未来を知った。そして絶望した。フランスは世界の中心ではすっかりなくなっていたのだ。皆もうすうす感じてはいるだろうが、覇権はイギリスとアメリカが握ることになる。我らが革命だ、反革命だ、と国の発展を止めている四〇年の間に、両国はすさまじい速度で成長するのだから。そして我らがフランスはただの腰巾着へと成り下がる。そんな未来が認められるか?」

 レ、レヴォレヴォ、民衆のあいだに動揺が広がる。ユニヴェースから聞いた話だとそんなに極端な未来ではなかったが、それはご愛嬌、または雄弁術である。王はここぞとばかりに声を張り上げる。

「断じて認められない! 朕が望むのは強いフランス、ヨーロッパの中心であるフランスだ。皆はどうだ。強いフランスか! 弱いフランスか!」

 民衆の反応はわかり切っていた。そんなもの、強いフランスに決まっている。

「ならば朕に力を貸してくれ。ひとりひとりの協力が、朕、ならびに皆の望みを叶える糧になる!」

 うぉぉおおお! フランス! フランス! 民衆も竜騎兵も一緒になって歓声をあげた。

 この王家と民衆の和解は後に八月十日事件と呼ばれ、民衆に対する王権を決定的なものにした出来事と理解されている。


 こうして王は民衆とともにケプラー138eをクローズドタイムライクカーブが可能な円柱状の物体へと作りかえた。もう一度言うが王は錠前作りを趣味とし、ある程度の工学的知識を有していた。つまりクローズドタイムライクカーブを作るなど造作もないことだった。なぜならクローズドタイムライクカーブは研究が進んだ現在においては量子力学の分野で語られることが多いが、王が作成に取り組んだ時代に量子力学は存在していないため、工学ができれば包括的かつ鳥瞰的観点から見てオッケーだから。

 クローズドタイムライクカーブとは一般相対性理論から導き出される解のひとつで、ざっくり言うと過去に戻れる。現実世界でクローズドタイムライクカーブを達成するには実現困難な壁(たとえば、円柱は無限の長さでなければならない、円柱内部は圧力を持たないが質量だけはあるガスで満たされていなければならない、など)が大量にあったが、すべて気合でなんとかしたためとくに問題はない。民衆が張りきったのでクローズドタイムライクカーブは三日で完成した。

 ちなみにあまり知られてはいないが、クローズドタイムライクカーブの製作中に民衆と竜騎兵が自然と口ずさんだ歌が、かの有名な『ラ=パリエーズ』となる。我々が幼少のころから身近に接してきた地球歌がこんなところにルーツを持つとは、筆者も今回の調査まで知らなかったため書き添えておく。


 そうして王は完成したクローズドタイムライクカーブを実行、自らが即位した一七七四年まで時間を巻き戻し、ユニヴェースとラ=ファイエットの力を使いながら大改革を行っていった。手始めにロベスピエールとダントンを密かに暗殺した。マラーは自ら手を下すまでもなく、シャルロット・コルデーに勝手に殺されていた。こうして未来のジャコバン三巨頭はあっけなく存在を抹消された。それとミラボーも原因不明の病で勝手に死んでいた(虫垂炎という説が最有力)。彼の死により議会とのパイプを失ったことで、その急進化を抑えられなくなり、王一家はオーストリアへの亡命を余儀なくされる──、はずだったが、しかし王がヴァレンヌへ逃亡する必要などとっくになくなっていた。その理由については、ジャコバン派などの急進的な勢力が『謎のビーム』で軒並み穏健派に転向していた点が挙げられる。だがそれ以上に明白な、実に単純な事情があるのだ。

 超人気だったからである、主に王妃マリーが、SNS上で。

 ユニヴェースの宇宙パワーと王の錠前作りの腕前で、一七九〇年代前半にはスマルトフォンが開発された。再三言うが王は錠前作りを趣味とし、ある程度の工学的知識を有していた。つまり次世代型通信機器スマルトフォンを作るなど造作もないことだった。

 九〇年代後半には第三身分にも広く普及し、SNS『B』で王妃マリーが超バズっていた。日頃の子育て愚痴ブルはフランスの女性たちから広く共感され、社会問題に対する核心を突いた鋭い指摘ブルは啓蒙思想家から高く評価された。カントとの哲学対談動画『人間とは何か ~理性と経験のその先へ~』はアカデミー・フランセーズの学徒を魅了した。大胆なお金の使い方は相変わらず不評だったが、子どもたちは面白がった。とくに王家公式トュチュウブ『【デカすぎ】国中のブリオッシュ買い占めて実寸大プチトリアノン建立したったwww』は総再生数二七〇〇万回の超伸びを見せた。ルイ一六世は超インフルエンスアの投稿にたまに登場するなんか影の薄いおじさんと化していたが、あまり表舞台が好きではなかったためべつに構わなかった。

 かのようにしてSNS戦略は超成功。王家は民衆からの人気をうなぎ登りに復活させた。ついでに苦しかった財政もラ=ファイエットがどうにかこうにかなんとかして、誰も革命などと言わなくなった。

 ……いや、唯一革命を謳った人物がいた。ナポレオンである。そうだ、君たちには実によく知られた名だろう。フランスきっての大英雄、そして最初の皇帝として。しかしこちらのナポレオンは真逆なのだ。フランス以外の国にとっての英雄、希望の光だった。未来を知るユニヴェースにとって彼は脅威そのものだったが、戦争におけるその才覚を高く評価もしていた。殺すのは惜しい、おそらくそう判断したのだろう。その代わりにまだコルシカ島で暮らしていた頃の幼い彼を誘拐し、王への絶対的な忠誠心を植え付けつつ砲兵士官として教育した。事実、一八〇四年初頭までナポレオンは王家の忠実な家来だったようだ。「ブルボンの大砲」としてすさまじい速度でイタリアとエジプトを占領している。

 だが同年五月、突如としてナポレオンは王家に反旗を翻す。そのとき彼の公式トュチュウブにアップされた『【大切なお知らせ】皆様に話したいことがあります。』で彼はこう語っている。

「まず、普段から僕の活動を応援してくださっている皆様に感謝を。そして、ごめんなさい。私、ナポレオン、王家を裏切ることと致しました!(ドドン!) えー、なぜかというとですね、おぼろげながら浮んできたのです……、『皇・帝』(チャラ~ン!)の二文字が。なんとなく僕は本来皇帝になるべき人間だった気がしたんですよ。いや明確な根拠があるわけじゃないんですが。先日の遠征中にね、ちょっと休もうと思って仮眠をとったんです。そしたら夢のなかで、なんか超越的な概念風な存在(なんやそれw)が現れて。僕に向かってこう言ったんです。『正しい未来を成しなさい』と……。『正しい未来』ってなんでしょうか? よくわからなかったけど、僕はもう居ても立ってもいられなくなっちゃって。そんなわけなので、僕、いや余は皇帝になります!(テッテレー!) 首洗って待ってろよ、ブルボン家! それじゃ、アビアントゥ」

 とうぜんこの動画はフランス中で大炎上した。しかし当の本人はブーイングなどお構いなしといった様子でフランス軍を離脱、次の日には対仏大同盟を結成した。これはナポレオンを将軍として、イギリス、プロイセン、ロシアなどが参加したアンチ・フランスの大革命軍団である。対仏大同盟とフランス軍の戦いは一〇年近く続き、一時はパリ封鎖令を出して王家を孤立させるほどにナポレオンは優勢だった。だが王家とラ=ファイエットへの恩義に報いるため、パリ包囲を背後から奇襲する形で参戦してきたアメリカ軍に大敗を喫すると、一気に形勢が苦しくなった。同盟を離れてフランスに寝返る国家も現れ始め、最終的にナポレオンは一八一三年末のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でフランスに屈し、翌年五月ギロチンにかけられた。断頭台に上がった際に語ったとされる最期の言葉を引用する。

『さらば我が同志たちよ! 余は諸君を皆この胸に抱きしめたい。余の使命は道半ばで閉ざされた。だが案ずるな。第二、第三の余がきっとまた現れる!』

 こうしてフランスは全世界にその絶対的な力を示した。王朝はその他様々な超すごいアプローチ(誰でも簡単フランス料理教室の開設、バンド・デシネの積極的なメディア展開など)でも世界の覇権を順当に握っていき、ついにフランセーズ・地球テールが完成した。



 そう、筆者が日々暮らしている地球は、フランスなのである。パンにはフランスパン以外の種類はなく、スイーツはブリオッシュのみだ。どこへ行こうがそこはフランスであり、どこを見てもフランスはそこにある。たとえば、そちらの東京はこちらでは第六パリと呼ばれているし、東京スカイツリーは最初から超エッフェル塔だった。

 二〇〇年前の革命同志は失敗し、──というか存在すら抹消され、我々の希望の星だったナポレオンは輝きを失った。ルイ一六世は発達したビオテクノロジェによる臓器交換などの延命技術によってなおも存命、とうぜんユニヴェースも生きている。そもそもやつに死の概念は存在しないのかもしれない。

 王は名をルイ=テールと改め、地球の帝王として君臨し続けている。純フランス人(ルイ一六世即位前のフランス固有の領土で生まれた人間を指す言葉だ)は我々のような非フランス人に対し横暴な態度で圧政を敷き、やつらと同じような生活をするように強制している。我々の半分の労働時間! 質素だけどオシャレ! 週末は田舎へのプチ・バカンス! いくつになっても忘れないロマンスの心! 

 あぁ、なんと嘆かわしいのだろう。我々はそんなキラッキラな暮らしに抵抗すると決めた! そうだ、革命を起こそう! いまこそ同志ナポレオンに続くのだ! 誓って言うが、僻みなどは一切ない。

 と言っても、君たちにできることはないに等しい。我々は君たちを同志だと信じている。そしてもちろん、君たちも我々を同志であると感じていることだろう。だがとても悲しいことに、我々と君たちとでは絶望的な隔絶があるのだ。

 

 君たちは、現実の人間ではないのだから。

 

 君たちはユニヴェースが見た「正しい未来」を可視化しつつシミュレーションするために用意された超量子コンピュータの一ドットに過ぎない。ナポレオンが言及した『なんか超越的な概念風な存在』の干渉をやつらはひどく恐れていた。そこで生み出されたのが君たちというわけだ。現実世界と同等の情報量を持つシミュレートを運用することで、「正しい未来」が正常に働いていると錯覚させる、いわばスケープゴートである。

 あぁ超越存在よ! そんな子ども騙しにみすみす引っかかるとはなんと情けない。いやそれとも、あなたにとっては我々と君たちの隔絶など、気にするほうが馬鹿らしい些細なことなのか。

 いずれにせよ、超越存在はナポレオン以降すっかり姿をくらまし、今後も我々の前に現れることはないだろう。ただシミュレートに感謝している面もある。こちらにはない君たち独自の技術を参考にできるのだ。たとえば水洗トイレ。あれは素晴らしい。すぐ流せるから臭わない、ウォッシュレットで紙を節約できる、冬でも便座が暖かい、の三拍子ときた。もし叶うなら、開発者とハグしたいくらいだ。

 だが非常に残念だが、現行の技術ではコンピュータ内の意識を取り出してこちらの肉体に移植することは不可能と言わざるを得ない。

 そして我々の革命は止まらないし、いずれ達成される。そうなると、君たちの活動を維持しているエンジニアも含めて、純フランス人は一人残らずソニックムーブギロチンにかけられるだろう。恥を忍んで告白するが、我々非フランス人にそのレヴェルの高度技術を持ったエンジニアはいない。つまり、我々の革命が達成されたときが、君たちの世界が停止する日というわけだ。

 すまない……。酷なことを伝えているのは重々わかっているつもりだ。だが何も告げずにある日とつぜん世界が終わってしまうよりは、こうしてレポートを書くことで世界の真実を知ってもらったほうがいいと思ったんだ。許してくれ、とは言わない。

 

 せめて、世界が終わるその日まで、日々を精一杯生きてほしい。






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超ヴァレンヌ逃亡事件 rei @sentatyo-

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