5
部屋の扉を叩く音で目が覚めた。
収まらない吐き気に口元を抑えながら、ベッドから下りて千鳥足でドアに向かう。ドアを開けた先に立っていたのは、すっかり魅力的な女性へと変貌した木村さんだ。
「南くん! ついに!」
木村さんは揺れる船内を驚くべき速さで突き進んでいく。僕もふらつく足で必死に木村さんの後を追いながら、高揚を感じずにはいられなかった。
階段を上がったところにある操舵室には、すでに多くの隊員が集まっていた。
極地研究所の方や気象庁の方、通信・機械関係の方、研究者に報道関係者、医療スタッフに専属のシェフ。所属も役割も様々だが、誰一人抜けても南極観測隊は成立しない。
中学卒業後、木村さんと再会したのは観測隊の初顔合わせのときだったし、ここにいる人たちは不思議な縁で繋がっている。木村さん以外の人とは会ったことがないはずなのに、どこかで会ったことがあるような、そんな居心地の良さと連帯感を抱いていた。
窓の外はどこまでも白い世界が広がっていた。
荒れ狂う海を船は進み続け、氷山が確認されるとすぐ、辺りは氷の世界と化した。日光を遮るものは何もなく、世界全体がきらめく様子はこの上なくまぶしかった。
「ほら、あそこあそこ」
木村さんだけじゃない。そこにいる多くが双眼鏡をかまえ、押し合うようにしてはるか前方を見つめていた。
目をこらすと、銀世界にごまのような黒い点がいくつか見える。
木村さんが差し出してくれた双眼鏡を受け取ろうとしても、焦るばかりでなかなか上手く扱えなかった。興奮のあまり、飛び跳ねそうな気持ちをこらえてレンズをのぞく。
最初は真っ白い氷だけが映っていたが、少し動かすとレンズの中に彼らの姿を捉えることができた。
真っ黒い体に雪のように真っ白なお腹。目の周りの白い輪っかはどこかとぼけたような表情にも見えるが、それでいて動きは俊敏で元気よく歩き回っている。
アデリーペンギンだ!
水族館などでその姿を見たことはあった。でも、実際に極地を駆け回るペンギンを前に、僕は無言でうなずき続けることしかできなかった。
僕も、木村さんもなぜか泣いていて、どうして泣いているのかわからないことが面白くて、南極やペンギンはやっぱり強くて美しかった。
じいちゃんが帰ってきたあの日、じいちゃんは疲れて眠ってしまうまでずっと、南極やペンギンの話をしてくれた。お盆が明けるとあのエンペラーペンギンは話すことも動くこともなく、じいちゃんはばあちゃんのもとに帰ったんだろうな、と思った。そんな気はしていたが、それでもやはり寂しかったことも本当だ。
じいちゃん。あのとき帰って来てくれてありがとう。
そして、僕を南極に連れてきてくれてありがとう。
あのコウテイペンギンのぬいぐるみは、今も僕の部屋の本棚に飾られている。じいちゃんは観測船に乗りたいだろうか、と一瞬考えたが連れてくるのはやめた。じいちゃんには無事に帰ったときにたくさん話をすればいい。
きっと、じいちゃんとばあちゃんは僕の帰りを心待ちにしてくれているだろうから。
ペンギンじいちゃん 藍﨑藍 @ravenclaw
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