余話6:朝の一幕

 整備された石畳の上を歩きながら周囲を見回し、リジーナは帽子の下で薔薇色の目を輝かせた。

 東から昇ったばかりの太陽に照らされ、毎日早朝から昼時にかけて行われる市場に訪れた人々の顔が輝いて見える。レンガ造りの建物の下で声を張り上げる店主たちは、片手に魚や野菜を掲げて客引きをしていた。

「すっごい……朝からこんなに賑わうんだね」

 異国の市場を見るのは初めてだ。ついふらふらと歩いて行ってしまいそうだが、その気配を感じ取ったらしいフォセカに腕を掴まれ、背後に構えていたライラックに肩を掴まれた。

「この人ごみだぞ。迷子になって困るのは誰だと思ってる」

「王子様の言う通りよぉ。しかもリズちゃん方向音痴じゃない」

 厳めしい顔で注意をしてくるフォセカと対に、ライラックはおどけたように言ってくる。相変わらず筋肉質で男性的な体と口調が合致していないが、もう慣れた。

 二人の注意を素直に聞き入れ、リジーナは「ごめんなさい」と舌を出した。

「でも、美味しそうなものいっぱいでビックリしちゃって。あそこの、ほら」

 そう指さした先にあるのは、こんがりと焼きあがった肉と炙った野菜、それらを鮮やかな薄緑色の葉で巻いた食べ物だ。どうやらフォセカの国では国民に愛されている食べ物らしく、すれ違う人の多くはそれを片手に市場を巡っていた。

 確かにおいしそうよねえ、とライラックは指を咥えるが、精霊である彼に食事は必要ない。彼とそう長い間接しているわけではないが、今のところ何かを口にしている様子を見たことは無かった。

「ライラックもお腹って空くの?」

「空かないわよ。アタシにとって食事って嗜好品みたいなものだし、別に食べなくても生きていけるけど。でも、あれ美味しそうね」

「……それはつまり、俺に二人分買えって遠回しに言ってるんだな。そうだな?」

 王子が国民に混じって市場に来ているとばれない様に一時的に黒く染めた髪の下で、若紫色の瞳がぎろりとライラックを睨む。それに動じることなく、

「あら、理解が早くて助かるわあ」

 ねえ、とリジーナに同意を求め、ライラックは腰をくねらせた。

 諦めたようにため息をついたフォセカは静かに店に近づき、言われた通り二つ買ってきてくれた。何だかんだ言って根は優しいのだと、婚約者であるリジーナは理解している。

 ほら、と差し出された食べ物を受け取り、人の多い本通りから脇道にずれ、仲良くそれに齧り付く。

 肉と野菜に胡椒が振られているのか、とても香ばしい。葉も新鮮なのだろう、口の中でシャキッと瑞々しい音を立てた。

「美味しい! これ何のお肉なの?」

「何種類かあるけど、それは羊肉のやつ。あとは鳥とか牛とかだな」

 それ全部食べたい、と言い出せば、間違いなく困った顔をされるだろう。それも面白そうだが、迷惑な女だとは思われたくはない。黙っておこう。

 ぺろっと葉を捲ったライラックは、食感を楽しみつつ首をひねった。

「中に入ってる野菜(これ)は、何かしらね。赤いのと緑と、黄色いの。王子様、分かる?」

「そこまでは俺も知らん。滅多に食べないし。――というか王子様って言うの止めろ」

「あら、自国のものなのに。――いいじゃない、フォセカって何だか呼びにくいわ」

「城で出されるもんとここで売ってるもんは違うし、それを言うなら俺よりお前の方が詳しいだろうが。この国について。――そうかよ、勝手にしろ」

「だって、アタシが居たころはこんなもの無かったわ」

「ライラックが居たころって、何年前だっけ?」

「千年以上前よ。この国に戻ってきたのは三十年くらい前だし、つい最近までそれに封印されてたわけだし」

 そう言って目を向けたのは、リジーナの首もとで輝く薄黄紫のペンダントだ。今では自由に出入り出来るライラックだが、つい最近まではそこから出ることは出来なかった。彼の話では、その空間は真っ暗で自分の指先すら見えなかったという。

 そこから解放したのがリジーナだからか、ライラックは彼女を主人として扱っている。

 あっという間に食べ終えてしまったライラックは興味深そうに店に近づいていく。ペンダントを持つリジーナとその欠片を渡されたフォセカ以外に、彼の姿は見えない。人々は彼を通り抜け、楽しそうに買い物を続けた。

 奇妙な光景から一度目を離し、リジーナは肉を咀嚼しながら何となくフォセカを見上げた。

 先日大きな争いがあったこの国だが、今ではすっかり平穏を取り戻している。それが嬉しいのか、フォセカの顔には安堵が浮かんでいた。

「ねえ、フォセカ」

 口の中のものを飲み込み、はい、と持っていたそれを差し出した。

「一口どうぞ」

「いいのか? お前が食べる分少なくなるぞ」

「買ったのはフォセカだもの。だから貴方も食べるべきだわ」

 気にはなっていたのだろう。フォセカはリジーナの手首を掴んで自分に近づけ、遠慮しつつ普段よりも小さな口で噛り付いた。

 味わうようにして何度も噛み、やがて微笑んだ。

「久しぶりに食べたけど、美味いな。今度城でも作らせようか」

「そうね。私も作ってみたいし」

「楽しみにしてる」

「ねえちょっと王子様! アタシこっちのお店も気になるわぁ!」

 市場の喧騒を遮るような大声で呼びかけられ、二人は同時にそちらを向く。人々の頭上に浮いたライラックは先ほどの店の隣を指さし、早く早くと手招きを繰り返した。

 そこにある店では、花を形作るようにして切られた数々の果物が並べられていた。売るときは串に刺すらしく、店主の前には数えきれないほどの串が置かれている。

「お母様に買って行ったら? 確かお花好きだったでしょ」

「そうするか。あと、父さんの分も」

 今では肖像画でしか見ることが出来ない亡き父の姿を思い描いたのか、フォセカの顔が一瞬だけ悲しそうに見えた。それを隠すようにニッと笑った彼の手を握り、リジーナは静かに頷く。

 悲しさも、楽しさも、自分はすべて受けとめる。そう分かってもらえるように。

 伝わったかのか定かではないが、何かを理解したらしいフォセカは「ありがとう」と呟き、そっと手を握り返す。

「ちょっとぉ、何してるの? 早くしてったら!」

 あまりにも退屈だったのか、不貞腐れたようにライラックは空中でごろごろと寝転がっている。自由すぎるその様子が面白くて、ついクスッと笑ってしまう。

「ごめんね、今行くから!」

 手を繋いだまま、リジーナが先に駈け出す。それに引っ張られるようにしてフォセカも大通りに飛び出した。

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王女リジーナ、選択の時。 小野寺かける @kake_hika

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