余話5:望む未来

 降りしきる雨の中、アリウムは大木の下で体を休めていた。

 生まれた頃から十八年間過ごしてきた洞窟から外に飛び出し、ようやく明るい世界で生きることが出来ると思った矢先にこれだ。

 アリウムの父は長年、自身の兄が王位を継承したことを許せずに反乱を企てていた。王位へ妄執を抱く父には辟易していたし、自分は平和を愛している。反乱にも反対していたが先日ついに実行されてしまい、結局は阻止されて父は投獄されてしまった。

 本来ならばアリウムも反乱に加担した者として投獄される身だったのだが、諸事情があってこうして自由の身を得た。

 せっかくだし、世界を見て回りたい。その想いで故郷のガニアン国を発ったのだが、日が沈み始めると同時に雨が降り出したのだ。仕方なく近くにあった巨木の枝葉で雨宿りをすることにしたのだが、自慢の黒髪はすっかり濡れてしまっている。

「まったく。もう少し森の奥に進んで野宿でもしようと思ってたのに」

 肩に担いでいた麻袋をおろし、中から干し肉を取り出す。がじがじと口に咥えながら独り言を呟き、止む気配のない雨を見つめ続けた。

 その時、靄の向こうでゆらりと何かが揺れた。アリウムは自分が歩いてきた方向に瑠璃色の瞳を向け、注視する。薄闇と雨のせいではっきりとは分からないが、どうやら人影らしい。

「僕以外に、誰か国を出てきたのかな」

 アリウムが歩いてきたのはガニアン国から隣のフォルティス国へと続く一本道だ。出国の際には自分一人しかいなかったはずだが、気付かなかっただけだろうか。

 人影は徐々にこちらへ近づいてくる――かと思いきや、ぴたりと止まった。

 雨の音だけが響く中、アリウムは腰に装備した鞭に手を伸ばした。

 十八年間、洞窟の中では様々なことを培った。特に気配を察知することに長けていたアリウムは、仲間たちからよく褒められた。

 離れていてもよく分かる。人影から発せられているのは、一切澱みがなく、純粋で真っ直ぐな。

 とても綺麗な、殺意だった。

「……そんなところで立ち止まってないで、こっちに来たらどうなの?」

 最大限に警戒しながら、人影に向かって声を張り上げる。アリウムに応じたように、徐々に二人の距離が狭まっていった。

 次第に人影の姿が明らかになっていく。アリウムの目の前に現れたのは、ローブを目深に被った少女だった。少女の萌葱色の瞳は虚ろだが、まるで獣のようにアリウムをしっかりと睨みつけている。小柄ではあるが、言い様のない存在感があった。

「お前が、アリウムか」

 存在感に似つかわしくない声は、凛と澄んでいて美しい。

「そうだけど」アリウムは鞭から手を放すことなく、少女を観察しながら頷いた。「君は誰かな。僕を殺す気だってのは何となく分かるけど」

「私は、マリー。ガニアン国の、殺し屋」

 ぬう、と少女が手を伸ばした。握られていたのは鈍い光を放つダガーだった。

「殺し屋? 殺し屋が僕に何の用だろう」

「あなたを、殺しにきた」

 淡々と言葉を紡ぐ彼女に感情らしい感情はなさそうだ。

 アリウムはふっと口元を緩ませ、「それは無理だよ」と嘲笑う。

「伊達に長年反乱軍に身を置いてないよ。それに、君、僕より年下だろう? 殺気は立派なものだけど、真っ向から堂々と殺し屋です、なんて名乗るなんて」

 それは少し、勉強不足なんじゃあないかな?

 アリウムは腰から鞭を引き抜き、目にも止まらぬ速さで振るった。少女は驚いたように一瞬だけ身を引いたが、すぐに気を取り直したようにダガーを握る。

 いや、握ろうとした。

「……えっ」

 彼女の手にあったはずのダガーは、アリウムの手に収まっていた。

「僕に近づきすぎたね。君、色々と未熟だろう」

 手にした武器を弄び、雨に濡れるのも構わず一歩一歩マリーに近づいていく。彼女の瞳を覗き込みながら、その首筋にダガーの刃を翳した。

「それで、マリー。君はどうして僕を殺そうとしていたのかな」

 嘲笑交じりに問いかける。マリーから発せられる気配に、動揺が混じり始めた。

 しかし、

「おっと」風を切る音が耳元を通り過ぎる。アリウムは頭の横で存在感を放つナイフを横目で見やり、くくく、と笑いを零した。「なるほどね。まだ丸腰じゃなかったわけだ」

「……黙れ」

 マリーの右手には、飾りっ気のないナイフが握られていた。アリウムが迫ってきたのをチャンスと踏んで隠し持っていた武器を取り出したらしいのだが、素早く避けられてしまった。

 アリウムは華奢な彼女の右腕に手を添え、「それで?」と問いかけた。

「どうして僕を殺そうとしていたのかな」

 嘘を言ったら――分かるね? アリウムはダガーを翳して微笑んだ。

「……お前は、私の理想の人の未来を、奪ったんだ」

「へえ?」

 徐々に語りだしたマリーの声は、怒りで震えていた。

 未来を奪った、となると、反乱が起こった際に巻き込まれた民衆の家族か恋人か何かだろうか。そう見当をつけていた時に飛び出してきたのは、

「セシル様の未来を、奪ったんだ!」

 反乱を企てたアリウムの父の名だった。

「セシル様は素晴らしい人だ、きっと国を導いて下さる偉大な人に違いないって母が言っていたし、私もそう思っている! 反乱の計画は完璧だった。けれどお前は、セシル様を妨害した! セシル様は投獄され、暗い闇の中を一人で過ごしている! あのお方はきっとお前を、邪魔をしたお前を殺したがっている。だから私が代わりに、」

「はいはい分かった」

 アリウムは彼女の口を塞ぎ、うんざりだと言いたげにため息をついた。

 彼女の言う通り、反乱が失敗に終わったのはアリウムにも一因がある。出せる力を出し切ってでも王位を奪おうとする父を止め、「もうやめるべきだ」と訴えたのだ。

 だが、そうした事に何の理由もないわけではない。

「ねえ君。知ってるかな」

 アリウムはマリーの視線に合わせてしゃがみ、彼女の口から手を放す。

「僕は父さんを助けたかったんだ」

 それは、自分だけが知っている真相だった。

「父さんは病に侵されていた。僕らの味方だというなら、反乱軍が生活していた状況を知っているはずだよ。まともな治療も受けられずに、父さんの病は進行していった。あのまま戦って、仮に王位を手にしていたとしても、その時は手遅れになっているかもしれなかった」

 父は仲間に一切知らせず、息子であるアリウムだけに病の事を話していた。常々心配はしていたのだが、反乱決行の前日に「限られた時間で戦ってみせる」と覚悟を口にしていた。王の座についても、国を治めることは出来なかったかも知れない。

 それでは夢も何もあったものではない。

「僕は父さんに病を治してほしかった。確かに投獄はされているけど、僕のお願いとリジーナちゃんの熱意で治療を受けることになったからね。あのまま戦い続けているより、ずっと良い未来が待っているはずだって確信してたんだよ」

 過酷な状況で暮らしていたアリウムに優しくしてくれた従兄弟の婚約者を思い浮かべながら、マリーの手を握る。

「確かに父さんは僕を恨んでいるかもしれないけど、殺そうとは思っていないはずだよ」

「ど、どうしてそんな事が分かる」

「親子だもん」

 ぽん、と彼女の頭を撫でながら立ち上がり、アリウムはフォルティス国へと続く道を歩き出した。

「じゃあね、マリーちゃん。殺気は立派だったよ。殺し屋を目指すんなら、もう少し感情を削るべきだね」

 それじゃあ、これは戦利品として頂いていくから。

 ダガーをゆるゆると振りながら、呆然と立ち尽くすマリーから距離を離していく。

 彼女や、彼女の母が抱いているアリウムの父への憧れは徐々に消え薄れていくだろう。正確には薄れていってほしいと感じている。争いは無いに越したことは無い。父への尊敬を抱いていては、アリウムの望む平和は訪れないかも知れないのだ。

「これからもこうやって恨まれるかもしれないのかなあ」

 肝に銘じておこう、と微笑みを浮かべ、アリウムは森の闇に消えていった。

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