最終章 虹の彼方に
「そんなことがあったんだ。頑張ったね」
数日後、僕はミサキへ家族間で起きたことを報告した。
僕は、肩をすくめる。
「まあ、そのせいで、家族は誰も口を聞いてくれなくなったよ」
「転向療法のことは?」
「何も言ってこなくなった。完全には諦めてはいないみたいだけど、さすがに弁護士のことに言及されたら、引っ込めざるを得ないんじゃないかな」
廊下にある窓際で話している僕らの背後を、他の生徒が通り過ぎていく。
現在は、昼休みだった。僕とミサキはプライドパレードに参加して以降、校内でも頻繁に接するようになっていた。
ミサキは目の前の窓枠に手をかけ、外を眺めながら言う。
「これから家族と、どういう風にして接するの?」
「少しずつでも、説得して、理解してもらえるよう努力するよ。時間は沢山あるから」
「そう」
ミサキは笑顔で頷いた。
プライドパレードに参加してから、僕を取り巻く環境は大きく変わった。クラスで受けていたいじめはなくなり、とりあえずの平穏は訪れた(その代わり、タクヤが今度は危害を加えられるようになっていた)。家庭内でも、孤立した状態ではあるが、転向療法の危機は、今のところ、去っていた。これから家族に、異性愛を理解してもらうための、説得の日々が続くだろう。
良くも悪くも、変化は訪れた。僕自身の内面も――。
ミサキは僕の意識を受け取ったかのように、ちょうどのタイミングで言った。
「そうそう。あの件、岡部さんに話したら、喜んで歓迎しますって言ってたよ」
「そうなんだ。よかった。ありがとう」
僕はホッとする。
僕は以前、ミサキへ、東京レインボープライドのボランティアスタッフとして、協力させてもらえるよう打診のお願いをしていた。その答えが今きたのだ。
「これからよろしくね。ハヤト」
「うん。こちらこそよろしく。それからミサキ、色々と本当に、ありがとう」
最近だが、僕とミサキは下の名前で呼び合うようになっていた。
学校のチャイムが鳴り響く。
「それじゃあ、また放課後、部活が終わってから」
「うん」
僕らはその場で別れた。
放課後になり、僕は部活動へ向かう。
部活が始まってから、少しして、僕は部長を理科準備室へ呼び出した。伝えたいことがあったからだ。
僕は部長へ、一枚のイラストを手渡した。それは、プライドパレードへ寄稿したイラストだった。『虹の彼方へ』を元にした作品。タイトルも同じだ。
僕は、作品のコンセプトを部長へ説明した。それから、このイラストを次の部誌へ載せて欲しいと頼んだ。
部長は難色を示した。
僕が理由を尋ねると、部長は苦虫を噛み潰したような表情で、おずおずと教えてくれる。
「部誌は異性愛をアピールする場ではないからね……」
「でも、腐女子的な異性愛作品は載せてますよね?」
「それとこれとは違うよ」
「違わないはずですよ」
僕は、部長を説得にかかった。必死に訴え、頭も下げる。
やがて、部長は不承不承、了解してくれた。
次の部誌には、僕の作品が載る。こうやって前例を作ったのだから、これから先も、性的マイノリティを訴える作品を載せてもらえるかもしれない。
僕は希望を覚えた。
部活が終わり、僕は待ち合わせをしていたミサキと共に帰路に着く。
薄闇の中、ミサキと話をしながら南太田駅へ向かう。ミサキへ部誌に『虹の彼方へ』のイラストが載ることを話したら、自分のことのように喜んでくれた。
駅に到着し、ちょうどやってきた下りの列車に僕たちは乗り込んだ。
乗車中は、僕らは無言で過ごした。
やがて、僕の僕が降りる上大岡駅が近付いてくる。僕は、ミサキへ言った。
「ミサキ、今日これからうちにこない?」
ミサキはしばらく、考える仕草をしたが、コクリと頷いた。
それから、僕たちは、共に南太田駅で降り、望月家を目指して歩いた。
家へ到着し、ミサキを連れて家に入る。そして、僕はそのままミサキを自室へと通した。家族は全員帰っているようだが、僕はミサキを紹介しなかった。
ミサキも質問する。
「ご両親に挨拶しなくていいかな?」
僕は肩を上げて答える。
「ニュースでプライドパレードの映像を観て、両親はミサキの顔も知っている。紹介しても、無視されるだけだよ」
「そうなんだ」
「いずれ、親を説得できたら、その時はちゃんと紹介するから」
「うん。わかった」
ミサキは笑顔になった。
自室にて、僕はミサキと話をする。僕は椅子に座り、ミサキはベッドに腰掛けている。
家族は現在、居間で夕食の最中だろう。あの一件以来、僕が食卓へ並んでいなくても、誰も呼びにくることはなくなった。
だが、これでいいと思う。これからなのだ。ゆっくりと歩み寄ればいい。
ミサキと話が盛り上がったところで、僕はミサキの隣に座った。ミサキは拒否をしなかった。話を止め、じっと俯く。
僕は、ミサキへ言った。前から言いたかったことだ。
「ミサキ、ありがとう」
「え?」
ミサキは顔を上げ、きょとんとした表情をこちらへ向けた。
「まだ、あの時のお礼を言ってなかったね」
「あの時?」
僕は頷いた。
「僕が自殺しそうになった時、ミサキ、止めてくれたよね。その時のお礼を言ってなかったよ」
「あ……」
僕は、気恥ずかしくなって、頭を掻いた。
「本当は真っ先に言うべきことだったんだよね。命の恩人なんだから。本当にごめん」
ミサキは慌てて首を振った。綺麗な髪が揺れる。
「ううん。いいの。私もハヤトが自殺を思い止まってくれて、本当に良かったと思っているの。だってこうして、一緒にいられるから」
「うん。本当にありがとう」
僕は、ミサキへと微笑んだ。
ミサキは、ゆっくりと、僕へ寄りかかった。僕はそれを優しく受け止める。
ミサキは顔を上げた。僕と目が合う。
それから僕たちは口づけを交わした。
僕は、ミサキを上大岡駅まで送った。その時、ホームで僕はミサキへ一つ、お願いをした。
それを訊いて、ミサキは戸惑いの表情を浮かべた。
「私は大丈夫だけど、本当にいいの?」
僕は胸を張る。
「うん。いけるよ。他の生徒もやっていることだし、これから少しずつ、アピールしていこう」
僕がそう言うと、ミサキは納得してくれた。
列車がやってきて、僕はミサキを見送る。
上大岡駅から、家へ戻る最中、湿った風が頬をなでた。夜から雨が降るかもしれない。
そう思った。
夜中から降り続いた雨は、朝になって止んでいた。
僕とミサキは、布津高校の校門前へ並んで立っていた。お互い、手を繋いでいる。周囲を歩く登校中の生徒が、妙なものを見る目で、こちらに視線を向けていた。
「行こうか」
僕はミサキに言った。ミサキは頷く。
僕らは手を繋いだまま、校門を通り、玄関へと向かって歩いた。他の生徒たちの視線が突き刺さる。だが、僕たちは、手を離さなかった。
太陽が出てから、雨が上がったせいだろう。校舎の後ろに、跨ぐようにして虹が架かっていた。
僕らは『虹の彼方へ』向かっているのだ。
虹の彼方に~同性愛が『普通』の世界で~ 佐久間 譲司 @sakumajyoji
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