朱音あかねが訪ねてきたのは、翌日ようやく限定面会が解除された午後だった。彼女は、ベッドで上体を起こしている包帯まみれのしらかげの姿を見た途端、肩を震わせて泣き出した。

「そんなに泣くな」

 恋人の予想以上の反応に、彼は戸惑った。心配をかけたことはよく分かっているつもりだったが、こんなにも派手に泣かれるとは。

「だって……こんな大怪我」

 翠色の目を潤ませ、彼女はしゃくりあげながら言った。そしてまた、顔を覆って泣き出す。艶のある赤茶色の髪が、さらさらとその顔を隠した。しばらく泣き止みそうにない。

「頼むから、泣き止んでくれ」

 驃の懇願も耳に入らない様子で、彼はしばらくただ困っていたが、やがて朱音は顔を上げた。まだ瞳を潤ませているが、そこには抗議めいた色が浮かんでいる。

 彼女は、出し抜けに言った。

「もう、やめて」

「──え?」

 なにを? 驃はすぐに思い当たらない。朱音は付け足した。

「もっと、安全な仕事だってあるじゃない」

 意味を察し、驃は狼狽うろたえた。

「警護隊を、辞めろって言うのか?」

 朱音ははっきりと頷く。

「今までも思っていたの。いつか大怪我するんじゃないかって。こんなの、耐えられない」

 驃は、言葉もなく彼女を見つめた。

 言われなくても、今、自分は崖っぷちだ。職に留まれても、怪我の回復の度合いによっては、降格になるかも知れない。だが、自ら職を辞すつもりは、毛頭ない。

「朱音……」

 泣き腫らした彼女の顔を見れば、無下にそうも言えない。自分を心配して、自分のためにこんなに泣いて。今までも、小さな怪我は何度かあったし、その度に心配をかけてきた。今回のような大怪我は初めてだが、今後も、どんな怪我をするかは分からない。だけど。

「そんなこと、すぐには決めらんねえよ」かろうじて、そう答えた。

「わかっているわ。でも、よく考えて」

 そうは言いながら、もう決めて欲しいという感情が、その顔にありありと浮かんでいる。驃は、胸が鈍く痛むのを感じた。これまで必死に鍛錬を積み重ねてきた日々と努力を、そんな簡単に放棄できるわけがない。けれど──

 朱音は、返事のない驃を見つめて重いため息をつくと、口を開いた。

「顔は……? どんな状態なの?」

 本人にその気はないのだろうが、怖いものでも見るような眼差しを向けられ、驃は目を逸らした。アディクに続き、またこの反応だ。

「俺も、見てないんだよ。ただ──傷痕は残るだろうって」

「そんな」彼女の口元が、震えた。

「顔に傷なんて」

 その言葉は、軽く驃の心をえぐった。目が覚めてからの自分の酷い状況に、周りには漏らさずともかなり落ち込んでいた驃は、早く朱音の顔を見て、少しでも気持ちを上げたかった。やっと会えたのに──気持ちが上がるどころか、押しつぶされそうな息苦しさが、彼を支配しようとしている。

「ごめん。ちょっと……横になりたい」

 言うや否や、彼女の反応も見ずに、驃は身を横たえて薄がけを被った。急に、忘れかけていた傷の痛みが戻ってくる。

<痛え>

 目を瞑った驃に、朱音のしぼんだ声が届いた。

「う、うん──ごめんなさい。ゆっくり休んで。……また、来るね」

 朱音の表情は、見なくても分かった。今の態度は、彼女を否定したも同然だ。だが──迷いながらも驃が目を開けると、部屋を出ていく彼女の後ろ姿が見えた。

<なんでだよ>

 こんなにも苦しい気持ちになるのは、きっと傷の痛みのせいなのだ。泣きたいのは、怪我で気が弱っているからだ。

<しっかりしろ>

 驃は左手を握り締めた。こないだの戦闘では、右手に及ばずとも、左手でも剣が扱えたことが命を繋げた。くよくよしている場合ではない。右腕の回復がいつになるか分からない今、この左手をもっと鍛えて、同じように使えるようにしなければ。

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