10

 薄曇りの隙間から、陽が差し始めた。

 剣を腰に装備し、荷物を左肩にかけたしらかげは、久し振りの開放感に、身体をぐっと伸ばして深呼吸をする。

「まだ全快じゃないんだからな。無茶はするなよ」

 見送りに出たカイドが、釘を刺した。

「分かってますよ」相変わらず、若干面倒くさそうな調子で、驃が答える。イルギネスが隣で苦笑した。

「言ってるそばから、休暇を短くしてくれなんて申し出てるんだから、信用できるわけないよな」

 カイドが同意する。「全くだ」

 本部からは、傷病二ヶ月が認められたものの、驃は一ヶ月でいいと断ったのだ。

「まだ、右腕も不自由だろう。大丈夫なのか?」

 心配したイルギネスに、驃が答える。

「少し追い込んだ方が、リハビリも捗るのさ。左腕でも、だいぶ剣が操れるようになってきたし」

 イルギネスは、辟易した。

「俺なら、休めるだけ休むのに。真面目すぎて、ついていけんな」

 言われ慣れた評価に、驃が笑った。「どうした」イルギネスがいぶかしむ。

「褒められるより、呆れられる方がしっくりくるなんて、俺もどうかしている」

「お前、そんなマゾだったのか」

「そうじゃねえよ。普段から褒めないからだろうが。いつも褒めろよ」

 驃が、左の拳をイルギネスに打ち込む真似をした。イルギネスが、受け止める振りをする。

「嫌なこった。好敵手ライバルをいい気にさせてどうする」

 そう言いながらも、イルギネスの青い瞳は嬉々としている。一度は死をも覚悟する状況だった親友が、元気に退院の日を迎えられたことは、心から喜ばしい出来事だった。

「ひとまず、ここは俺が持ってやる」イルギネスは、驃の肩から荷物をもぎ取るように奪って、自分の肩にかけた。

「まだまだこれからが、大変だからな」

 利き腕に大怪我を負ったあとで、元のように部隊に戻れるようになるには、どれほどの努力を要するかわからない。顔に付いた大きな傷痕も、慣れるまでは、少なからず周りの人間を驚かすであろう。

「いいさ。また、一からやり直すつもりで、乗り越えてやる」

 意気揚々と言った時、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、驃は目を凝らした。

「驃せんぱーいっ!」

 アディクだ。大きく手を振りながら、ゆるい坂道を駆け上がって来る。どうやら一人のようだ。

「今日退院だって、隊長に聞いて、ちょっと時間をもらって来ました」

 アディクは、息を切らしながら話す。彼は呼吸を整えると、驃に満面の笑顔を向けた。

「驃先輩、退院おめでとうございます!」

 ハキハキと大きな声で言われ、喜びを通り越して驃は慌てた。

「静かにしろ。ここは療養所なんだぞ」

 注意された後輩は「すいません」と項垂うなだれたが、イルギネスはアディクの肩を軽く叩き、大らかに笑う。

「いいじゃないか。慕われてて何よりだ」

「まあ、嫌われるよりはいいけどな」

 澄ました驃を、イルギネスが茶化す。

「嬉しいくせに。素直じゃないな」

 驃は黙ったまま、その言葉を肯定するように口の端を上げた。

 ふと、左手が腰元の剣の柄に触れた。それをそっと握り、感触を確かめる。療養中も左手での鍛錬を欠かさなかった結果、早くも右と変わらぬほど、その握り心地は馴染んでいた。

<そうさ。俺にはかけがえのない仲間と、この剣がある>

 今日もどこかで、魔物が人の世界を脅かしているのかも知れない。自分の状況を、憂う余裕などない。

 驃は、カイドの方に向き直ると、深々と頭を下げた。

「お世話になりました」

「どういたしまして」

 カイドは組んでいた腕を解き、腰に当てる。そして言った。

「まあ、しっかり己の道を行きたまえ。だが、怪我には気をつけてな」

「はい」素直に頷いた。

 振り返ると、イルギネスとアディクは、もう歩き出している。


<さあ、帰るか>


 その顔に、傷痕が霞むほどの清々しい笑顔を浮かべ、驃は一歩を踏み出した。

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軌跡一路 香月 優希 @YukiKazuki

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