お札を納める
朝吹
お札を納める
昔は未熟児や奇形児は、生まれてもその場ですぐに、産婆が首を絞めていたんだよ。
生かしておいたほうが残酷だから。食べ物もろくにない時代のことだもん。労働力にもならないし、大人になっても一人では生きていけないような子を、いったい誰が面倒をみるの。人権の概念が入って来たのは戦後のことで、大昔は育てられない赤子や乳児を間引いて殺しても罪には問われなかった。お寺の別帳にも名がないんだから。
「可哀そう」
わたしの話をきいた姉はうつむいた。姉は云う。
「今は、そういう子も学校にいるよ。施設もあるよ」
「迷惑でしょう」
「どうかな。いろんな子がいるから。それに、その頃であっても、我が子をそんな簡単には始末できない親のほうが多かったと想う」
「飢饉って知ってる?」
「うん」
「稲が育たない年は口減らしのために、老人や幼子は邑から棄てるしかなかったんだよ。共同体の判断が優先されるの。生き残るためにね」
わたしの言葉に、姉は首を傾ける。そして姉なりに考えたことを、ぽつぽつと口にした。
「一部のお母さんたちは、そんな子が教室に入ってきたら他の子どもたちが『お世話係』にされてしまうと眼を吊り上げるけど、お母さんたちのあれは、自分の頭では何も考えたことがない人の云い分に聴こえるの」
そこに気づくあたり、姉には思考力があるのだ。この思考力は、ある種の人間にとっては【敵】だろう。同じ考えに染まらないのだから。
「お世話係にされる。そういう時にはそう騒ぎ立てるものだと、全国で一字一句が決まっているかのように同じことを云う。実際に面倒かどうかの問題じゃなくてね、もしその子が自分の家族だったらという想像は一度もしないみたい。正面きって他人にきついことを、正義の鉄槌の
そういう人はどんな些細なことでも悪評にしてやろうとずっと監視しているし、すぐに吹聴して昂奮して嬉しそう。優越感を得る方法がそれしかないんだろうね」
でもね、と姉は眼をきらきらさせた。
「わたしのママは違うよ。人として恥ずかしいことだし仲間にはなりたくないって云ってる。そしてママはわたしには、こう云うの。
結託しているあの人たちの一味にならないせいで、そのせいでママの子どものあなたまで、『注意喚起が必要な問題児』と地域一帯から憎悪されたり、人生を潰す目的で悪評を吹聴拡散されたらごめんねって。
わたしは平気。そんな最低な人たちばかりじゃないもの。意外と子どもは悪口を云う大人たちの姿を覚めた眼で見てるんだよ。執拗に他人を見張って粗さがしをしては毒々しい悪口を拡散しているあの人たちの姿を、他のお母さんや友だちも、ちゃんと見ているってこと。かえってそのお母さんたちの子どもが立場を悪くしているくらい」
「でも、お世話係は大変でしょう?」
大変なこともあれば、楽しいこともある。姉は正直にそう応えた。
「何人かと組んで交代で担当してる。専門の先生もいるし、短い時間だからそんなに負担じゃない」
云い終えた姉は、ふと周囲を見渡した。そして姉はいま気が付いたように呟いた。
あれ。
どうしてこんな処にいるんだろう。
姉の顔がみるみるうちに、頼りなくなっていく。
「こわい?」
わたしは訊く。姉は「ううん。でも……」と云った。
その髪から雫が垂れる。姉の身体が濡れていく。姉だけが大雨の中にいるかのように、ずぶ濡れになっていく。
これでお別れだ。でも大丈夫なのだ。
わたしはいつでも、姉に逢えるのだから。
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
わらべ唄『通りゃんせ』。唄の最終部分は帰り道のことだ。天神さまにお参りに行って、帰ってくる。
わたしの邑では「よいよい」と「こわい」はどちらも疲れを意味していた。「こわい」は怖いではなく、疲れたという意味だ。
「よいよい」「こわい」はどちらも疲労感のことだが、「こわい」のほうが表現としてはより強い。
帰りが「こわい」ほど疲れているのは分かるのだが、行きも「よいよい」と疲れているのは何故なのか。天神さまの細道に辿り着く前に、すでに疲れている。そこに至るまでの道のりが遠かったからなのか。
その理由を、わたしは知っている。
七つのお祝いをするために連れて歩いている子が問題なのだ。
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
生かしておくわけにはいかん。
毎日、云われた。
お前を生かしておくわけにはいかん、お前に喰わせる飯はない。
ごく潰し。
囲炉裏端から祖父母と父、それに長兄がわたしを睨む。彼らがこれを云い出すと、わたしは石のように固まってしまう。頭を抱えて隅に行く。薪の火が飛んできたように身体中がひりひりと熱くなる。
田んぼを挟んだ向こうの家から、何かを抱えた産婆が出てきた。
産婆は邑に流れる小川に行き、腕に持っていた何かを、落ち葉のように川に落とした。
赤子の首をひねって、川の中に流して棄てたのだ。
川に棲む妖怪や河童は、こうして棄てられた赤子が下流に流れ着いたものではないかという説がある。木橋の橋げたに引っかかっている小さな人形。姉と一緒に怖々とのぞきこんだことがあるが、変な色をしていた。流れの中には糸のような臍帯が青白くふやけて揺れていた。
育てられない子はそうやって遺棄した。小さな邑の中で血を重ねていた時代のことだ。不具のある子がたくさん生まれた。
ところが判別のつかない子がいるのだ。見た目は満足な赤子。
そういう子は、少し育ててみて確かめるしかない。
姉が泣いて頼んでいる。待って、もう少し待ってやって。
この子が七つになるまでは。
「なにが」
祖父母が意地悪い眼つきをして、声を張り上げる。
「この子があれなのはもう分かり切った。このまま育てても無駄になるだけじゃ。天神さまじゃ」
「向かいの家みたいに、生まれた時に産婆に頼んで、ひねってもらっておくんだった。今年も冷夏じゃから稲が立たんで先はない。向かいの家はひとさまに迷惑をかけんかった。立派なことをした」
父と長兄まで、仁王立ちして云い放つ。
「わしとこだけがこれでは、邑の者らに示しがつかん」
待って、待ってあげて。
十二歳の姉がわたしを抱きしめて叫ぶ。わたしはこの姉に紐でおぶわれて育った。五歳年上のこの姉がわたしの母のようなものだ。
七つになるまでにはきっと、うまいこと追いつくから。
通りゃんせ通りゃんせ
ここはどこの細通じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札を納……
「逃げた。逃げたぞ」
「待てこら」
わたしは逃げた。堤の上を走った。足許が滑り、土手から転がり落ちて川の中に落っこちた。野分の後で増水していた川はあっという間にわたしを押し流し、石だらけの川床や流木がわたしの身体をばらばらにした。
「死体を引き上げんと見つかったら騒がれるぞ」
川上から声がする。父母と長兄がわたしを探している。
なんだ。
結局こうなるのか。
冷え切った水底でわたしは笑った。生まれた時にこの川に流されているはずだったのだから、元に戻ったということだ。
姉がいくら庇ってくれても、わたしの遅れは明らかだった。七歳までに他の子と同じことが出来ない子は、天神山に連れて行って埋めてしまう。そのことを、『お
七つのお祝いにお札を納める。罪悪感から免れようと人々はそんな云い方を編み出した。間違えてこちらに来てしまった子を天神さまにお返しするのだ、そうだそうだ。あちらではたんと飯もあるしな。
そうやって何処の邑でも、足腰の丈夫な、使える者だけが残るのだ。
出来損ない。
うう、うう。
わたしは泣いた。川の中で泣いた。
みんなと同じように生まれてきたかった。姉にも悪いことをした。あんなにも根気よく手を添えて、毎日色んなことを教えてくれたのに。
わたしの頭や手足は他の子と同じようには動かない。
「まだ箸すらよう持てんのか。焚きつけを集めることも出来んのか。育てて損した、死んでしまえお前なんか」
隅にいると、姉がやって来て、わたしを抱きしめる。
生まれた時からにこにこして、とても可愛い、おらの妹。
明け方に出立した。連れて歩くのは時間がかかるだろうと父母が相談の上で、お天道さまがまだ山の向こうにある頃に家を出た。それなのに、わたしを連れて野辺の路を歩くのはやはり難儀なことになった。
ほれ、しゃんと歩いて。真っ直ぐ前を見て。この晴れ着は今日のために、お前の姉がとっておきのものをお前にくれたものなんだ。その着物を汚すんじゃない。座り込むんじゃない。
父と長兄がうんざりした顔をして、道のはるか先でこちらを見ている。彼らの背におぶされば良いようなものだが、それもわたしは出来ないのだ。すぐに手を放して、だらりと、のけぞってしまうから。
姉は、家の外の薪小屋に篭って出てこなかった。一晩中姉の泣く声がそこから漏れ聴こえていた。
蟻地獄に落ちる蟻を眺めて座り込んでいたわたしを、母が小突く。地面から引きずり起こされて、無理やり引っ張られていく。わたしを突き飛ばしながら母がわめく。
よいよい。あんたな、最後ぐらい。
「最後くらいちゃんと歩け。生まれ損ない」
その途端に、ふわふわした。
怒鳴られるのは慣れていた。母は、姉のいる前では姉が止めるので怒りを露わにしなかっただけだ。わたしのことが母も嫌いなのだ。こんなにも。
ふわふわしたのは、そのせいかも知れない。
わたしは土手を走った。萩の花が盛りだ。木蓮や梅の木が並ぶ。春になって花が咲いたら、毎年、姉がここに連れて来てくれた。夕暮れまで遊んでくれた。
畝の向こうに生家が小さくなる頃、姉が薪小屋からとび出してきた。姉が叫んだその声が、飛び火のようにわたしの背中を燃やす。
逃げて。
川に落ちたわたしは濁流と共に走っていた。姉からもらった晴れ着のたもとをひるがえし、ぐんぐん走った。他の子と同じように膝を動かし、足先や踵をしっかりつけて、わたしは走る。走れるんだ。こんなにも力強く、速くとおく。
速く、とおく。
母は時折隠しようもなく苛立った様子でわたしを見ていたが、姉の眼は優しかった。わたしの命を姉が押す。
小手毬の枝を揺さぶる。たくさんの花びらが落ちてくる。白く雪のように降る。 学校沿いの並木道を、わたしと姉は散歩する。
こーこはどーこの細道じゃー。
昔は信号が唄ってくれたが、最近は鳥の擬音式に変わってしまった。
通りゃんせ。
街中を歩く人々は誰も私たちを止めたりしない。
「天神さまに、御用がある人」
「ないよーだ」
植木屋が店舗前にホースを出して、泥のついた空の植木鉢を洗っている。勢いよく出ているその水が姉にかかった。姉が脚をとめた。ふしぎそうな顔をしている。
あれ。
どうしたのかな。確か、川に落ち……。
姉の身体が濡れはじめる。
湯の中の砂糖のように姉の姿は消えた。水たまりだけが残った。でも大丈夫なのだ。わたしの眼の前には、行き交うたくさんの学童の脚が見えている。栗色のランドセルの少女がたて笛を吹きながら通りかかった。少女は路面に視線を落として立ち止まる。
「そこで何してるの?」
橋の下から欄干に手をかけて顔を出し、わたしは少女に微笑みかける。
川は大部分が暗渠と変わり、ところどころ、どぶ川となって表に出ている。田畑はすべて消えて家や道路になった。蓮花や菫の花もなくなった。天神さまだけは昔のままだが、昼なお暗く鬱蒼と樹木が生い茂っていた裏山は三方から削り取られてマンションと変わり、ぼた餅くらいの大きさになっている。開発されたとはいえ、神域は滅多なことでは掘り起こされることはない。あの山には大昔からの子どもの骨がたくさん埋まっている。たて笛のような骨が埋まっている。
わらべ唄『通りゃんせ』発祥の地域に流れるその川では、昔から十二歳前後の女の子がよく溺れ死ぬ。
地元の話だ。
[了]
※「通りゃんせ」の唄の解釈には諸説あります。こちらは、わらべ唄をもとにした創作怪談です。
お札を納める 朝吹 @asabuki
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