雨降れば悪夢も終わる

烏川 ハル

雨降れば悪夢も終わる

   

 一日の仕事が終わり、疲れた体を引きずって電車に乗り込んだ。この状態でガタンゴトンと規則正しく揺られると、どうしても眠気を誘われるのだろう。

 今夜も私は、いつも通り車内で居眠り。ただし、いつもみたいにウトウトと浅い眠りではなく、グッスリ熟睡してしまったらしい。

 ハッと目が覚めた時、電車は見知らぬ駅に到着していた。


 ドア全開で停車しており、車内は真っ暗。乗客は全て降りたあとらしく、一人の姿も見えない。

 終点まで乗り過ごしてしまったような状況だが……。

「どこだ、ここは……?」

 電車からホームへ降りながら、思わず叫んでしまう。

 この路線の終点ならば、大きなターミナル駅のはず。しかしここは小さな田舎駅だった。

 線路に挟まれたホームが一つ。ホームに置かれたベンチも、いかにも古そうな木造の椅子だ。照明器具も歴史の教科書で見たガス灯みたいな形状で、ボンヤリとした明かりを放つだけ。

 夜空を見上げても、月の光は全く見えない。かろうじて雲の隙間から、星明かりが少しだけ届く程度。

 薄暗い中で左右を見回しても、駅舎のたぐいは全く視界に入らなかった。最初の印象以上に寂しい場所らしく、民家や商店も皆無。右手に見えるのは山ばかりで、左手には雑木林が広がっている。

 近隣住民どころか駅員の姿もなく、文字通りの無人駅だった。


――――――――――――


 しばらくホームで立ちすくんでから、ようやく頭が働き始める。こんな時のためのスマホだ、と気づいたのだ。

 スマホの地図アプリで現在地を確認した上で、知り合いの誰かに連絡をとり、迎えにきてもらおう。

 そう考えたのに、スマホを見れば圏外のマーク。電話もメールも無理であり、地図アプリはなぜか開くことすら出来ない状態になっていた。

 ほとほと困り果てた私は、改めて周りを見回しながら、大きな声で叫ぶ。

「おーい! 誰かいませんか!?」

 人々が寝静まった夜遅くだから、これが都会ならば近所迷惑に違いない。しかし声の届く範囲に誰もいない場所では、そんな心配も不要。いや心配するというより、逆に「うるさい! 静かにしろ!」と誰か出てくるのを期待するくらいだが……。

 あたりは静まりかえったままで、私の声に応じる者は一人もいなかった。


「うん。無人のホームに突っ立っていても、何も解決しないぞ」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、私は左側の雑木林に向かって歩き始めた。

 集落あるいはせめて一軒だけの民家でもいいから、とにかく人間を探そう。ならば山奥よりは平地の方が可能性が高い。おそらく林を越えた辺りに誰か住んでいるのではないか。そう考えたのだった。

 私の想像を支持するかのように、それらしき林道も見つかった。舗装されていない土の道だが、明らかに獣道けものみちではない。人間の通行のために用意された道だった。

 雲間からの星明かりだけでは不十分なので、スマホのライト機能で足元を照らしながら進む。大きな木々に挟まれた小道を十数分、てくてく歩いたところで……。

 前方に人影が見えた。


――――――――――――


「おーい!」

 無性に嬉しくなって、そちらに駆け寄る。

 私と同じくらいの背格好の男性らしい。彼もこちらに手を振っているのだろうか。右手を高く挙げているのが目に入った。

 さらによく観察しようと、男の方にライトを向けた瞬間。

 突然雷鳴が轟き、稲光いなびかりで辺りが明るくなる。

「……見たな?」

 男の呟きは小さかったけれど、私に耳にはハッキリと届いていた。

 照らし出された男の表情は、鬼のようにすさまじい形相。掲げた右手には、血塗ちまみれのナイフを握っている。

 雷光のおかげでようやく気づいたが、男の足元にはグッタリと寝転がる人間の姿もあった。顔は見えないけれど髪の長さから判断して、おそらく女性だろう。

 男は彼女の体を跨いで、右手のナイフを向けながら、私の方へと歩み寄る。


「……ひっ!」

 声にならない声が、私の口から漏れた。

 頭では「逃げなければ!」と思うものの、恐怖で体が硬直して、全く足が動かない。

 視界の中で、男の姿がグングン大きくなって……。

 そのナイフが私の体に届く寸前。

 急にザーッと雨が降り出したかと思ったら、私の意識は暗転した。


――――――――――――


「まもなく南公園前。南公園前に到着します。お出口は左側です」

 聞き慣れたアナウンスが耳に入ってきて、意識を取り戻す。

 ハッと顔を上げれば、動いている電車の中だった。満員には程遠ほどとおいものの、立っている乗客の姿もあった。

「ああ、そうか。夢だったのか……」

 小さな独り言を口にする。

 ちょうど車内で眠り込んだ現実とシームレスに繋がったので紛らわしかったけれど、目が覚めたら無人駅というくだりからは、単なる夢に過ぎなかったのだ。

「見知らぬ寂しい駅で目を覚ますなんて、オカルト系の都市伝説みたいだよなあ」

 自分自身に苦笑しながら席を立つ。

 既に電車は減速し始めて、南公園前駅のホームも見え始めていた。


 妙に尿意を催していたので駅のトイレに立ち寄り、それから改札を出る。

 アパートまで徒歩数分。帰宅してから軽くネットで調べてみたところ、私が思い浮かべた都市伝説は『きさらぎ駅』という話らしい。

 ただし『きさらぎ駅』の場合は、実在しないはずの奇妙なトンネルをくぐった先の出来事。私のように「居眠りしているうちに連れて行かれた」というパターンとは違う。

 とはいえ、微妙に異なる点はあるものの、おそらくこの『きさらぎ駅』の話がベースになっているのだろう。以前にどこかで聞いて意識の片隅に残っていたのをふと思い出して、それが夢という形で現れたに違いない。


――――――――――――


「おいおい、またか……」

 翌日の帰りも電車の中で眠ってしまい、目が覚めたら同じ無人駅だった。

 いや正確には「目が覚めたら」ではなく、そういう夢の中なのだろう。

 見知らぬ無人駅に連れて行かれて、殺人鬼と遭遇する――。内容を簡単にまとめれば怖い夢であり、いわゆる悪夢というやつだ。

 しかし夢だと承知している以上、恐怖心は全く感じなかった。むしろこの悪夢を楽しんでやろうという余裕の気持ちで、前夜と同じ雑木林に入っていく。


「なまじ昨日わざわざネットで調べたりしたせいで、類似の都市伝説の話が頭に残って……。それで二日連続、同じ夢になったのだろうな」

 分析を口にしながら、林の小道を歩く。起きたあとでなく、まだ夢の中にいるにもかかわらず「何故このような夢を」と分析するのは、なかなか珍しい体験だ。

 そう考えると、思わず笑みが浮かんでくる。ちょうどそのタイミングで、前方に人影が現れた。

 昨日と同様のポーズだ。注意深く目をらせば、特にライトを向けたりせずとも、足元に転がっている被害者の姿を視認できた。

「おーい! 殺人鬼くん!」

 煽るつもりはなかったはずなのに、ちょっとした悪戯心いたずらごころから、そんな言葉で呼びかけてしまう。

 男が動揺したらしいのは、薄暗い中でも見てとれた。

 続いて、突然の雷鳴と稲光いなびかり

「貴様……!」

 憎悪の言葉を吐き出しながら、悪鬼のような表情を浮かべて、男は私に向かって走ってくる。当然のように、血塗ちまみれのナイフを手にした状態だ。

 どうせ夢なのだから、刺されても痛くないだろう。そう思ってけずに立っていたのだが……。

 男が私のところまで辿り着く前にザーッと雨が降り出し、そこで夢は終了するのだった。


――――――――――――


 ことわざの「二度あることは三度ある」みたいに、さらに次の日も、帰りの電車の中で同じ夢を見た。

 いや「さらに次の日も」どころの話ではない。座れなかった場合や座っても居眠りしなかった場合を例外として、電車で眠ると必ず「目が覚めたら無人駅で、殺人鬼と遭遇」という夢を見るようになってしまった。

 もちろん細部は少し異なるものの、林の中で殺人鬼を見かけて、その男に刺されそうになるところまでは同じ。雨が降り出した途端に夢から覚めるのも共通だった。


 どうせ夢ならば疲れることもないのだから、たまには山に登ってみようか。そう考えて一度、雑木林ではなく反対側の山へ向かってみたのだが……。

 山道を上り始めて五分もしないうちに、いつもの男と遭遇。その足元には、やはり女性の死体らしきものが転がっていた。

 どうやら殺人鬼は「林の中にいる」というわけではなく、私の行き先に現れるよう設定されているようだ。

 この時も男はナイフを持ってこちらへ駆け寄るが、私のところに辿り着く直前、雨が降ってきて夢は終わりとなるのだった。


 なお現実の電車内で目覚めるたびに、いつも私はトイレに行きたい状態だった。とはいえ、小さな子供でもあるまいし「怖い夢を見たからオシッコしたくなる」という話ではないだろう。

 むしろ逆に「トイレに行きたい」という気持ちの方が夢の内容に影響しているのではないか、と私は想像している。

 例えば小さな子供がオネショする際、水にちなんだ夢を見る……みたいな話があったはず。ならば私のこの夢の場合、夢の中で終わりの合図として降り出す雨が、現実の尿意を象徴しているのではないだろうか。


――――――――――――


 そして今夜も私は、ハッと目が覚めたら、完全に停まっている電車の中だった。

「これで何回目だろう? もう十回は超えているよなあ」

 独り言を口にしながら、電車から降りる。

 いつも通りの薄暗いホームだ。周りを見ても人の姿は全く視界に入らず、寂しい夜の中に取り残されたような状況だが……。

「さて。今日はどっちへ行こうか?」

 すっかり慣れてしまった私は、まるでハイキング気分。

 そもそもこれは夢なのだから、しかも降雨を合図に終わることもわかっているのだから、何の心配もないのだった。


 無人駅が舞台なことも、最後に雨が降ることも、私の中では理由が分析できている。しかし殺人鬼の男および殺された女性の存在に関しては、まだ意味がわかっていない。

 おそらく何かを示しているのだろうし、それらについてもそろそろ解明してみたい。そんな気持ちで、いつもの林へ入っていくと……。


 凶器を掲げた男と、その足元に転がる女性。

 すっかり見慣れた場面に出くわした。

「おーい!」

 私の呼びかけに合わせたかのように、雷の音と光。殺人鬼は物凄い顔で私に向かってくる。

 迫りくる男を見ながら「そろそろ雨が降ってきて終わりだ」と思ったが、そこで予想外の出来事が起こった。

 殺人鬼のナイフが、グサリと私を刺したのだ。


――――――――――――


「おっ!?」

 やいばが体に届いた瞬間、私の口から漏れたのは悲鳴ではなく、むしろ歓喜の声だったかもしれない。

 事態が進展したから、これで何かわかるかもしれない。そんな期待感をいだいたのだ。

 しかしナイフのやいばがおなかの肉に埋まるや否や、その気持ちも余裕も吹き飛んでしまう。

 焼けつくような痛みを感じたからだった。


「おい、どういうことだ!?」

 とても夢とは思えないような、ハッキリとした現実感を伴う痛み。

 恐怖で体が強張こわばるよりも「この場から逃げなければ!」という本能的な衝動がまさって、私は走り出そうとする。

 しかし私の腰には男の左腕が回されており、ガッシリと拘束されていた。

 男の右手はナイフを握ったまま。いったん深々と抉ってから引き抜き、グサリグサリと何度も私の腹部を刺し続ける。


「……!」

 あまりの激痛で、声を上げることすら出来なくなった。

 いったい何がどうなっているのか、全く理解できない。これほどの痛みを夢の中で感じるなんて、どう考えても不自然ではないか。

 夢の中で刺されたからといって、現実の私が血を流すことはないはず。だから失血死の可能性はないにしても、激痛によるショック死はありえるかもしれない。降雨と尿意の例のように、夢と現実で感覚は微妙にリンクしているのだから。

 刺されるたびにビクンビクンと、自らの鼓動に異常を感じる。それほど強烈な苦痛だった。


 今までならば、こうなる前に夢から目覚めていたのに。雨が降り出して、それを契機として終了する夢だったのに。

 雨よ降れ。

 心の中で叫びながら見上げれば、いつのまにか雲は消え、月と星が明るくまたたいていた。

 雨が降るような空模様ではなく、この悪夢が終わる様子もない。

 そして私の体に走る激痛は、ますます勢いを増していく。本当にショックで心臓が止まってしまいそうなくらいに……。




(「雨降れば悪夢も終わる」完)

   

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