母校の吹部が銅賞をとった件

湾多珠巳

The affair that my old school band got ranked Bronze Prize



 夏は吹奏楽部にとってコンクールのシーズンです。

 全日本吹奏楽コンクールというものがありまして、だいたい吹部経験者と言うと、高い確率でこれに出場した思い出を持っているもんです。

 私も中学時代に吹部やってましたんで、出ました。その頃のわが校は結構勢いがあって、一応県大会の代表争いの常連だったんですね。

 さて、中学を出、高校も卒業してからその市を離れた湾多は、じきに実家自体が遠隔地へ転宅したこともあり、母校の中学校の動静など、ほとんど気にしてませんでした。一応、年賀状なんかで連絡くれるかの地の人もいるんで、街の変化などは漠然と話に聞いておりましたけれども。

 十数年前、一度何かのはずみで母校の吹部の名前を聞いた時は、なんだか自分たちの頃よりも出世してる感じで、さすがに全国大会までは届かないにしても、まあまあその県及び支部でブイブイいわせてる感じだったのを憶えてます。

 今年二〇二三年は、相変わらず後輩たちのことなんかどうでもよかったんですけれど、去年に吹部テーマの長編小説を書いて以来、カクヨム内の吹奏楽小説読み漁ったり作家さんたちと交友が出来たり、なんだか気持ちが再燃してきた感じで、リアルタイムでコンクールの結果をチェックしたい気分になりました。どうやら一時期の勢いはなくなってるみたいだけど、そこそこ健闘してくれるのかな、と楽観寄りの観測で。

 という感じで七月末の某日、県の吹奏楽連盟のホームページ立ち上げてみたら――

 銅。

 銅賞、でした。

「え? 銅賞? すごいやん。三位やったんやろ?」とおっしゃる方、すんませんが、それ、違います。

 もうこの話は、ことあるごとに「吹部あるある」の鉄板ネタになっていて、それでもまだまだ頻発してるらしい誤解のパターンなんですけれどね。

 吹奏楽コンクールでは、「入賞団体を」金・銀・銅とするのでなく、「全出場団体を」金・銀・銅にランク分けするのです。つまり、銅賞というのは、たとえば県大会だったら、「あんたたちはこの県の中で下位三十三パーセントのランクね」と言われてるのと同じなんですねー。

 高校野球の一回戦負けより残念な位置づけです。一回戦負けって、一応全出場団体の下位五十パーセントですからね。

 えぇ〜、なにしてんねん、あいつら〜、と、湾多は、思わずパソコンの前で毒づいてしまいました。

 くどいようですが、母校へは――というより、中高生時代を過ごしたその市へは、もう長らく顔を出していません。こんな地の果てから匿名で檄を飛ばしてやっても、かの吹部は迷惑するだけでしょう。もっと言うと、その部がこのン十年でどのような浮き沈みをしていたのかもほとんど確認してませんから、銅賞だってそれほどの椿事ではないのかも知れないのです。それを、たまたま今年だけチェックして悪態つかれてもなあ……などと言われる可能性だってあるわけです。

 とは言え、かの部の卒業生としては、ディスプレイ相手に一言二言嫌味を言う権利ぐらいはあるだろうと、なんだか自分が不名誉をかぶったようなアンニュイな気分にしばらく浸り――そうやって、ふと思いました。

 ――銅賞団体を舞台にしての吹奏楽小説って、どう書いたらいいんだろう?


 少し話が飛躍したかも知れません。

 ここらへんの気持ちを正直に書くと、「銅賞、なんて恥ずかしい」>「いやでも、自分らも昔、銅賞団体散々バカにしてたよなあ」>「あいつら、どうやってモチベーション保ってたんだろうな」>「あれ、なんかメンタル的にかなりキツくねえか、これ?」>「今更ながら申し訳ない。ではせめて、銅賞団体を勇気づける小説でも考えるとしよう」>「……む、難しい!」 という脳内対話が圧縮されていたりします 笑。

 ということで、以下、吹奏楽談義と言うよりは、音楽小説の設定づくりに関するあれこれのつもりで考えてみました。

 で、話を限定するために、舞台は中学校とします。実は中学校の吹部を舞台にした小説って割合としては少なめなんですけれど、高校だと各校で事情が違いすぎるというのと、今回の話のきっかけとなったのは湾多の出身中学ということもあり、中学校バンドのストーリーに絞らせていただきます。

 さらに、なまじ長いスパンで話を作れる素地があると、単純に「これからがんばってミラクルを起こしていけばいい」という解決法に傾きがちなので、もうちょっと条件を限定します。こんなふうに。


 <主人公は三年生。最後のコンクール、みんながんばった。でも銅賞を獲ってしまった! さあ、主人公たちはどんな物語の中で、これからの日々を過ごせばいい?>


 さて、どうしたもんでしょうか?

「いや、単純に、一年後のリベンジを後輩に託して、『引退までレベルの底上げに取り組んだ』てな話にすればいいんじゃね?」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。

 それも悪くはないんです。綿密にストーリー設定をして、そういう話を書くのも、まあアリと言えばアリ。ただ、率直に言ってその話は嘘っぽい。なぜか? 三年生一人二人が、躍起になって部の改革に取り組んでも、運営面はともかく、演奏技術面で大きな成果が上がることはちょっと考えられないからです。

 そもそもなぜ銅賞になったのか? 下手だから、というのがまず返ってくる答えなんでしょうが、ではなぜ下手なのか? 部員の素質は、公立校であれば(いわゆる強豪校は別として)それほど差はありません。同じような時間数、同じような中学生が同じぐらい懸命に練習を続けて、なぜはっきりと「下手っ」と判るほどの差がついてしまうのか?

 これは、逆に考えた方が答えやすいです。金賞の学校は、なぜうまいのか? なぜ毎年のように代表争いに加われるのか?

 多少なりとも吹部をご存知の方は即答できますよね。そう、「顧問の腕がいいから」です(「響け!ユーフォニアム」を見よ)。これで六割、場合によっては九割決まります。あとは「学校や地域が協力的かどうか」。もう一つ追加するなら「ド田舎すぎる環境でないか」というのもある程度まで関わるでしょうか。

 つまり、顧問がすご腕でなく、学校に余裕がなく、周りに楽器屋・楽譜屋もなくて指導に来てくれるような個人も団体もいない土地柄だと、いとも簡単に銅賞の常連になってしまいます。


 部員一人ひとりの上手い下手は(ほぼ)関係ありません。


 吹奏楽のリアルでいたたまれないのがこの部分ですねー。バレーとかバスケだったら、エースが一人いたら、五分の一なり六分の一なりの範囲で総合力が変動するから、「こいつ一人でチームが変わった」って話も、まあ説得力があるんですが、吹部でそれはないです。むしろ、無理をすれば不和の種がばらまかれかねませんね。

 部員一人二人の力で音楽レベルを上げることが難しいなら、つまりは「ああ銅賞だな」という響きは当面変えようがないということ。そんなバンドで、前向きなストーリーをどうやって作ればいいのか。

 そりゃ、合奏の上手い下手に一切関係のない話にすれば、どうとでもなります。恋愛でもコメディでも。が、くどいようですけれど、湾多は今、「銅賞団体であるからこそ、こういう話が作れる」というストーリーを考えたい気分なのです。むろん、ポジティブな展開の。

「銅賞だったけれども、鳴り響く音楽は素晴らしかったという話にすればいいんでは?」などと考えた方は、現実の銅賞校の響きをご存知でない。むろん、銅賞にも色々あるでしょうけれど、典型的な銅賞団体の音って、素人さんにも十秒で分かってしまう類の残念さに満ち満ちていると言うか……あれを美化してしまうと、もう音楽小説ではない、と湾多は思います。自嘲と皮肉をベースに、徹底的に青春コメディやるんならありでしょうが、中学校でそれはちょっとイタイタし過ぎるかも。

 ちなみに高校だと、銅賞と言ってもそこそこ聞ける音だったりします。意外と、大学とか社会人バンドのほうが、下のランクの残念さが底抜けしてたり……と、まあ余談はさておき。

 湾多は考えました。考えてるうちに、小説の設定と言うよりは、現実の吹奏楽部でどう士気を保っていくかのそのリアル対策に取り組んでる気分になりました。

 結果、ここからは半分「全国の吹部で銅賞に泣いた部員たちへのアドバイス」みたいなノリになってるかも知れません。人生相談やってるつもりは毛頭ないんですけれど、リアリティ多めで吹奏楽小説書いてる身だと、どうしてもこのへん、現実とクロスオーバーしてしまうんで、まあ仕方ないかなと。


 では最初のパターン。

 1.あくまで音楽づくりを物語の中心に置いて、リアル路線かつハッピーな展開を心がけた物語

 結局のところ、合奏の音を聞いて「下手っ」っていうバンドは、バランスとタイミングが合ってないからなんです。でも、それだけだと銀賞に引っかかりそうなもんだから、はっきり銅にランクされたということは、なんと言ってもということが原因かと。

 銅賞団体であっても、ひとりひとりの腕が悪すぎるということは、そうそうないです。まあ、明らかに足を引っ張ってるパートがあって、その部員を(人数不足のせいか、人間関係的な理由でか)除けることも替えることもできなかった、というケースが致命傷になることはままありますが、それとて恒久的な原因にはならないはずなんで。

 ですから、仮にそれなりにやる気に燃えている部員がいて、その人の音が甚だしくヒドい、というわけではないのなら、誰でも主人公になれます。その主人公に同調してくれる部員が他にいるなら、その人たちはみな中心人物です。別に、マンガみたいに才能の塊みたいなキャラはいりません。音楽一家のお嬢様な部員も不要。普通に音が鳴らせる部員だけで、話は始められます。

 後はそのグループを中心に、小さなハーモニーを一つ一つ完璧にしていく物語にすればいい。フルートだけ、ホルンだけ、あるいは異種楽器混合で。

 つまり、アンサンブルですね。

 三人、もしくは四、五人で、「俺ら、しばらくこういう修行に取り組んでみるわ」てなノリで、地道に和音をきれいに合わせる練習を繰り返せばいいのです。まあ、湾多は吹部をじかに指導した経験なんてないんで、それで現実にうまくいくかどうか分かりませんけれど、合わせ方のノウハウを教えてくれる人がいるとか(顧問が無理なら合唱部の先生とか)、出来のいい演奏動画を見つけられたとかの条件が入れば、ド田舎の銅賞常連校でも、なにか事態が動かせそうな気はします。

 何と言っても、その方法なら生徒二、三人から始めることができるんです。

 で、きれいに和音が鳴らせるようになったとして、それが何? と言われそうですけれど、ハーモニー感覚の基礎がほんとに身についたら、もう大概のことはできます。都心部の吹部なら、そのまま駅前でストリートミュージシャンやるもよし(もっとも、現実に中学生が通りに立てるのかって言うと色々障害はあるでしょうが)、動画デビューするもよし、校門前で勝手にミニコンサートやるもよし(ここは校風次第)。

 とにかく、その三人なり五人なりでなら、そこそこのレベルの音楽ができるってことですから、その範囲で存分に楽しめばいいのです。音楽室にこもって自分たちの好きな音楽だけを延々と吹き続けてもいい。そんなこと、部活動のできるその場所、その時期だけしかできません。それに、ここが大事なところですが、金賞校などにそんな余裕はありません。目先の楽譜を消化するので精一杯ですから、あの人たちは下手すると簡単な賛美歌の楽譜渡しても、吹けやしません。超難曲の吹奏楽の合奏はこなせてもね。

 一見地味なハーモニーの修行が、どれだけ取り組みがいがあって、かつ楽しみがいのあることか、これはほんとにそういう時間を持った人にしかわからないと思います。どれだけぜいたくな体験かということも。

 部によってはコンクールの終了で三年生の引退となる取り決めにしているところもあります。そうであれば、たとえば楽器を自前で持ってる三年生だけが、部を離れて集まって……みたいな話に限定される可能性もありますが、そこからまた後輩たちへと動きが波及していく話にはできるでしょう。あるいは文化祭で三年生グループだけでステージやる話にするとか。そのまま一月のアンサンブルコンテストに出場する話に持っていくとか。バリエーションは色々。

 アンコンで、夏のコンクールでの金賞校にリベンジできた、という展開にするのは、いくらかテンプレ的ですけれども、現実味はありそうです。少なくとも、顧問も変えずに一年間で銅賞から金賞にのし上がった、などという物語よりは、ずっとリアルです。

 ……少し話が本末転倒になりました。問題は「今回銅賞で、来年も高望みは難しそうな部のメンバーが、どんな物語をよすがにできるのか」ということでしたね。

 いやまあ、「んな物語なんぞ差し入れてくれんでも、わしら逞しゅうやっていっとるわい」とか言われそうですけれど。そういう所はいいんです。問題なのは、「銅賞」の一言で、みーんなやる気がなくなって、でも見るマンガ読む小説、勝ち上がっていく優秀校の物語ばかりで、どん底にランクされた自分らは何をロールモデルに生きていけばいいのかっ!? 投稿小説サイトに神はいないのか!? と頭を抱えていらっしゃる方々です。

 銅賞団体でも、真面目に音楽やっていきたい、ということであれば、以上のようなストーリーイメージを胸に、この夏休みを、あるいは秋以降を過ごしていかれるのもよろしいかと。


 次のパターン。

2.音楽力の底上げは一旦諦めて、それでも前向きかつ、一応音楽的にハッピーなシナリオ

 いちばんてっとりばやいのは文化祭絡みでしょうね。文化祭まで三年生は参加していい、という取り決めになってる部なら、ここに勝負をかけるしかないかと。

 銅賞団体、というレッテルは全校に知れ渡ってるわけで、音も今更シンフォニックな体裁にはできない(多分)でしょうから、考えられる路線は二つ。

a 徹底して演出に凝る

b 「これなら自信を持って鳴らせる」という曲、またはジャンルを開拓する。

 コンクールの音楽はダメダメだったけれど、ジャズアレンジやってみたら、なんだかうちのバンド、ノリがいいっ、みたいなことになるかも知れず、ラテンに挑戦したら大好評だった、なんてことも、銅賞団体にはありがちです。

 aについて言うと、演出は湾多がこの場で提案することではありません。もう好きに考えて。いくらでもやりようはあるでしょう。

 コンクール翌日から、「おら、切り替えていくぞ、てめえら!」と号令をかけて、やけくそ気味に楽しい文化祭を目指す! いつしかそれがその学校のデフォルト路線に! コンセプトは「日本一ハッピーな銅賞校」!

 うん、こういうのも悪くないと思います。いささかコメディ路線過ぎる嫌いはありますが。

 捻った設定の例を一つ挙げてみると、「今年初めて銅賞入りした吹部」が、日頃バカにしている近隣の銅賞校から、楽しみ方の指南を受けるストーリー展開、などにするとかね。なんだかこれの変形でいろいろ書けそうですね。

 もちろん、リアル銅賞校のみなさんも、そういうシナリオを胸に明るく夏以降を過ごせるんではないでしょうか。というか、すでにそうやってる、という所もたくさんありそうですね。


 さらに次。

3.いっそコンクールと決別して、部活の主軸を非コンクール的な活動に移す決心をする過程を描いたシナリオ

 これは2.の発展形ともいえるパターンで、まあ三年生の部員一人二人でどうにかできる筋書きじゃないんですが、一応紹介しておこうかと

 つまり、吹奏楽部の活動のあり方を根本から見直す話ですね。

 実は、コンクールの弊害というものはかねてよりいろんな形で論じられておりまして、「これだけで一年がつぶれる。なんのための音楽クラブか」と、実際に最初から参加しない方針でやってる吹部もそれなりに存在します。

 そういう部はいったい何を活動の中心に置いているのか? もちろん演奏です。コンサートです。施設の慰問という形もあるでしょうし、定期演奏会を組むのもありでしょう。実は、反コンクール主義をそのままテーマにして長編にしてしまった作品もカクヨムには存在します。いきなりのスコップですが、以下がその作品です。


 夏川俊「萌黄色の五線譜」https://kakuyomu.jp/works/1177354054884810766


 ご自分の経験に取材して思いの丈を小説にした……というタイプの文章ですので、その意味ではややクセのあるところもありますけれど、コンクールばかりが吹部じゃない、というスタンスで、しっかり感動できる物語にしてらっしゃいます。本エッセイの趣旨からは外れますけれど、一応この機会にご紹介を。

 なんにしても、これはすでに顧問の先生の物語であって、中学生自身で選べるシナリオとは言い難いのですけれど。


4.3.のさらに発展形

 これはもう場外乱闘みたいなアイデアで、現実の中学生には勧めかねるシナリオなんですが。

「コンクールとは縁を切ってコンサートやろうよ」というのは、中学生の部員にはハードルが高いでしょうが、「コンクール対策は忘れて合唱部に居候しようよ」というのは出来ます(部活の雰囲気次第では)。あるいは「科学部とコラボしようよ」とか「家庭科部とイベントやろうよ」などのアイデアもありです。「家庭科部や科学部と何をどうやって!?」と尋ねる向きには「どこにでも音楽はあるし、どんなものも楽器になる」ととりあえずお答えしておきます。まあ、顧問の先生が話についてきてくれればいいんですが。

 言ってみればキワモノアイデアでシリアスな音楽活動とは別の方向に活路を見出してみようっ、という話ですね。それはもうまともな吹部じゃない、と突っ込まれるかも知れませんけれど、いやいやこれは前衛音楽の一形式で、とか、私たちは新しい芸術を体現しているのですっ、と言い張って言い張れないことはありません。なんといっても、


     金賞校にそんな大胆なことは出来ません。


 なら、自分らがやるしかないっしょ、というノリですね。これはしかし参謀役がほしいかな。美術の先生なんかで、そういう方向に造詣が深い人がいたら、意外と話が進んでいくかも知れませんが。



 なんだかどんどんマニアックなシナリオになりそうなんで、このへんで止めておきましょうか。

 本音を書くと、このエッセイは当初、「銅賞校を主役として物語が書けるか?」>「いや、書けないだろう」>「物語を持てない学生を多数作り上げてしまう賞の与え方は、問題ではないか!?」 みたいな流れを想定していたんですが、それでは結局ろくな主張にならん、と思い直して、少し本気で「勝利者でない方に光を当てる物語」のあり方に考えを巡らせてみた次第。

「銅賞」に泣いた現実の中学生たちに、こういう物語がどれぐらい必要とされているのかは分かりません。こういう、空気を明るく変えられるシナリオがあるよと声をかけること自体、物書きの傲慢であり、エゴの押しつけなのかなとも思います。彼ら彼女らは、たぶん二、三日ふて寝してから、みんな自力で立ち直っているだろうとは思います。

 でも、たとえば真面目に取り組んだ最後の夏が銅賞だった三年生部員――たぶんその数は全国で万に届くんじゃないかと思いますが――に、与えてやれるストーリーが、せいぜい「泣いて、強くなれ」みたいな噴飯もののフレーズの三つ四つしかないというのは、これは書き手の怠慢ではないのか、とも思います。そう言いながら、湾多が書いた吹部小説は、今のところ「金賞でハッピー」式のストーリーばかりなんですが。

 銅賞という結果を、忘れるべき黒歴史としてでなく、一つの経過点として、その部員の後々の音楽生活にもポジティブに位置づけられるように扱えるようにしたい。とりあえずは、まず物語から。そう考えて、部活動ハンドブックみたいになってしまった設定構想を並べてみました。

 形にしたアイデアは、後々作品化するかも知れないし、しないかも。別に著作権を主張するほどの中身ではありませんから、興味が湧きましたらどなたでも持っていってください。

 んで、全国の負け組の吹部の支えになる面白い作品書いてもらえたら、それはそれでありがたいですから。

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