ノック

午前2時

コン、コン、コン……


来た。

今夜も。

時間は未明、午前2時。

安アパートの戸が叩かれる。


コン、コン、コン……


律儀なものだ。

きっちり3回ずつ。

時間も毎夜同じ。

遠慮がちともいえるほど、弱いノック。

ノック?

本当にそうだろうか。


コン、コン、コン……


あまりにも弱々しいそれをノックと気付くものではなかった。

蒸した熱帯夜に堪らず朝までクーラー付けていれば、その音に簡単に紛れてしまっていたから。

おかしいと思い始めたのは、急ぎのレポート作成三日目。

徹夜続きで神経も過敏になっていたのだろう。

普段なら気付きもしない小さな音や気配も気になって気になって。


コン、コン、コン……


これは誰かがノックしているのか、出たほうがいいのかと迷っている間にもうそれは収まる。

時間にして1分もないんじゃないだろうか?

ノックだとしても、また首をひねる。

この建物は二階建て、エレベーターもない。

外階段も手すりも塗装が剥げて錆も浮いているぼろいアパート。

気を付けないとカンカン、ギシギシと上り下りのたび、高く音が響く。

壁も薄い。

昼間でさえ住人に遠慮してそっと歩くのだが、夜更けの静けさあればなお音は高くなり、気配は強くなるはず。


コン、コン、コン……


ついさっき、酔って帰ってきたのだろう、二つ向こうの住人の足音は高く聞こえていた。

酔っぱらいは力の加減も出来ない、力いっぱい戸を開け閉めする音に眉をしかめたものだ。

それに比べてなんと、か細いことか。

ノックもだが、それ以前にここまでやってくる気配さえつかめなかった。

気が弱く遠慮がち。

何となく、そんなことが思い浮かんだ。


コン、コン、コン……


だが、気になる。

それがノックと意識してしまうと。

確かに、俺の部屋の戸が叩かれている。

気になりだすともう、集中も削がれる。

レポートどころではない。

腹も立ってくる。

締め切りまで間がないというのに。

迷惑だろう!

疲れはピーク。

ただただ腹立たしかった。


コン、コン、コン……


さすがに午前2時、外で仁王立ちする気にはなれなかった。

息を殺し、覗き窓もない戸に耳をつけて様子をうかがう。


コン、コン、コン……


(やまだたかし……)


くぐもった声。

やっと聞こえてくる。


(返せ……、返して……、返してくれよう……)


細い、遠慮がちな、風の音にもまぎれそうな男の声だ。

うつむく小男。

そんなイメージが頭に浮かぶ。


コン、コン、コン……


(やまだたかし……、返せ、返して、返してくれよう……)


コン、……


カチンときた。


「俺はだ! ここはの部屋じゃない」


瞬間、ノックは3回鳴らされることなく、途中でやんだ。


(……ごめんなさいぃ、間違いました……)


なんだ、そりゃ?


(……また逃げられた……)


悔しい、悔しい……とつぶやきながら、気配は去っていった。

少しして戸を開けたが、熱帯夜の熱気がむわっと入って来ただけでそこには誰もいなかった。

上からアパートの周囲も見渡したが、夜の静けさに人の気配など何もなかった。


結局、それだけのこと。

おばけ?

さあ、どうだろうか?

何にしても、気の小さい奴だ。

ノックはしっかり、声ももっと上げてはっきりいえばいいのに。

前の住人にはきっと気付かれもしなかったんだろう。

案外、東京のど真ん中でも不思議なことなんてよくあるんじゃないか。

誰も気付いていないだけで。


その夜以来、午前2時のノックはなくなった。

無事レポートの提出は間に合った。

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ノック @t-Arigatou

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